進撃の吹雪れん @cos252521 これ欲しいな 紙媒体だけど、そもそもが昔の地図だから情報が古くなって使い物にならなくなるってこともそうそう無さそうだし twitter.com/tqwu1atsyhvq8b…
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海賊たちは黄金を目指す 日誌から見る海賊たちのリアルな生活、航海、そして戦闘 作者:キース・トムスン東京創元社Amazonこの『海賊たちは黄金を目指す』は、1600年代の後半、スペインの海や街を荒らしまわり、破滅的な戦闘を幾度も乗り越えてきた伝説的な海賊たちの日誌をもとに、その冒険を描き出した一冊である。「海賊ノンフィクションに外れなし」と僕が勝手に思うぐらいには海賊について書かれたノンフィクションはおもしろいものが多い。 本書もその例に漏れないどころか、数多ある海賊ノンフィクションの中でも群を抜くおもしろさだ。原題「BORN TO BE HANGED」(絞首刑になるために生まれてきた)が示すように、自分の命を投げ売ってでも大金を手に入れ、敵を殺すぞ! という破滅的な気性。船や街を襲って大量の金を手に入れても、船内の賭博で金をすべてスってしまい、マイナス分を取り戻そうとしてまた別の街を襲い
2023年09月12日07:00 カテゴリ豆知識 【一般】ミッドウェー海戦で沈没した航空母艦「赤城」が深海で見つかった模様! 30: 名無しさん@おーぷん 23/09/11(月) 08:42:29 ID:bf.jz.L19 アメリカの探査チームの潜水艇が赤城の調査のライブ放送してるのって既出でち? ちなみに昨日はヨークタウン調査してた First sight of the #shipwreck of the #WW2 Imperial Japanese Navy aircraft carrier Akagi, scuttled on 5th June 1942 after damaged suffered at the Battle of Midway. (via the @EVNautilus #live feed) https://t.co/67485jykwk pic.twitter
戦後アメリカ人の日本でのレイプマジでえぐいで 記録に残っている集団強姦事件 東京都の事例 スヴォボダおよび田中の調査によれば、1946年4月4日の深夜、3台の軍用トラックに便乗した米兵50人が東京都大森区(現・大田区)の中村病院に侵入し、号令の笛とともに約一時間の間に女性患者40人、女性職員37人を回姦凌辱した[16]。被害者のうち、2歳の幼女は事後床にたたきつけられ死亡したほか、止めに入った男性職員一名が殺害された[16] 名古屋市の事例 また、田中によると、同1946年4月11日に名古屋市の住宅街に侵入した30人から60人の米軍兵士が地域内の電話回線を切断後、各家屋に同時に侵入し、10歳から55歳の女性を強姦している[17]。 ダワーの調査によるとRAAが活動終了した1946年以降、日本人女性に対する占領軍将兵による強姦件数は一日平均40件から一日平均330件に急増した[13]。 在日
鉄製の剣の柄頭(つかがしら)を保護する発泡スチロールの位置を調整する保存修復師。この剣は、紀元2世紀後半にローマ軍の兵士がよく使っていたタイプのもので、環状の柄頭を特徴とする。イスラエルのエン・ゲディ自然保護区の死海の近くの洞窟で最近発見された4本の剣のうちの1本で、現在はエルサレムにあるイスラエル考古学庁のジェイ&ジーニー・ショッテンシュタイン・イスラエル国立考古学キャンパスの空調管理された保管庫に置かれている。(PHOTOGRAPH BY PAOLO VERZONE) 9月6日、死海の近くの洞窟で古代ローマ時代の剣が4本発見されたとイスラエル考古学庁が発表した。剣は木と革でできた鞘(さや)の中で2000年近く保存されていて、その状態は驚異的に良好だという。 剣は、エルサレムの南東に位置するユダヤ砂漠の洞窟の奥深くで、鍾乳石の壁の後ろに隠されていた。隠された時期は紀元2〜3世紀で、当時、
シンプルピーチのチケットはキャンセルできない!?お金を無駄にしないベストな方策「運賃種別」の変更法を解説!
