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ブックマーク / cruel.org (6)

  • プロジェクト杉田玄白の思想

    山形浩生 (『をちこち』 2008年6月1日発売号) 要約:プロジェクト杉田玄白は、翻訳をしたい人と、翻訳されたい文章マッチングさせるような場として考えられているし、各種フリーソフト運動にも影響を受けている。今後、札束勝負とかできるといいなあ。 日は翻訳文化だと言われる。それは日文化というものが、二世紀弱前までしょせんは(かなりのローカルな展開を見せたとはいえ)シナ文化の周辺文化でしかなく、そしていまは欧米文化の周辺文化でしかないという事情からして仕方のないことだ。これは別に、日文化にユニークなところがあるのを否定するわけじゃない。でもその「ユニーク」を唱える人を問い詰めれば、結局それは、日的あうんの呼吸に頼るものだったり非常にローカルな情緒や自然環境に依存したものばかりで、砂漠の真ん中でもツンドラのさなかでも通用する代物かといえば、そんなものは一つもない。だからぼくたちは、いろん

  • 巻頭エッセイ:ウェブ 2.0と著作権

  • Stiglitz "WHAT I LEARNED AT THE WORLD ECONOMIC CRISIS."

    世界経済危機でわたしが学んだこと。 © 2000 ジョセフ・スティグリッツ © 2001 山形浩生訳 原文:WHAT I LEARNED AT THE WORLD ECONOMIC CRISIS. (The Insider) The New Republic 2000/4/17 来週のIMF総会は、去年の秋にシアトルの WTO 総会をめちゃめちゃにしたデモ隊をそのままワシントン DC につれてくることになるだろう。連中はこう言うだろう:IMF は傲慢だ、IMF は助けるはずの途上国の言い分なんか実は聞いてない。IMF は秘密主義で、民主的なアカウンタビリティから隔離されてる、IMF の経済「療法」は事態をかえってひどくする――景気減速を不況にして不況を恐慌にする、と。 そしてその言い分には一理ある。わたしは 1996 年から去年(1999 年)の 11 月まで、世界銀行の主任エコノミストだ

  • 経済思想の歴史

    経済思想史ウェブサイト日語版:new school の HET ページの翻訳。経済思想の歴史について、古代から現代まで情報やリンクを集めたサイトなんめり。学生や素人で、経済学について歴史的な流れを理解したい人たち向けのサイトだが、中身的にはそこらの専門書より視野が広くて高度だったりするぞ。

  • GDP というものの考え方について

    GDP というものの考え方について 山形浩生 (2008-08-30) 追記を先に (2008-09-03) 稲葉大人がいろいろコメントをしているんだが、ぼくは実務屋なので、話をでかくしたほうが市が栄えていい的な学者的発想には与しないのだ。ぼくの議論がパーフィットの議論と似ている――それはつまりワタクシがパーフィット並にえらいということでしょうか? えへへ、照れるぜ。でも、パーフィットの名前を出すことで議論に資する部分はまったくないと思うの。技術論で片付くことは技術論で片付けるべきだと思う。その意味で、下の文の後半で話をでかいほうに持って行ったのは失敗だったかもしれない。ぼくは 1970 年と 2008 年のGDP をそのまま比べることには十分意味があると言うのが主眼だ。そしてそれがもじもじの目的に合わないからといって、GDP 概念やその比較を否定するのは愚かなことでだよ、と言うことが理

  • ぼくのキャリア上のできごと

    Incidents from My Career (A. Heertje, ed., Makers of Modern Economics, 1995) Paul Krugman 山形浩生 訳 目次 経済学者になる 1953-1977 ビジョンを見つける 1978-1982 ワシントン 1982-1983 収束と危機 1983-1987 研究の再燃 1987-1988 もっと広い読者層 1988-1992 ビジョンの復活 1990-1995 これまでやってきたこと 要するに何なの? ぼくの私生活はつまんないものだ。別にいっしょにご飯をべて死ぬほど退屈とか、人生でそれ相応の喜びや悲惨に遭遇してないってことじゃない。ぼくが言いたいのはつまり、ぼくの個人史のこまごましたことに興味を持つのは、ぼくの友だちや家族だけだってことだ。この文を読んでいる人はだれも、ぼくの結婚生活だの健康問題だのについて

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