あまり根拠のない憶測を、説明不足を承知で、書いてみる。 近年のサイエンス・コミュニケーション・バブルは、ゆとり教育のしりぬぐいなんだろうか、と思う。だとしたら、それが欠如モデルに傾くのは必然的だといえる。ようするに、ゆとり教育でがたがたになった理科教育を、さすがにそのままでは日本の前途が危うい、ということで、あやまちを正面から認めずに糊塗するためにやるのがサイエンス・コミュニケーションで、そうなったら、その内容は学校の理科でやることの延長だとしても不思議はない。 知識としての科学を教え込み、それに対する無批判な態度を条件付けるような種類のサイエンス・コミュニケーションは無いほうがましだと思う。なぜなら、科学リテラシー以上に重要なのは政治的自覚であり、そして、科学的権威が無批判な態度を助長するならば、それは政治的自覚を阻害することになるからだ。 これは決して反科学を唱えるものではない。むしろ