武帝・司馬炎~三国統一さる 司馬昭の跡を継いだ嫡子・司馬炎は、はやくもその年のうちに魏帝を退位させる。父の死に際して打合せずみの行為だろう。曹操が魏王の位にとどまり、その没後、後継者たる曹丕が漢の皇帝を廃し帝位へ就いた故事にならったものと思われる。皇帝・曹奐にこばむ力はなく魏は終焉をむかえ、ここに晋王朝が誕生した。 司馬炎はのち、武帝と称されることになる。人心の抵抗もあったろうが、400年つづいた漢朝滅亡のほうが動揺は激しかったはずである。それから半世紀も経ずしてのことであり、前述のごとく司馬一族は有徳の人という評判を得ようと心がけていたから、この王朝交代は比較的受け入れやすかったのではなかろうか。曹氏もおなじことをしたのだから仕方ない、という思いが人々の胸をよぎったとしても不思議はない。 慎重は司馬家の血筋と見え、晋は残敵・呉の討伐を急ごうとはしなかった。そのあいだに、呉では皇帝・孫晧(