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太平洋戦争に関するtimetrainのブックマーク (5)

  • 「大人しく欧米の植民地になって地獄を見るか、多数の犠牲を覚悟で戦争に勝つ可能性にかけるか」という問いかけは果たして妥当か?

    Tomofumi Yamagishi(ふみふみ) @JV57371 戦死者を「祖国のために命を捧げた方々」と都合よく美化するなよ。彼らは国に殺された人々。亡くなり方も悲惨な人が多かった。ガダルカナル、インパール…病死餓死、病気になり動けなくなり仲間から見捨てられ、死体を残された人達がらう…それが戦争の現実。変に美化すると真実が見えなくなる。 2016-12-30 10:08:13 田山たかし @neon_shuffle 半分は正しいんだけど、この手の主張は「戦争をしなければ幸せに暮らせたのか」という視点がゼロなのが弱点。 QT @musicman_amp: 戦死者を「祖国のために命を捧げた方々」と都合よく美化するなよ。彼らは国に殺された人々。亡くなり方も悲惨な人が多かった。ガダルカナル、イン… 2016-12-30 10:23:22

    「大人しく欧米の植民地になって地獄を見るか、多数の犠牲を覚悟で戦争に勝つ可能性にかけるか」という問いかけは果たして妥当か?
  • 真珠湾攻撃に新説 「訂正」打電遅れ、陸軍が指示? 大使館は清書できず - 西日本新聞

    九州大学記録資料館の三輪宗弘教授が発見した2通の電報記録。外務省が在米日大使館に発信したもので、これらが「訂正電報」とすれば、急を要するはずの対米覚書の訂正を、外務省は半日以上遅らせていたことになる。  その理由を三輪教授は「陸軍参謀部が米国に開戦の意図を察知されぬよう、わざと遅らせ、外務省も協力した可能性が高い」とみる。着目したのは、いくつかの他の電報の存在だ。  米東部時間で1941年12月6日午前9時54分、米国人タイピストの使用禁止を指示(表の1)。14部の発信から約2時間後の7日午前4時18分、大使館に初めて、米政府に「(7日)午後1時に通告」するよう指示している(2)。外務省は事前に、対米覚書が開戦通告という極めて重大な文書であることを大使館に伝えていなかった。  同午前4時44分には、電報を解読するための暗号機3台のうち、2台の破棄を命令した(3)。開戦後の米政府による押

    真珠湾攻撃に新説 「訂正」打電遅れ、陸軍が指示? 大使館は清書できず - 西日本新聞
    timetrain
    timetrain 2016/12/26
    残ってる資料は、他の資料がないことを保証しないわけか
  • 「「レアメタル」の太平洋戦争 なぜ日本は金属を戦力化できなかったのか」 - 偏読日記@はてな

    「レアメタル」の太平洋戦争: なぜ日は金属を戦力化できなかったのか 仮に当時の日に資源が潤沢にあったとしても、やはり太平洋戦争には負けているだろう。それは「いかに金属を戦力化するか」、つまり「金属で優れた兵器を効率的にたくさん作る」という根的な戦争の手段において、日は太刀打ちできなかったからである。 (Amazon商品詳細ページより) まず始めに言っておきたいのは、書の「レアメタルの~」というタイトルにはだいぶ偽りがあること。レアメタルの話題を扱っていないわけではないものの、どちらかと言えば金属全般を扱う延長としてレアメタルについても語っているという方が正しいです。 「金属利用から見る太平洋戦争」とでもしたほうが内容をきちんと反映しているでしょう。 とはいえ、タイトルが内容を表していない点を除けば非常に面白いであることは確か。 戦争のタンパク質「銅」、戦争の骨格「鋼」、戦争のビ

    「「レアメタル」の太平洋戦争 なぜ日本は金属を戦力化できなかったのか」 - 偏読日記@はてな
    timetrain
    timetrain 2013/10/09
    「鉱脈のある地域を占領してもろくに鉱山を開発できず、鉱山地帯から港まで輸送する鉄道の整備もなく、既に連合国が開発済の鉱山を占領しても生産量がガタ落ち。ようやく生産した鉱石も戦争末期になると輸送船が無い
  • 大使館怠り説を覆す? 真珠湾攻撃、遅れた最後通告 新事実、通信記録を九大教授発見 修正指示は半日後 外務省の故意か - 日本経済新聞

    1941年12月8日の日米開戦をめぐる新事実が明らかになった。最後通告の手直しが遅れ、米国に「だまし討ち」と非難された問題で、修正を指示する日から大使館への電報が半日以上を経て発信されていたことを示す傍受記録が米国で見つかった。これまで不明だった発信時刻が判明。

    大使館怠り説を覆す? 真珠湾攻撃、遅れた最後通告 新事実、通信記録を九大教授発見 修正指示は半日後 外務省の故意か - 日本経済新聞
    timetrain
    timetrain 2013/01/10
    腐っていたのは枝葉ではなく幹だったという。
  • キスカ島撤退作戦 - Wikipedia

    キスカ島撤退作戦(キスカとうてったいさくせん)は、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)5月27日から7月29日に行われた、日軍のキスカ島(アメリカ合衆国アラスカ準州アリューシャン列島内)からの守備隊撤収作戦のことである。 正式名称はケ号作戦。北方部隊指揮官河瀬四郎第五艦隊司令長官が総指揮を取った。 第一期撤収作戦は、5月下旬から潜水艦による作戦が実施された。しかし成果の割には損害が多く、また効率も悪かったため6月下旬をもって打ち切られ[1]、水上艦艇による撤退作戦に切り替えることとなった[2]。 第二期撤収作戦は、第一水雷戦隊司令官木村昌福少将が収容部隊を指揮した。同艦隊がキスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日軍が無傷で守備隊全員の撤収に見事に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。 1942年6月6日、キスカは日軍に占領された。同島で旭日旗を掲げる海軍陸戦隊の将兵

    キスカ島撤退作戦 - Wikipedia
    timetrain
    timetrain 2011/11/07
    アッツ島の裏であった奇跡のような話。しかしやはり指揮官の判断は大きい……
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