太平洋戦争中に金属不足で鋳造が始まったが、終戦で発行されなかった陶製の貨幣約50万枚が、当時の製造会社(京都市東山区)の敷地内にある倉庫から発見されたと造幣局が9日発表した。 発見されたのは、木箱1…
太平洋戦争中に金属不足で鋳造が始まったが、終戦で発行されなかった陶製の貨幣約50万枚が、当時の製造会社(京都市東山区)の敷地内にある倉庫から発見されたと造幣局が9日発表した。 発見されたのは、木箱1…
(CNN) 「太平洋の幽霊船」として知られる米海軍の駆逐艦の残骸が、カリフォルニア州沿岸の海底探査によって見つかった。 「USSスチュワート」は1946年5月の米海軍の演習中、意図的に沈められたが、その地点がこのほど明らかになった。共に探索に関わったエア・シー・ヘリテージ・ファウンデーションとサーチ・インクが1日に発表した声明で述べた。 海洋探査を手掛ける米企業オーシャン・インフィニティーが投入した自律型無人潜水機3機が、カリフォルニア州北部沖の海洋保護区の海底を8月1日から24時間にわたり調べていた。ソナーやマルチビーム音響測深のデータから、スチュワートが海面下1036メートルの地点に眠っていることを突き止めた。 米サンフランシスコ湾に到着したUSSスチュワートの写真=46年3月/Donald M. McPherson/Naval History and Heritage Command
ごみに見えるボロボロの紙ですが、大日本帝国陸軍騎兵第14連隊の献立表です。平時の兵営の食事から見えること。 収蔵資料は、軍隊生活を伝えるものもけっこうあります。軍隊の当事者となるのも庶民ですので、そのあたりの情報もそこそこ集めました。 表題写真と下写真は、満州事変当時、長野県上水内郡七二会村(現・長野市)から出征して千葉県津田沼の騎兵第14連隊に所属した兵士の関連書類に偶然残っていた献立表です。1932(昭和7)年の2月7日から20日まで1週間ごとの献立表が2枚、少し飛ばして3月20日から4月9日まで同様に1週間ごとの献立表3枚、そして献立表の書式が10日ごとに変更された最初の献立表1枚で、4月11日から20日までを記載。6枚合わせて45日分の兵営の食事が分かります。 6枚45日分の献立表 騎兵第14連隊は同年6月に満州へ派遣されますので、その直前の兵営での食事です。品目のみの記載とはいえ
鳥居 @shinmeitorii1 NHK、真夜中にこんな凄まじい番組を全国放送するなってば 沖縄戦の死者で沖縄県民の次に多いのは北海道出身の兵士だった。残された僅かな記録を手がかりに、亡くなった兵士たちの姿が浮かび上がる 30日までプラスで配信中 北海道スペシャル「北海道兵、10805人の死」 plus.nhk.jp/watch/st/g1_20… リンク NHKプラス 北海道スペシャル「北海道兵、10805人の死」 - #沖縄/623「慰霊の日」 - NHKプラス 20万人以上が亡くなった沖縄戦。“地獄”と呼ばれた戦場で北海道出身の兵士、10805人が戦死した。若者たちはどう生き、どう死んだのか。消えつつある記憶を探した。 1 user 29
来年(2025)は「戦後80年」、そして「昭和100年」にあたる。太平洋戦争(大東亜戦争)の第一線で戦った将兵は概ね明治末期から昭和初年までに生まれた人たちだったが、約230万人が戦死、民間人を合わせると310万人もが犠牲になったとされている。そして、戦争を生き抜いたその世代の人たちは、価値観の一変した世の中に戸惑いながらも、さまざまな分野で戦後の日本復興の礎となった。 ここでは、今年4月に上梓した私の新著『決定版 零戦 最後の証言1』(光人社NF文庫)より、真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットで、戦後は日本人初のジャンボジェット(ボーイング747)の機長となった男のエピソードを紹介しよう。 波乱に満ちた生涯 「最近は人も訪ねてこないし、子供たちも日中は出かけていて、物音ひとつ聴こえないこの部屋に一人でいると、生きてるのか死んでるのかもわからなくなります」 東京・世田谷の閑静な住宅地の一角に
