経済学者の宇沢弘文先生が、9月18日に86歳でご逝去された。ご高齢だったので、遠からずこの日がやってくることはわかっていたし、覚悟をしてはいたつもりだけど、喪失感は予想以上のものだった。おととい、朝日新聞から電話取材を受け、ぼくの追悼の談話が昨日(9月27日)の朝刊に掲載された。学習院大の宮川さん、東大の吉川さんと肩を並べ、弟子としての談話を載せることができたのが、喪失感の中でのせめてもの慰めとなった。 この喪失感は、他のすべてのお弟子さんに負けない自信がある。なぜなら、他のお弟子さんたちはすべて、そもそも頭のいい「学問的セレブ」な人たちなので、宇沢先生に出会わなくても、若干専門分野は違っているかもしれないが、間違いなく今の地位を築いただろう。一方、ぼくはといえば、宇沢先生と出会わなければ、経済学を勉強することもなく、研究者になることも大学教員になることもなく、社会の片隅で世をはかなんで拗
経済学者で東京大学名誉教授の宇沢弘文氏が、9月18日に亡くなられた。心からお悔み申し上げたい。宇沢氏は日本を代表する経済学者のひとりだったことはいうまでもなく、経済成長論、最適経済成長論への貢献は圧倒的だ。文化勲章は受勲しているものの、ノーベル経済学賞をなぜ受賞できなかったのかが不思議なくらいである。 ただ宇沢氏の功績、特にその新古典派経済学批判や時事問題に関する発言には、筆者は今までも批判的な視点で見てきた。インターネット上では、宇沢氏の功績を無条件に賞賛する発言も見受けられるが、ここではそのような風潮を横目にしながら、筆者なりに宇沢氏の功績について簡単に振り返り、このいろいろな意味で超えがたい存在にお別れを言いたいと思う(以下、敬称略)。 ●反経済学ブーム 1970年代から80年代前半にかけて、日本には反経済学ブームというものがあった。この時に批判されていた経済学というのは、市場メカニ
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "アドラー心理学" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年10月) アドラー心理学(アドラーしんりがく)、個人心理学(こじんしんりがく、英: individual psychology)とは、アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)が創始し、後継者たちが発展させてきた心理学の体系である。個人心理学が正式な呼び方であるが、日本ではあまり使われていない[1]。 岸見一郎によれば、もともとはジークムント・フロイトとともに研究していたが、その学説はフロイトの理論とは大きく異なり、たとえば苦しみの原因をトラウマに求めないこ
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語発音: [alfreːt aːdlɐ] アルフレート・アードラー、1870年2月7日 - 1937年5月28日)は、オーストリアの精神科医、精神分析学者、心理学者。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。 初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが、アドラーはフロイトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、アドラー心理学(個人心理学)を創始した[1]。 生涯[編集] 1870年2月7日、ウィーンの郊外ルドルフスハイム(ドイツ語版)で、ハンガリー系ユダヤ人の父とチェコスロヴァキア系ユダヤ人の母との間に生まれた。アドラーが育った家庭はユダヤ人の中産階級に属していて、父親は穀物商を営んでおり、母親は夫の仕事を手伝う勤勉な主婦だった。ア
1.1 The theory of compensation, resignation and over-compensation
■宇多田ヒカルさんの母 藤圭子さん自殺報道22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿のマンション前の路上で、歌手の藤圭子さん(62)があおむけの状態で倒れているのが見つかった。警視庁新宿署によると、藤さんは病院に搬送されたが、頭などを強く打っており間もなく死亡した。 マンション13階の一室に藤さんの知人の30代男性が住んでおり、ベランダにスリッパの片側が落ちていたことなどから、同署は藤さんが男性宅を訪れていて飛び降り自殺したとみて、詳しい経緯を調べている。遺書などは見つかっていないという。 出典:歌手の藤圭子さん自殺か マンションから転落死 Y!産経新聞 8月22日(木)12時17分配信 ■藤圭子さん昭和の歌姫でした。1970年の「圭子の夢は夜ひらく」の印象は強烈です。10週連続1位を獲得77万枚売上げる大ヒットでした。小学生だった私も、♪「15、16、17と私の人生暗かった」と意味も分からず
2011.0513 ウェブマスターによる新刊(2010年5月27日発行) 『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』 自殺予防のために・いのち輝かせるために Tweet 「貧乏タレント」として人気のあったタレントの上原美優さん(24)が、自宅マンションで首をつって亡くなっているのが、発見されました(2011.5.12未明)。自殺と見られています。 愛用の手帳に「お母さんが死んで辛い。このままのスタイルで仕事して先行きどうなるか」といった趣旨の殴り書きが残されていました。 若いタレントさんの自殺は、若者たちに少なくないショックを与えているでしょう。 *** タレント上原美優さん 上原美優さんは、鹿児島・種子島出身のタレント。10人兄弟の末っ子として生まれました。アイドルとしてデビュー後は、子ども時代の「貧乏話し」を明るく語り、人気が出ていました。 上原美優さんの苦しみ・
