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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (17)

  • メタ認知や抽象的思考ができない人が心がけ実践すべき3つの事柄: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。 そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。見たまんまのことしか考えられない。だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。 そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力の

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    tokada 2009/11/22
  • アニミズムすぎるくらいがほんとうのアフォーダンスでは?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕もそれがほんとうだと思う。 松岡 かつて才能というものは日の場合、「才」が全部物質の中にあったんです。それを「才(ざえ)」と呼びましたけれど、石に才があり、木に才があり、花に才があり、釘に才がある。それをはたらかせるというのがモーメントとしての「能」という字なんです。それが、やがて能をはたらかせる人に才能があるというように、どこからか変わってしまった。でも、石に才能があるほうが、ほんとうだと思うんですよ。 さっき盆栽に水をやろうとして手を滑らせて鉢を割ってしまったような僕のような人間にとっては、どう考えても「才」が自分の側にあるとは思えない。それどころか、モーメントとしての「能」の力のかけ加減も間違えて鉢を割ってしまうんですから。 石に才があり、木に才があり鉢を割ってし

  • 身体なき体験の終焉(いや、はじまってもないけど): DESIGN IT! w/LOVE

    しかし、コピーできないのは実は体験だけではありません。ものそれ自体も来的にはコピーは不可能です。もちろん、ここでいっているものはコンテンツではありません。コンテンツは消費の対象になりますが、ものは所有の対象になりえます。もちろん、すべてのものが所有欲を喚起されるわけではありませんし、すべてのものが他との差異によってコピーを拒むわけではありません。 人間にはCDやDVDのような物理メディアの形でコンテンツを所有したがる習性がある。しかしこれは、コンテンツ自体を消費者が求めている、ということとイコールではない。消費者は「所有している実感」を求めているのだ。 そう。人はコンテンツを所有したいのではありません。ものを所有したいのです。ただし「所有している実感」こそがものを所有することでしか生まれえないことがここでは不問にされていますが、僕はここにこだわってみようかと。 いや、所有しているという体

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    tokada 2007/12/31
  • リサーチ・マインド:みがき・きわめる・こころ:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 そこにリサーチ・マインドはあるのか? ここ数ヶ月間、僕の意識をそんな疑問がよぎることがときどきあります。 ここでいうリサーチ・マインドは、日語にすれば、探究心あるいは研究魂となります。また、リサーチはもちろんR&DのRの部分でもあります。 ものづくりにこころや魂がこもっているかが問われていいように、リサーチにも同じようにこころや魂が問われていいと僕は思っています。いや、問われるべきだろうと思います。 研究や調査というと、そんなもの何も社会の役に立つものを生み出さないじゃないかと考える人もいるでしょう。いや、そこまでいかなくても研究や調査から社会的に役立つものが生まれる確率はあまり高くないとか、それには時間がかかるとか感じている方がほとんどじゃないかと思います。 だったら、

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    tokada 2007/11/24
  • 僕たちに自由意志はあるのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前触れもなく突然「自由意志」という言葉を使っているとはいえ、なにも殊更に哲学的な考察を行おうというつもりはないのですが、こうも最近読むのなかに「自由意志」に関する記述が行われているのを目にしてしまうと、一言でも何か言わなきゃいけないような気にもなったりします。 意思決定はタイミング?特に昨日書評を書かせていただいた池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』で紹介されている、2005年の『サイエンス』に掲載されたという論文のヒルを使った意思決定のメカニズムに関する実験の結果などを知ってしまうと、果たして「自由意志」などというものは当に存在するのかと疑ってみたくもなります。 この実験では、シャーレの底にいるヒルの体を棒でつつくという行為を行います。その際、つつき方はまったく同じでもヒ

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    tokada 2007/02/20
  • 無秩序や因果関係のなさを嫌うヒトという生物: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前からそういう傾向はあったものの、最近、富に認知科学的なものへの興味が増しています。 認知科学への興味僕が仕事としているマーケティングやブランディングでも、はたまたWebユーザビリティにしても、インフォメーション・アーキテクチャの問題にしても、ヒトの認知について知ることは非常に有益だと思っています。 でも、最近、僕が脳科学や進化心理学などの認知科学の分野に興味をもち、ニコラス・ハンフリーの『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』やジェラルド・M・エーデルマンの『脳は空より広いか―「私」という現象を考える』などの「ヒトの意識」についてのを読んでいたり、勢いで"Human Information Interface lab"などを開設してしまったのも、そうした有益性を超えた興

