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2015年12月9日のブックマーク (2件)

  • 「国際裁判もう負けない」 外務省と法務省が勉強会 調査捕鯨中止判決が教訓(1/4ページ)

    国際司法裁判所(ICJ)での係争を中心とした国際司法への体制強化に向け、外務省と法務省が9月から勉強会を設置、意見交換を続けている。ICJが昨年3月に日の調査捕鯨中止を言い渡したことを教訓とした施策だが、これまで国際裁判に全く関与してこなかった法務省がどれだけ力を発揮できるかは不透明だ。さらに、今年4月から、それぞれ裁判をめぐる新体制をスタートさせたばかりの両省の思惑もあり、関係者からは実効性に疑問の声も出ている。(大泉晋之助) 領海問題抱える 国際社会において手痛い敗北となった調査捕鯨をめぐるICJでの裁判。判決後、訴訟の日側代表が安倍晋三首相から厳しい叱責を受けるなど、外務省にとっても痛い失点だった。このため外務省はこれまで国際司法を担ってきた国際法局に今年4月、「国際裁判対策室」を設置した。 捕鯨訴訟は、日が当事者となったICJでの初の案件。敗因の一つには、国際司法における外務

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  • 日本国憲法に勤労の義務が入った経緯 | Kousyoublog

    国憲法の国民の三大義務というと教育、勤労、納税ですが、元々旧大日帝国憲法には勤労の義務というものは無く、日国憲法になって勤労の義務が権利とセットで盛り込まれることになりました。wikipediaではその勤労の義務の由来について、こう書いてあります。勤労の義務 – Wikipedia この規定の由来については諸説あるが、一番有力なのは、元農林大臣の石黒忠篤や代議士の竹山祐太郎が、二宮尊徳の「報徳思想」の精神に則って、日国民が自らの勤労の力で太平洋戦争で荒廃した祖国を再建させてゆこうという発想から提案されたものだと言われている(橋伝左衛門・日農業研究所『石黒忠篤伝』(1969年、岩波書店))。なかなか興味深い記述ではあるんですが、帝国議会会議録データベースを漁ってみると勤労の義務を提案していたのは竹山代議士ではなく、穂積七郎という議員。かなり熱心に勤労の義務を盛り込むべく主張を繰

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