カウンセリングマインド2 話を聞くと言うことは カウンセリングマインド1:カウンセリングマインドとは 的確なアドバイスや、感動的なセルフは言えなくても、聞くだけならできるでしょうか。いえいえ、人はなかなか人の話を聞けません。だからこそ、あなたが、カウンセリングマインドを持って、しっかりと人の話を聞く必要があります。 カウンセリングマインド:話を聞くと言うことは、 教えないこと カウンセリングマインド「話を聞く」というこは、「教えないこと」です。人を助けたいと思うような人は、やる気もあるし、経験や知識もあるし、そうすると、どうしても教えたくなります。 教えることが悪いわけではありません。でも、今はカウンセリングマインドを持って話を聞こうと思っていたはずなのに、いつの間にかあなたが話し始めている、教え始めていることがあります。 あなたが教え始めれば、相手は黙ってしまいます。 簡単には理解しない
カウンセリングマインド カウンセリングマインドとは カウンセリングマインドとは、カウンセリング的に人と関わろうとする人が持つべき態度、考え、心構えです。日本人が作った和製英語ですが、会話を通して人を助けたいと思っている人にとって、カウンセリングマインドは大切です。 カウンセリングとは 心理学や精神医学の専門家、臨床心理士や精神科医が行う心理療法としての「カウンセリング」は、簡単にできるものではありません。けれども、「カウンセリング」は、一般的にはもっと広い意味出使われています。結婚カウンセリングとか、カウンセリング化粧品といった使い方をしますね。 この場合の「カウンセリング」は、心理療法、セラピーではなく、個別に相談しながら、その人をサポートするために話をお聞いたり、情報を提供したりすることという意味でしょう。 また、カウンセリングとか、カウンセラーといった言葉を使わなくても、様々な場面で
ライター/編集者。1973年福岡生まれ。1998年出版社勤務を経てフリーに。現在、株式会社バトンズ代表。これまでに80冊以上の書籍で構成・ライティングを担当し、数多くのベストセラーを手掛ける。主な著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の「勇気の二部作」、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』等がある。 嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラー」の教え フロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨頭とされながら、日本では無名に近いアルフレッド・アドラー。彼はトラウマの存在を否定したうえで、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言し、対人関係を改善する具体策を示してくれます。まさに村社会的空気のなかで対人関係に悩む日本人にこそ必要な思想と言えるでしょう。本連載では、アドラーの教えのポイントを逐次解説することでわかりやすく伝えます。 バックナンバー一覧 欧米ではフロイト、ユングと並び「心理
きしみ・いちろう/1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。京都教育大学教育学部、奈良女子大学文学部(哲学・古代ギリシア語)、近大姫路大学看護学部、教育学部(生命倫理)非常勤講師、京都聖カタリナ高校看護専攻科(心理学)非常勤講師を歴任。専門の哲学に並行してアドラー心理学を研究、精力的に執筆・講演活動を行っている。 嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラー」の教え フロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨頭とされながら、日本では無名に近いアルフレッド・アドラー。彼はトラウマの存在を否定したうえで、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言し、対人関係を改善する具体策を示してくれます。まさに村社会的空気のなかで対人関係に悩む日本人にこそ必要な思想と言えるでしょう。本連載では、アドラーの教えのポイントを逐次解説することでわかりやすく伝えます。
汚染ゴミをドラム缶に詰める 2012年12月11日、前日の名古屋ライブを終えて、掛川へと向かった。『原発放浪記』(宝島社)の著者、川上武志さんに会うためだ。 若い頃から各地の原発で働いていた川上さんは、2011年9月にその体験を手記にまとめた。堀江邦夫以来の現場の作業員の手記ということでさっそく取り寄せてみると、ユーモアと哀感のまじる親しみやすい文体で、一気に読んだ。 中でも私が興味をひかれたのは、川上さんが若い頃、滋賀のコミューンに出入りしていた、という経歴だった。恥ずかしながら私は、つい1980年代くらいまで日本各地の農村に自然回帰を志向するヒッピー的な若者のコミューンが存在したことを知らず、驚いた。「ヒッピー」はどこかファッションスタイルのようなもの、ある種の雰囲気として、ふわふわと存在していたものかと思っていたのだ。実際に日本の農村で、畑仕事をしながら共同生活していた若者たちがいた
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