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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (76)

  • 自分を疑う深い穴「春にして君を離れ」

    「自分を疑う」これが最も難しい。 誰かの矛盾を突くのは簡単だし、新聞などの不備を指摘するのは易しい。科学的説明の怪しさを探すのは得意だし、だいたい『言葉』や『記憶』こそあやふやなもの。しかし、そんなわたしが最も疑わない―――あらゆるものを疑いつくした後、最後に疑うもの―――それは、自分自身。わたしは、自分を疑い始めるのが怖くて、家族や仕事に注意を向けて気を紛らわしているのかもしれない。自己正当化の罠。 では、こうした日常の諸々から離れたところに放り出されたら? たとえば旅先で交通手段を失い、宙吊りされた場所に居続けたら? 読むも話し相手もいないところで、ひたすら自分と向き合うことを余儀なくされる。最初は、直近の出来事を思い出し、何気ないひとことに込められた真の意味を吟味しはじめる。それは次第に過去へ過去へとさかのぼり、ついに自己満足そのものに及ぶ。 クリスティーにしては異色作、誰も死なな

    自分を疑う深い穴「春にして君を離れ」
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: そろそろコンサルタントについて一言いっておくか

    コンサルタントの危ない流儀」はスゴ。身の毛もよだつ暴露ネタだけでなく、優れた(結果ドリブンの?)テクニックをもHackできる。コンサルタントも、そうでない人も、盗みどころ盛りだくさん。 最初にハッキリ言っておく、コンサルタントは、こんなに酷くない。 顧客を財布、しかも巨大な財布だと見なし、知ったかぶりの業界通を気取り、難解な経営用語で煙に巻き、「お客さまと一体となって」嘘八百を並べ、プロジェクトが焦げ付く前にトンズラする―― こんなコンサルタントは、ほとんどいない。 しかし、コンサルタントの手口は、著者の暴露するとおり。なぜ言えるかというと、わたし自身、コンサルタント・ファームとして中の人の経験があるから。面白おかしく脚色してるだけで、やってることはホント(書きっぷりは山形浩生氏に似てる)。 ■なぜ、経営者はコンサルタントに莫大なカネをつぎ込むのか? 従業員の給料を必死こいて削減する一

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: そろそろコンサルタントについて一言いっておくか
    tianbale-battle
    tianbale-battle 2011/02/20
    そういうえば、元IT屋の教授が「あいつらはクソだ」って言ってたなぁ・・・。
  • セカイ系の近未来SF「虐殺器官」

    スゴオフ@ミステリで惹かれて手にしてイッキ読み(カネヅカさんありがとうございます)。ガジェットとウィット満載で大いに楽む一方、マイノリティ・リポートとメタルギア・ソリッド(MGS)を足して割ったようなセカイにくたびれる。 延々続く「僕の語り」が特徴的で、過去と悪夢と現在を説明なしに並べてみせる。同じ脳内だから分け隔てしないよ、という手法は好きなんだが、骨子はかなり単純だ。個人認証による厳格な管理社会を突き進む「先進国」と、搾取と内戦と環境破壊が凄まじい「後進国」、キレイに分れた近未来。大量虐殺を引き起こす「虐殺の器官」を追う米軍特殊部隊のエリートが主人公で、徹頭徹尾、彼のモノローグに付き合わされる。 この「語り」が面白い。自分(の感情)をつき放して論理を積み上げる冷静さと、母の半生をうじうじ思い悩むマザコン根性が代わりばんこに浮かんできて妙にリアルだ。冷たいユーモアも笑える。屠殺した鯨や

    セカイ系の近未来SF「虐殺器官」
  • 美しさは数学で説明できる?「デザインのための数学」

    デザイナーのための数学入門。 あつかう数学ネタは、なじみの深いものばかり。だが、「デザインと数学」という観点に照らすと、両者の緊密な関係が見えてくる。デザインって「感性」が幅を利かすものだと思い込んでいたが、数学的な裏が取れている「美しい」「カワイイ」「かっこいい」がある。なお、書は、東京工芸大学芸術学部において行ってきた授業をもとに作られており、CGやペーパークラフト、スピログラフを使う実践的なもの。 冒頭いきなり質問―――「最も美しいデザイン」とは、どんなデザインなのか?でも大丈夫、著者は即答してくれる。最も美しいデザインは、自然の中に潜んでいるという。そして、自然の中に見出すことができるデザイン―――シンメトリー、らせん構造、自己複製から、フィナボッチ数、黄金比、白銀比、フラクタル、カオスといった「美の中に潜む数学」を展開してゆく。同時に、「なぜそれが美しいのか?」について持論をつ