吉原は公許の遊廓である。そのため、吉原の遊女は公娼(こうしょう)だった。 江戸幕府は、吉原以外での売春、つまり私娼(ししょう)を禁じた。しかし、これはあくまで建前であり、実態は野放しに近かった。 江戸の各地には岡場所と呼ばれる私娼街がたくさんあり、公然と営業していた。町奉行所は見て見ぬふりをしていたといってよい。 ところが、天明七年(1787)に松平定信が老中に就任し、断行した政治改革――寛政の改革は、杓子定規そのものだった。私娼は厳禁され、江戸市中の岡場所はすべて取り払われた。 寛政年間の見聞を記した『梅翁随筆』(著者不詳)は、岡場所の取り払いは徹底していたと記したあと―― 夫より町に住て色を売る事あたはざるゆへ、女商人と成り提重へ菓子を入て、屋しきの部屋々々、辻番所に入来り情を商ふと成。此女を提重と異名して大に流行せしが…… と述べている。 本来、提重(さげじゅう)は提重箱の略である。
私がかつて戦ったミャンマーのカレン州(現カイン州)は、大戦中旧陸軍が展開した地域のひとつだ。特に終戦直前は、北部の山岳地帯にいた部隊の撤退路にもなったという。そこには今でも、はかなく散った日本兵の無念の想いが残されているようだ。 「おい、聞けって…ほんまやって」 とある早朝の事だ。サルウィン川とモエイ川の合流地点ほど近くにあった、カレン民族解放軍司令部マナプロウ(当時)。そこで、マラリアを発症して寝込んでいた日本人の戦友Aが、必死に我々に訴えていた。 「夢でも見たんだろ。うなされとったし…」 「ほんまに出たんやって!声までかけてきよったし…」 まだ熱は下がっていなかったが、Aの目は真剣そのものだった。 彼の話によるとこうだ。 深夜目を覚ますと、部屋の中に人の気配を感じたそうだ。その方向に目をやると、少し離れたところに、ボロボロの軍服を着た日本兵が柱にもたれかかるように座って、じっとAを見つ
日本赤十字社東京都支部は関東大震災から100年になるのにあわせて当時を描いたとされる絵画を題材に生成AIを使って新たな「証言」を作り、展示する催しを25日から開く予定でしたが、中止すると発表しました。 AIが作り出した文章を「証言」と表現することに懸念する声が上がっていて、支部は「より慎重な検討が必要だったと深く反省している」としています。 日本赤十字社東京都支部では、100年前の関東大震災について関心をもってもらおうと当時の救護活動を描いたとされる大正時代の絵画を元に生成AIを使ったプロジェクトを始めました。 まず、絵に描かれた20人の被災者を写真のような肖像画にしました。 そして、被災者の体験談などの文献からあわせておよそ60万字をデータベースにしたうえで、肖像画の人物が語ったような「新証言」を作り、あすから支部などで展示を行う予定でした。 ところが、支部によりますと、AIが作り出した
神奈川県の中央部を流れる相模川。その下流域にあたる茅ヶ崎市には、「旧相模川橋脚」という史跡が存在する。 人知れず水田の地下に眠っていた鎌倉時代の橋脚が、ちょうど100年前の大正12年(1923年)に発生した関東大震災の液状化現象によって地上に現れた、全国的にも貴重で珍しい遺構である。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:範囲図の境界を攻める(デジタルリマスター) > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 相模川に架けられた鎌倉時代の橋 「旧相模川橋脚」が存在するのは、旧東海道を踏襲する国道一号線のすぐ側だ。東
旧日本軍で細菌戦などの研究を行っていたとされる「731部隊」の「職員表」などの公式文書が残されていたことがわかりました。 731部隊に関連した文書は終戦時に軍から処分が命じられていて、発見した専門家は「部隊の実態を解明していく上で重要な基礎資料になる」としています。 文書は旧満州に駐屯していた関東軍が1940年9月に作成した報告書で、明治学院大学国際平和研究所の松野誠也研究員が国立公文書館で保管されている文書から発見したものです。 100ページ余りに及ぶ報告書の中に731部隊に関する内容も含まれていて、▼「関東軍防疫部」という名称から731部隊の正式名称として知られる「関東軍防疫給水部」に改称したことや、▼隊員を増員して組織の拡充を図ることが記されています。 さらに、隊員の氏名や階級などが記された「職員表」も添付されていて、731部隊の部隊長・石井四郎をはじめとする幹部や技師として加わって
路地師 @roji_shi 部屋に入ったら蒸し暑くて「まさかクーラーなし!?」と思ったら「古いけどこれ使ってください」と館主 ※よく効く pic.twitter.com/5Mk1A5nrve
我々が上陸したのは電気も道路もないフィリピンの小さな島。出迎えてくれたのは「私たちは日本人なんです」という高齢の女性でした。その後もフィリピン各地で「自分は日本人」という人たちに次々遭遇。こんな秘境になぜ? 彼らは国籍を持たない残留日本人2世でした。フィリピンには戦前、多くの日本人が移り住み、麻の栽培などに携わっていました。現地のフィリピン人女性と結婚し、家族を作る人も多く、最盛期の日系人コミュニティーは3万人に上ったといいます。 しかし、日米の開戦とともに、現地で暮らしていた邦人は日本軍への戦争協力を強いられます。寺岡カルロスさんは母と弟、妹を米軍の攻撃で亡くし、長兄は日本軍にスパイ容疑をかけられ銃殺、次兄はフィリピンゲリラに殺されました。 戦後、残留日本人2世にはさらなる苦難が続きます。激しい反日感情が続くなか、身を潜めて暮らすばかりか、当時のフィリピンは父親の国籍に属すると定められて
シャマロテのパパ @lymonthethunder @masyuuki 自分も買ってはいましたが読んでもピンと来ませんでした。逃げ上手がジャンプで始まって読み直したらスルスル入ってきました。今では新刊の発売日が待ち遠しい。 自分も鎌倉殿見るべきかなぁ。
国家の命運を賭けた太平洋戦争で、陸軍と海軍が対立していたのは有名な話だが、補給のための船を出し渋る海軍に業を煮やした陸軍が、独自に潜水艦建造に乗り出していたことはご存じだろうか。 海軍には頼らないという方針のもと、大急ぎで建造した潜航輸送艇・通称「まるゆ」は、沈むのにもひと苦労、時速15キロほどのノロノロ運転、中にはトイレすらなく…。 陸海軍対立の末の「失敗作」として語られることもある「まるゆ」。今回発掘された新史料から浮かびあがってきたのは、携わった人々の努力と、組織の歯車になる中で苦悩する姿だった。 (NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」取材班 長野怜英) 新たな史料を発見したのは、太平洋戦争中の日本軍の兵器を調査してきた研究家・国本康文さん。「第七陸軍技術研究所・参謀本部第十課」がまとめた「Germania造船所に於ける潜水艦建造に就きて」だ。ドイツ軍の潜水艦の設計図や、各
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