太平洋戦争の終結後、遠く太平洋島嶼部、中国大陸などに取り残された日本軍将兵の復員と民間人の帰国事業が始まりました。その対象者の数はおよそ660万人。史上稀に見る民族大移動のために、戦争で疲弊していた日本はともかく使えそうな船を集めます。 最優先だった復員輸送 船が全然ない! 1945(昭和20)年8月の終戦後、日本政府が最優先で取り組まなければならなかったのは軍隊の武装解除と復員でした。これは、日本の無条件降伏に際して戦勝国が発したポツダム宣言にあった「日本の武装解除」と「兵員を家庭に帰す」という条文によって日本に課にされたものでした。 1946年1月、5000人の復員兵を乗せてラバウルで給油中の「葛城」(画像:オーストラリア戦争記念館)。 このうちの後者、つまり太平洋の広範囲にわたる島嶼部とアジア大陸の各地に取り残されたおよそ660万人もの軍人と軍属、民間人を日本に帰還させるというのは、
2023年09月12日07:00 カテゴリ豆知識 【一般】ミッドウェー海戦で沈没した航空母艦「赤城」が深海で見つかった模様! 30: 名無しさん@おーぷん 23/09/11(月) 08:42:29 ID:bf.jz.L19 アメリカの探査チームの潜水艇が赤城の調査のライブ放送してるのって既出でち? ちなみに昨日はヨークタウン調査してた First sight of the #shipwreck of the #WW2 Imperial Japanese Navy aircraft carrier Akagi, scuttled on 5th June 1942 after damaged suffered at the Battle of Midway. (via the @EVNautilus #live feed) https://t.co/67485jykwk pic.twitter
私がかつて戦ったミャンマーのカレン州(現カイン州)は、大戦中旧陸軍が展開した地域のひとつだ。特に終戦直前は、北部の山岳地帯にいた部隊の撤退路にもなったという。そこには今でも、はかなく散った日本兵の無念の想いが残されているようだ。 「おい、聞けって…ほんまやって」 とある早朝の事だ。サルウィン川とモエイ川の合流地点ほど近くにあった、カレン民族解放軍司令部マナプロウ(当時)。そこで、マラリアを発症して寝込んでいた日本人の戦友Aが、必死に我々に訴えていた。 「夢でも見たんだろ。うなされとったし…」 「ほんまに出たんやって!声までかけてきよったし…」 まだ熱は下がっていなかったが、Aの目は真剣そのものだった。 彼の話によるとこうだ。 深夜目を覚ますと、部屋の中に人の気配を感じたそうだ。その方向に目をやると、少し離れたところに、ボロボロの軍服を着た日本兵が柱にもたれかかるように座って、じっとAを見つ
国家の命運を賭けた太平洋戦争で、陸軍と海軍が対立していたのは有名な話だが、補給のための船を出し渋る海軍に業を煮やした陸軍が、独自に潜水艦建造に乗り出していたことはご存じだろうか。 海軍には頼らないという方針のもと、大急ぎで建造した潜航輸送艇・通称「まるゆ」は、沈むのにもひと苦労、時速15キロほどのノロノロ運転、中にはトイレすらなく…。 陸海軍対立の末の「失敗作」として語られることもある「まるゆ」。今回発掘された新史料から浮かびあがってきたのは、携わった人々の努力と、組織の歯車になる中で苦悩する姿だった。 (NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」取材班 長野怜英) 新たな史料を発見したのは、太平洋戦争中の日本軍の兵器を調査してきた研究家・国本康文さん。「第七陸軍技術研究所・参謀本部第十課」がまとめた「Germania造船所に於ける潜水艦建造に就きて」だ。ドイツ軍の潜水艦の設計図や、各
Published 2023/07/17 21:07 (JST) Updated 2023/07/17 21:17 (JST) 旧日本軍で細菌兵器開発や捕虜への人体実験などを極秘裏に実行した731部隊(関東軍防疫給水部)の「職員表」を含む公式文書が残されていることが17日、分かった。1940年に組織改正して防疫給水部となった際に関東軍が作成し、部隊の構成や隊員の氏名、階級などを記している。厚生労働省から移管され国立公文書館が保管する文書を、明治学院大国際平和研究所の松野誠也研究員(日本近現代史)が発見した。 731部隊の関連文書は敗戦時に焼却が命じられており、新文書は細菌戦組織の実態解明につながると期待される。松野さんは「部隊の各部の構成とともに隊員の氏名と階級などが明示された旧日本軍作成の資料が見つかったのは、初めてではないか。誰がどのように部隊に関与し、戦後どう生きたかを明らかにする材