    美しさは数学で説明できる?「デザインのための数学」
  • プレゼンを上達させる三冊

    昔の蔵出し。プレゼン上達のための三冊。要するに場数の問題なのだが、もっと準備するべきところがあるのでは?備えあればうれしいな、といえる三冊を選んだ。週刊アスキー2010年1月5・12日号のレビューを転載(編集部より許可済)。 「プレゼンテーションZen」は、読むだけでプレゼンが上達する。いや、「見るだけ」で上手くなる。なぜなら、書そのものが優れたお手になっているから。巷に数多のハウツーとは一線を画し、優れたプレゼンへのメソッドではなく、アプローチや心構え、哲学を提示する。プレゼンといえばパワーポイントを弄ることだと思っているなら、「まず、パソコンから離れろ」という提案は新鮮かも。重要なのはストーリーテリング(物語)で、スライドはその「演出」にすぎないという。だから最初は紙とエンピツだけで、「何が言いたいのか、なぜそれが重要なのか」に向かい合えというのだ。詳しい紹介は、「プレゼンテーシ

    プレゼンを上達させる三冊
  • ゲームで子育て「レッド・デッド・リデンプション」

    Z指定のゲームで子育て。 「ゲーム脳」を信じる人がいる。ならばゲーム暦ン十年のわたしなんざ、汚染されまくっとるわい。ゲームを目の仇にして、親の不甲斐なさを棚上げするのは止めにしよう。むしろ、ゲームは現実のシミュレーターだ。現実の人生は一回こっきりだが、ゲームはやり直せる、くり返せる。 これまで子どもに、「ロードランナー」や「イナズマイレブン」をやらせてきた。時間を決めて、時にはエンドレスで「クリアするまで試行錯誤する」に挑戦させてきた。失敗したり負けたりするたび、気で泣いたり怒ったりしながら、それでも工夫を重ねてきた。リアルが失敗・即・終了を強要するなら、ゲームで「失敗の練習」を積んでほしいんだ。当の失敗とは、転ぶことではなく、起き上がらなくなることなのだから。 いっぽう、ゲームを通じ、子どもに「現実」を与えてきた。わたしの子供時代と異なり、いまの新聞テレビから巧妙に「死」が隠されてい

    ゲームで子育て「レッド・デッド・リデンプション」
  • 子どもじゃなく大人が楽しむ「理科読をはじめよう」

    理科読(りかどく)とは、科学系のを読もうということ。 「子どもの科学離れ」と言われているが、科学離れしてるのはオトナだよね?「理解できないもの=不必要なもの」と硬直思考→切捨てるシワケ人ならぬタワケ人がいるが、とうに不安を通り越している(だいじょうぶかニッポン)。とはいうものの、わたし自身が好むは、小説をはじめとした、いわゆる「物語」だ。科学やドキュメンタリーは、なかなか手を出さない。その影響か、わが子が手にするのは、「ゾロリ」「デルトラ」「サーティナイン・クルーズ」と見事なまでに物語ばかり。 これではいかんと思うのだが、何を読めばいいのやら皆目わからん。福音館書店の月刊「こどものとも」シリーズは素晴らしかった。ストーリー/サイエンス/ヴィジュアルとバランスの取れた配をしていたので、大変ありがたかった―――のだが、いかんせん幼児・低学年向けなのだ。中高生になれば自分で選べる(選ぶ)

    子どもじゃなく大人が楽しむ「理科読をはじめよう」
  • 人はなぜレイプするのか

    レイプについて、進化生物学から答えている。 挑発的なタイトルや表紙とは裏腹に、まじめに、科学的に解き明かす。そして、オブラートにも修辞学的にも包んでいない、ある種の人びとの逆鱗を掻きむしるような結論に達する。さらに、こんなを出せば大騒ぎになることを織り込んで、ある種の人たちの「主張」のいちいちに反証をあげている。 まず結論から。なぜ男はレイプし、女は苦痛を感じるのか?その理由は、養育の投資量に男女差があるからだという。 つまりこうだ。女は妊娠、出産、授乳に多大な時間とエネルギーを費やさなければならない。だから男選びも慎重になる。レイプは父親を選べず、子育てを困難にするため、女に大きな苦痛をあたえることになる。いっぽう男は養育投資が少ないことから、繁殖のため、多数の相手に関心を向けることになる。そんな男のセクシュアリティの進化が、レイプの究極要因だという。要するに男は色を好み、女は選り好み