  • 脳の来歴: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日も紹介した下條信輔さんの『「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤』というでは、そのサブタイトルにもあるように、意識をもつ脳を単独の器官として捉えるのではなく、身体や環境とつながった、さらには身体的経験や環境における経験の履歴との強い連携(カップリング)をもったものとして扱っています。 脳だけでは意識は生まれないこれはジェスパー・ホフマイヤーの『生命記号論―宇宙の意味と表象』でも示されていたことです。 ホフマイヤーは、意識をつかさどるのは、通常考えられているような神経系の特権ではなく、自己と外部の区別を認識することではじめてその機能が成り立つ免疫系もまた、ヒトがもつ意識の形成に大いに影響を及ぼしていることを強調しています。 先日、紹介したジェラルド・M・エーデルマ

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    tokada 2007/01/07
    ホフマイヤー、下條信輔。関連 http://www.hirokiazuma.com/archives/000252.html
  • 主観、客観、そして、クオリア: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 先日、買ったニコラス・ハンフリーの『赤を見る―感覚の進化と意識の存在』というがこれまた興味深いでした。 いま3分の2くらい読み終わりましたが、タイトルにあるとおり、「赤を見る」という行為の中で生まれる、自分は「赤をしている(reding)」という感覚の観点から、意識の謎に迫ろうとしています。感覚の進化を追いながら。 一人称と三人称、主観と客観このでは、S(主体、SubjectのSですね、きっと)という主人公がスクリーンに映った赤を見ることからはじまる単純でありながら、「感覚とは何か」「意識とは何か」という視点からみればとても複雑な物語を中心に、考察が進められます。 Sがスクリーンに映った赤を見た際の感覚と知覚の関係って普通はこんな風に考えられていると思います。 スクリ

  • 赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由/ニコラス・ハンフリー

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ニコラス・ハンフリーの『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』は、スクリーンに映し出された赤い光を見るという行為の中に生まれる感覚とその性質、それが進化してきた過程を探りながら、人間の意識の謎に迫ろうという大変おもしろい試みを、実際に2004年春にハーヴァード大学で行なわれた講演をベースに再構築して書かれたです。 昨日の「主観、客観、そして、クオリア」というエントリーでも紹介しましたが、最後まで読み終わりましたので、あらためて紹介させていただきます。 サザーランドの「意識の定義」書は、イギリスの心理学者スチュアート・サザーランドが1989年に行なった、次のような意識の定義からはじまります。 意識とは、興味深いがいわく言いがたい現象である。それが何であり、何をなし、なぜ発

  • 分類することとメタデータをつけること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「コンテンツをその属性によってカテゴライズされているか?」 この文章って一見正しいように思われますが、厳密にいうと間違ってます。 分類する(カテゴライズする)というのは、こういうこと。 つまり、ある集合を、その種類によって分けるのが分類。 この例だと、色の種類で分けているだけですが、さらに人型の大きさが違えば、もう一段階分けることができるでしょう。 そうやって階層構造をつくれるのが分類。 一方で、属性っていうのはどちらかというとタグ付けやメタデータの付与という文脈に位置づけられるもの。むずかしい言葉で言うなら述語論理に基づくもの。ちなみに先ほどの分類は、集合論ですね。 前にも書いたけど、ようは数学的には異なる理論体系に属するので、かんたんには融合することができないわけです。

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    tokada 2006/11/15
  • ベキ分布を示すWebの法則性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さて、昨日の「流入キーワードもベキ分布だった!」の続編です。 昨日は、Webサイトに流入してくる検索ワードのアクセス数の分布を見てみましたが、今日はその他のWebサイトのアクセスログの数値に関しても同じように両対数グラフ化することで傾向を調べてみました。 ページ単位でのページビューまずは一般的な企業サイトにおけるページ単位でのページビューの分布を昨日と同じように、両対数グラフで表現してみました。 途中まではベキ分布にみられる直線の分布をみせています。その後、サイトによって傾きは異なりますが、右のほうで急激に傾斜が変わり、曲線を描いているのがわかります。 このグラフが意味するのは、ページビューが少ないページは割と少なく、いわゆるロングテールになっていないということになります。

