来年(2025)は「戦後80年」、そして「昭和100年」にあたる。太平洋戦争(大東亜戦争)の第一線で戦った将兵は概ね明治末期から昭和初年までに生まれた人たちだったが、約230万人が戦死、民間人を合わせると310万人もが犠牲になったとされている。そして、戦争を生き抜いたその世代の人たちは、価値観の一変した世の中に戸惑いながらも、さまざまな分野で戦後の日本復興の礎となった。 ここでは、今年4月に上梓した私の新著『決定版 零戦 最後の証言1』(光人社NF文庫)より、真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットで、戦後は日本人初のジャンボジェット(ボーイング747)の機長となった男のエピソードを紹介しよう。 波乱に満ちた生涯 「最近は人も訪ねてこないし、子供たちも日中は出かけていて、物音ひとつ聴こえないこの部屋に一人でいると、生きてるのか死んでるのかもわからなくなります」 東京・世田谷の閑静な住宅地の一角に