    人はなぜレイプするのか
  • 子離れのすすめ「13歳からの心を強くする子育て」

    親の目的は、「わが子を大人にする」に尽きる。 そして、あらゆる子育ては、「そのためにどうする?」を語ったもの。それ以上でも以下でもない。 もし、プラスアルファとか別の「目的」をわが子に見出した場合、無理強いや歪みを引き起こす。どんな時代にも、おかしな親がいる。自分が果たせなかった夢を子どもに押し付けたり、自分の思い通りにわが子を操ろうとしたり(わたしの子ども時代には、『母原病』なる言葉が流行った)。わが子は小学校の高学年。そろそろ難しい年頃にさしかかる前に、予習のつもりで読んでみる。予想通り、厳しい(でも王道の)言葉が並んでいる。 書の真髄はここになる。 赤ちゃんは、肌を離すな 幼児からは、肌を離しても手を離すな 小児からは、手を離しても目を離すな 少年からは、目を離しても心を離すな ← ここ もちろん「少年」に限らず「少女」も同じ。肌をくっつけ存在を知らせ、手を引いて歩き、迷わないよ

    子離れのすすめ「13歳からの心を強くする子育て」
  • 「ヴァギナ」はスゴ本 【全年齢推奨】

    知ってるつもりのヴァギナが、まるで違ったものに見えてくる。 のっけからのけぞる。モザイクかかっているものの、ヴァギナそのものが誇らしげに表紙に掲げている(遠目だとちゃんと認識できる)。表紙だけでなく、子を産むヴァギナや、常態のヴァギナなど、普通では見られない写真や図版も豊富にある。写真だけでなく、科学や宗教、歴史、神話と伝承に、文学と言語、人類学、芸術の幅広い資料から徹底的に調べ上げている。 そして、偏見と妄想をとっぱらったヴァギナを多角的・広角的に紹介する。同時に、ヴァギナに対する文化的・科学的バイアスを指し示すことで、どれだけ歪んだヴァギナ・イメージに染まっているかをあぶりだす仕掛けになっている。これを読むことで、男女問わずヴァギナ観がガラリと変わることを請合う。 まず、神話や伝承、民俗学では、恐れ敬われ、魔よけともなる力強い姿が紹介される。さまざまな神話や伝承が示す、着衣をまくりあげ

    「ヴァギナ」はスゴ本 【全年齢推奨】
  • がんを覚悟する生き方

    別に宣告されたわけではないのでご安心を。 ただ、充実した医療サービスが受けられる日人でいるかぎり、わたしを「殺す」方法は、かなり限定されている。自殺は、メンタル面でフラグ回避を心がけている。交通事故はそこらの歩行者・運転者よりも気をつけている(もちろん"運"の要素もあるだろうが)。 統計によると、わたしの死因は「がん」になる。 実は、身近な人をがんで亡くしている。彼の、日常を続けることに極端にこだわった生き方は、いまのわたしにも影響を与えている。というのも、いま、ここの、わたし自身が日常生活にこだわっているから。自分のカラダを意識してべる。排泄に注意し、睡眠に気を配る。家族とのコミュニケーションは、一期一会といったらはおおげさだが、いずれ別れるときをアタマの隅においている。 同時に、フィクション・ノンフィクションを問わず、映画からもそういう「覚悟」めいたものを受け取っている。ひとが

    がんを覚悟する生き方
  • 金融再編残酷物語「システム統合の正攻法」

    Day2の大営発表。 Day2とは"Project Day 2"のことで、東京三菱とUFJの勘定系を統合させた、史上最大のプロジェクトだ。書は、日経コンピュータの記事を元に、Day2のケーススタディとして編纂されている。プロジェクトマネジメントとシステム統合の文字通り「生きた教科書」といえる。ただし鵜呑むのは禁止な、経営層の大営発表を元に作られているのだから。「涙の数だけ強く慣れるよ」(誤字ではない)とつぶやきながら読むべし。 Day2がいかにデカいかは、次の数字が物語る。 11万人月 2500億円 開発に3年 6000人の技術者 8万人のシステム利用者 比較のために添えておくと、みずほ銀行のシステム統合(2004.12完了)は9万人月、郵政民営・分社化に伴うシステム対応(2007.10完了)は、4万3000人月になる。Day2がいかにケタ違いであるかがよく分かる。これに加え、チーム