武田騎馬隊の「旧戦法」対「新戦法」の信長という通説 長篠合戦とは、いったいどのような意義がある戦いだったのだろうか。このような問いをわざわざ立てたのは、今も、歴史教育の分野で、長篠合戦は教科書において「(信長は)三河の長篠合戦で多くの鉄砲隊を使って武田氏の騎馬軍団を破った」(『改訂版高校日本史・日本史Β』山川出版社)と記され、それは、鉄砲3000挺を揃え、その連射(いわゆる「三段撃ち」)により、騎馬攻撃という旧来の戦法を撃破したという構図で語られているからである。 そこには、先見性に富む軍事的天才織田信長が、保守的な武田勝頼の軍勢(兵農未分離で後進的な武田軍)に対し勝利した、という暗黙の理解が横たわっているといえるだろう。 だが、この10年ほどで、織田権力や戦国大名の軍隊編成に関する研究は飛躍的に進んだ。その結果、兵農分離という概念そのものが再検討を余儀なくされ始めている。織田も、武田も、
2023年03月28日07:00 カテゴリ豆知識 【艦これ&一般】旧海軍の内火艇が月島で見つかった模様 他内火艇改修雑談 40: 名無しさん@おーぷん 23/03/28(火) 01:28:06 ID:Qt.3q.L20 装備改修ほぼしたことないんだけど最初は何から改修すればええのん?あんまり資源に余裕はない 41: 名無しさん@おーぷん 23/03/28(火) 01:28:25 ID:gJ.3h.L34 >>40 だいはつ 42: 名無しさん@おーぷん 23/03/28(火) 01:28:29 ID:nM.on.L14 >>40 魚雷 43: 名無しさん@おーぷん 23/03/28(火) 01:28:31 ID:Xr.vm.L40 >>40 艦載機 44: 名無しさん@おーぷん 23/03/28(火) 01:28:31 ID:UN.3q.L24 >>40 岩本か徹甲弾はどうよ 45: 名無
MS 08P @ms08P よく漫画で出てくる神社の神様が女の子で〜みたいなやつあるけど、そういうの見るたんびに、こいつ戦時中は出征する若者やおっさん達に沢山祈られて、一生懸命ご利益振りまいたけど誰も還ってこなかったんだろうなとか勝手に思ってる
田中智行 @t_tomoyuki77 帰省中。幼いころに亡くなった祖父がインパール作戦に従軍していたと聞いて、詳しい話を聞きたかったとずっと思っていたところ、「吾が一生 愛孫 智行君へ」と題された長大な手記が見つかったと教えられ、そのなかに詳細な戦争体験記があった。言葉にならない。 リンク Wikipedia インパール作戦 インパール作戦(インパールさくせん、日本側作戦名:ウ号作戦〈ウごうさくせん〉)とは、第二次世界大戦(大東亜戦争)のビルマ戦線において、1944年(昭和19年)3月に大日本帝国陸軍により開始、7月初旬まで継続された、イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦のことである。作戦はイギリスの植民地インドを独立させて、イギリスの勢力を一掃するという政治的な目的に加えて、ビルマ防衛のための攻撃防御や援蔣ルートの遮断を戦略目的としていた。 通俗的には、牟田
昭和20(1945)年、戦後すぐの頃の新聞記事を見ると、それまで検閲のため発表できなかった新兵器、秘密兵器や軍用機に関する暴露記事が多く見られる。その多くは、「じつは日本にはこんなすぐれた兵器があった」「敗けたのは技術ではない、物量で負けたのだ」といった、いわば負け惜しみがにじみ出るような論調が多いが、「新鋭戦闘機『震電』」や「世界一の戦艦『大和』」「世界に類を見ない潜水空母(伊号第四百型潜水艦)」のような派手なものではなく、もっと身近な小さなところにも他国よりも優れたモノや技術はあった。たとえば、当時の飛行機パイロットが使用していた航空眼鏡(ゴーグル)である。 航空眼鏡(ゴーグル)と飛行帽(航空帽) 今回は少しマニアックな話をしようと思う。 本や映画で太平洋戦争中の各国の飛行機搭乗員の写真を見ると、飛行帽、ゴーグルに飛行服、ライフジャケット、落下傘バンド、半長靴、手袋という、似たり寄った
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