ごろごろ、神戸3とは ごろごろとベビーカーを押しながら神戸の町を駆け抜け、多くの読者を魅了したエッセイ「ごろごろ、神戸2」が、「ごろごろ、神戸3」となって再始動。はてなダイアリー「平民新聞」において、独自の詩的な文章と写真で知られるブロガーの平民金子さんが、神戸の町をふたたび綴ります。日常と喪失、ユーモアとペーソス、希望と哀惜。モノクロームの孤独のうえに、さまざまな色彩によって彩られた神戸の町の生活の詩をご覧ください。 エッセイ一覧 2018年5月 第1回 ゴールデンウィークの過ごし方 第2回 生活の柄 2018年6月 第3回 空気坊主 第4回 日々 2018年7月 第5回 視線 第6回 反響 2018年8月 第7回 中華冷や汁研究 第8回 保久良山 2018年9月 第9回 海の家、20号、21号 第10回 いつまでもそのままで 2018年10月 第11回 なつかしさと、都合良さと 第12
ショッピングモールや駅や公園などの公共空間で、人目をはばかる事なく大きな声で子供を怒っているお母さんを見かける事がある。そんな時、子供がかわいそうだと非難する気持ちよりも先に、感情が決壊してしまった母親への同情が先に立ってしまい、彼女に対して、今がふんばりどころやからなんとかおだやかに、深呼吸してがんばろうや、などと心の中で声をかけずにはいられない。 理屈だけで言うならば、意のままにならない自分よりも小さな存在に対し声を荒げても仕方がない。しかしそんな事は当人が誰よりもわかっているはずで、ひとりの弱い人間でしかない私たちは時として、自分の感情すらコントロール出来なくなる事がある。育児はどっぷりつかればつかるほど闇と隣り合わせだ。余裕を失ったあのお母さんの追い詰められ方は、我が事のようにきついなと胸が痛む。 十代の頃、東京の山手線に乗っていた時、女装している男性が突然目の前に座っている女性の
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