『神のみぞ知るセカイ』を読むといつも違和感があった。認識のズレというか、自分の中で「この漫画は要するにこういう作品なんだ」と納得する寸前でいつも行き止まってしまうもどかしさがあった。それは、「ギャルゲーの達人が現実の女の子と恋愛する」という要約で表される『神のみぞ知るセカイ』と、僕の中でかくあるべしと作り上げた『神のみぞ知るセカイ』と、サンデーで連載されている現実の『神のみぞ知るセカイ』の三者がそれぞれ違っていて、全体としての『神のみ』像がなんともボヤけたものになってしまっていたからだ。 『神のみ』の主人公・桂木桂馬は「ギャルゲーの神」と呼ばれ、あらゆるゲームの女の子たちを攻略してきた達人である。現実を「クソゲー」と公言してはばからず、どんなときでも携帯ゲーム機でギャルゲーをプレイし続ける、孤高の人である。送られてきたメールをクリックしたことによって、半ば強制的に地獄と「契約」を結ばされ、
![「わかきくん」のゲーム 『神のみぞ知るセカイ』の矛盾と二つのメタ性について - 二十一世紀日陰者小説(移転跡地)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4e64c21663ac6f93dc17dc26e158dbebd7300c98/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F31amJoWsxML._SL160_.jpg)