    金融再編残酷物語「システム統合の正攻法」
  • 脱怒ハック「怒りについて」

    怒らずに生きる技術。つまらないことにイライラせずに生きたいもの。 実をいうと、わたしはかなり怒りっぽい。頭からっぽの政治家に毒づき、無脳なキャスターは○ねばいいのにと気でヒートアップする。子どもの反発に腹を立て、嫁さんと口論しては感情的になる。朝から晩までプリプリしてる日もある。 だからこそ、怒らずに生きるにはどうすればいいか、考えて、読んで、試した。その過程+とりあえずの結論は、「怒らないこと」はスゴや、正しい怒り方になる。左記のエントリには書かなかったけれど、コヴィー「7つの習慣」とアーヴィンジャー「箱」にはお世話になったっけ。 そして今回、ローマの賢者・セネカの「怒りについて」で思った、これは「脱怒ハック」だってね。怒りそうになったら、脱兎のごとく逃げ出そう。これぞ脱怒ハックなり。つまり、怒りに満ちた人生を脱出するための技術が(おぞましい具体例つきで)紹介されているのだ。「怒る技

    脱怒ハック「怒りについて」
  • 「怒らないこと」はスゴ本

    怒らずに生きるための一冊。 自分を壊さないための怒り方として、[正しい怒り方]を書いた。この記事がきっかけになって、書に出会う。著者はスリランカ上座仏教の長老で、アルボムッレ・スマナサーラという。「怒り」に対する考えや姿勢を、わたしの記事なんかよりも、ずっと分かりやすく・直裁に具体的に紹介している(誓っていうが、これをタネにしてませんぞ)。怒りのない人生が欲しい方へ強くすすめる。わたしにとって、「それなんて俺」的な確認のための読書となった。次にわたしが「怒る」とき、よりその質を観ることができるだろう。 ■ 「怒り」について、誰も知らない 最初に著者は挑発する、「怒り」について誰も知らないと。「怒るのは当たり前だ」と正当化したり、「怒って何が悪い?」さもなくば「怒りたくないのに、怒ってしまう」という人は、自分にウソをついていると断言する。「当は怒りたくない」なんて言い訳して、ホントは

    「怒らないこと」はスゴ本
  • おもしろうてやがて悲しきコンドーム「コンドームの歴史」

    良いコンドームで、良い人生を。 コンドームを軸に、文化史、医学史、宗教史、技術史を横断的に俯瞰しながら、避妊具から性病予防、奇想天外な使い方を紹介する。そして、人類に対し、この道具がいかに偉大な役割を果たしているかに気づき、驚かされるだろう。次に使うときは、おもわずまじまじと見つめてしまうに違いない。 コンドームの歴史は避妊技術歴史。ファラオまでさかのぼると、パピルス製のコンドームが登場する。紙のコンドームをつけてまでいたすとは、間違った畑に種をまくという事態を権力者がどれほど心配していたかを如実に物語っている。布製だったり魚の浮き袋や腸を使ったりと、涙ぐましいテクノロジーの進歩(?)が語られる。今なお残る最古のコンドームは、1640年にブタの腸で作られているそうな。洗えば再利用可能で、さすがスウェーデン製、エコだね。いっぽう最新のコンドームはオカモト製で、0.02mmという驚異的な薄さ

    おもしろうてやがて悲しきコンドーム「コンドームの歴史」
    tianbale-battle
    tianbale-battle 2010/03/31
    >サガミが段違いに素晴らしい。「つけてない」つけ心地は、装着後に息を吹きかけてみれば分かる。隔てるものはなにもない。
  • 正しい怒り方

    子どもに「怒り」を教える話。 わたしの息子は怒りっぽい。理由は至極かんたんだ、わたし自身が怒りっぽいから。無茶な割込みをかけるセルシオに怒鳴り、脱税は謝りゃいいんでしょと嘯く政治家は○ねと呪う。教える親こそ未熟者だね。 ささいなこと……計算ミスに気づいたり、誤字を指摘されたりすると、ムキーとなる息子に、「ガマンしろ!」と叱りつけそうになって、ハッと気づく。これは、わたし自身が小さい頃からいわれ続けてきたこと。そう、怒っているときに「怒るな」と強要されることほど理不尽なことはない。だが、わたしは言われ続けた。我慢しなさい、お兄ちゃんなんだから。こらえなさい、もう高学年(中学生、高校生)なんだから、恥しいことだと分かるでしょ? その結果どうなったか?自分の「怒りの感情」とは、抑えるべきもの、こらえるべきものだと教えこまれた。怒りとはウンコのようなもので、適切な場所で排出する以外は、その兆候を漏

