-----1973年4月24日---「上野駅」----- 上野駅の中央広場が大変な人出です。 一見ふだんのラッシュ時にも見えますが、よく見ると看板が壊れ、人が入り込もうとします。 一向に動く気配のない電車に、乗客たちもあきれ顔です。 1973年、昭和48年4月24日のことです。 よく見ると中距離通勤電車なのに、急行用の車両が使われています。 駅の正面口には炎も見えます。 国労(国鉄労働組合)・動労(国鉄動力車労働組合)の順法闘争がこの日から再び始まり、夕方のラッシュ時の列車の遅れは1時間以上、夜にはほぼマヒ状態になりました。 怒った乗客たちが上野・赤羽・大宮など首都圏38の駅で騒ぎを起こし、100人以上が逮捕されました。 マヒ状態は翌日もつづきました。 ※順法闘争:安全確認などの手順や規則を厳格に守ることにより列車に遅れなどが出ることで、ストライキと同じような効果を上げようとする闘争方法