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    tokada 2006/10/02
    もう1歩先の分析がほしい
  • 情報社会は監視社会である: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 当にそのとおりだと思っていたんですけど、こうはっきり書かれると唸りますね。 情報社会は必然的に監視社会であって、新たなテクノロジーに強く依存する。だが、それに加えて、監視社会とは、統合された情報インフラのおかげで、社会生活の各部門に監視が浸透するという意味でもあるのだ。国家による監視が支配的であるどころか、監視は今や、労働の現場や消費の場面にも同様に見出される。 それどころか、監視は今や、個人が利用するブログやSNSRSSリーダーにも同様に見出される。このが書かれた2001年からさらに進化したテクノロジーによって監視の問題はさらに社会に浸透しているのだといってよいのではないかと思います。 監視の2面性監視というと、どうしてもネガティブな面ばかりを思い浮かべてしまいます

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    tokada 2006/08/20
    「情報自由論 html version」も読みましょう
  • 可能性に関する見積もりの意図的な誤謬: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ダニエル・C・デネットは『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』の中で、可能性を考察する中で、まず論理的可能性、物理的可能性、生物的可能性、歴史的可能性という風に可能性を論じる際にフレームとなる領域を分ける必要があることを示しています。 可能性を見積もる際のフレーム論理的に可能であっても、物理的には不可能な(存在し得ない)こともありますし、物理的には可能でも生物的には可能ではない(生きていない)こともあります。 馬に羽根が生えてペガサスのように飛べるようになることは生物的可能性としてはなくはないのでしょうけど、すくなくとも歴史的可能性としてはなかったわけです。 もうすこし日常的な話に落とし込むと、私たちが仕事をしていく中でも「技術的には可能ですが、コスト的(スケジュール

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    tokada 2006/08/09
  • マーケティング2.0/書評: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 タイトル: マーケティング2.0 コメント: 先日、献いただいた『マーケティング2.0』を読んでみました。 自分が書かせていただいたパートはさておき、いろんな方のいろんな意見が知れてなかなかためになりました。 そして、人それぞれ独自の見方をされているものの、いまWebで起こっていることの空気感をそれぞれ同じように呼吸しているのは感じられました。 それは僕のこのブログを読んでいただいている方にもきっと伝わるものじゃないかと思いました。 例えば、シックス・アパート社代表の関さんのこんなコメントなんて、先日、僕が「不祥事の際の企業の対応にあらわれる企業の基姿勢」で書いたことと同じ視点を持っているように思いました。 ところが、ブログの世界でも、トラブルの元になったブログを消し

  • 循環する情報とマーケティング効果: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 そのとおりだと私も思います。 私が思うのは、「情報の収集」と「情報の発信」が等価になってきているのではないか、ということです。 単にマーケティング情報を得るということは不可能、もしくは効果がなくなってきていて、今は、情報を発信することで、それに対してフィードバックのような形で情報を得られる、という形になってきていると思います。 私は常々、より多く、より価値のある情報を発信する人のところに情報は集まってくるものだと思っています。 現在の情報社会においては、ファインダビリティが1つの課題ですが、それは昨日も書いたように、欲しいものを探す側の問題であると同時に、欲しい人に探してもらえる側の問題だと思います。 ようするに、マッチングの問題ととらえればよいでしょうか? その意味で、自

  • 増えてきた「はてブする」ボタン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 個人ブログではよく見かける、はてなブックマークやdel.icio.usへのブックマーク追加ボタン。 最近、こんなサイトでも見かけるようになりました。 ITmedia Biz.ID:http://www.itmedia.co.jp/bizid/ MarkeZine:http://markezine.jp/ 思いつかなかったけど、他にもあるのかな? 以前、メディアパブさんがDiggにニュースが掲載されるとアクセス数が伸びることの対策としてDiggへの投票ボタンをいろんなサイトがつけていることを報告してくれていて、それに対して僕も「じゃあ、日でもはてブ対策ってありなんじゃないの?」なんてエントリーを書きましたが、実際、そうなってきましたね。 はてなブックマークとかの認知度も高く

  • このヒトを見よ 02:内部と外部/境界線の相対性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 Web2.0を語る言葉の1つに「サイトの垣根を越えたシンジケーション」というものがあります。 その言葉は、具体的には、APIをオープンにすることでマッシュアップを可能にしたり、RSSやトラックバックなどのXML技術によりサイト間の情報のやりとりを簡便化することによるつながりを指していたりします。 Web2.0という環境私はWeb2.0というものを現在のWeb環境とそれを取り巻く外部環境そのものの変化を指す言葉だと思っています。 ですので、「サイトの垣根を越えたシンジケーション」に関しても、「サイトの垣根を越えたシンジケーション」を行うことよりも、「サイトの垣根を越えたシンジケーション」が行われる環境であること、そして、それによってどんな変化があったかを重視します。 私自身は

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    tokada 2006/08/03
    なめらか!
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