    正しい怒り方
  • プリキュアで性教育

    Tumblr で見かけた名問答。 Q. プリキュアは何と戦っているのか? A. マンネリズム せらむん化したり、しゅごキャラ化したり、今度はどれみか……と思いきや、どうやら趣がちがう。思いっきり下品で笑った。ほらあれだ、ココロの種というやつ。プリキュアの精霊の子が感極まると、踊りつつ尻をこっちに向けて、「ココロの種が産まれるですぅ~プリプリッ~」と叫びながら粘液状の黄色ブツを噴出するのだ!で、その粘液は赤や青に変色して、「ココロの種」という固形物になる。 「これって、ウンチじゃんwww」とテレビ指差して爆笑してると、娘が逆上する、「ウンチじゃないもん!」。そして、「ぜったいにゆるさない!」とキックやパンチをしてくる。痛い。プリキュアのせいで女児が暴力化していることは事実のようだ。せつないナリ。小町娘のかれんさを求める父の祈りは、のぞみ薄のようだ。だが娘よ、それをいうなら、「かんにんぶくろの

    プリキュアで性教育
  • 「外注される戦争」から除外されているもの

    表紙はおどろおどろしいが、いわゆるタテマエの面からこの市場をレポートしている。P.シンガー著の「戦争請負会社」に比べると、歯にモノが挟まったような言い方だなぁ、なんでだろーなんでだろーと読みつづけ、ラストの「あとがき」で腑に落ちる。 2005年半ばに英国PMC大手アーマー・グループを訪れて取材をしたのだが、日法人の設立を検討中だった同社から後に連絡を受け、なんと2006年夏に同社の日法人にコンサルタントとして加わることになったのである。研究者としては決して見ることのできなかったPMCの生の活動に接するまたとないチャンスである。これからは、テロ戦争ビジネスの最前線を、「インサイダー」としてフォローしていくことになる。 なんてことはない、中の人になってしまったんだね。魂を譲り渡したことに気づかず、むしろ「チャンス」だと小躍りしている様子がこっけいだ。 それでも、戦争請負会社の最新のオモテ面

    「外注される戦争」から除外されているもの
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる : ついに「隣の家の少女」を超える劇薬を読む

    (このエントリには残酷な描写がありますよ) 怒り、恐れ、憎しみ、悲しみ…負の感情を与える小説を探してきた。特に読後感がサイアクの気分を味わえるような、そういう小説を探してきた。読むだけで嫌悪感、嘔吐感、恐怖感を掻き立てる、イヤ~な気分にさせる小説。「感動した!」「お涙ちょうだい」なんて糞喰らえ。読んだ記憶ごと抹消したくなる"劇薬"をよこせ。 …という企画「劇薬小説を探せ!」[参照]で、皆さまのオススメを片端から読んできた。一口に"劇薬"といってもカゼ薬からシアン化ナトリウムまでいろいろ。 「隣の家の少女」という劇薬 毒素の高いものランキングすると、こうなる こうなっていた。 1.隣の家の少女(ジャック・ケッチャム) 2.獣舎のスキャット(皆川博子) 3.暗い森の少女(ジョン・ソール) 4.ぼくはお城の王様だ(スーザン・ヒル) 5.砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(桜庭一樹) 6.蝿

  • 死とは、最後の苦痛にすぎない「老いぼれグリンゴ」

    革命時のメキシコを舞台とした、エロマンティックな愛憎劇。 実はハナシはシンプルだ。老いた男と、若者と、女が出会って別れる話。老いた男は死に場所を求め、若者は革命を求め、女は最初メキシコを変えようとし、最後はメキシコに変わらされようとする物語。「女ってのは処女が売春婦かどちらかなんだ」とか、「世界の半分は透明、もう半分は不透明」といった警句が散りばめられており、ヒヤリとさせられる。 しかし、「語り」が断りなく多重化したり、「今」が反復ヨコ跳びしており、読みほぐすのに一苦労する。「ひとり彼女は坐り、思い返す」――この一句から始まり、要所要所で形を微妙に変えつつ挿入されている。読み手はこれにより、彼女視点から時系列に描かれるのかと思いきや、別の人物のモノローグや観察に移ったり、いきなり過去話に飛ばされる。ときには地の文に作者の意見がしゃしゃり出る。まごまごしていると、「ひとり彼女は坐り、思い返す

    死とは、最後の苦痛にすぎない「老いぼれグリンゴ」