タグ

Marxに関するtsfmysdのブックマーク (10)

  • Thomas Piketty Is Absolutely Right

    It all begins with the time path of total—private and public—wealth (or capital) in France, the United Kingdom, and the United States, going back to whenever data first become available and running up to the present. Germany, Japan, and Sweden, and less frequently other countries, are included in the database when satisfactory statistics exist. If you are wondering why a book about inequality shou

    Thomas Piketty Is Absolutely Right
    tsfmysd
    tsfmysd 2014/07/06
    ソローのピケティ書評
  • 新訳 初期マルクス・その2 - 本と奇妙な煙

    バウアーの課題 政治的解放の限界 福音書 「革命的実践を正しい関係の〜」についての解説 前日のつづき。 的場昭弘による「ユダヤ人問題によせて」解説編。訳と解説が交互するので、区別できるように、冒頭に[訳]と[解説]をつけました。 新訳 初期マルクス――「ユダヤ人問題に寄せて」「ヘーゲル法哲学批判‐序説」 作者: カール・マルクス,的場昭弘 出版社/メーカー: 作品社 発売日: 2013/02/28 メディア: 単行 この商品を含むブログ (1件) を見る バウアーの課題 [訳] したがってバウアーは、一方でユダヤ人は国家市民として解放されるべく、人間はユダヤ教を、宗教一般をやめるべきだと主張しているわけである。他方でその結果的な形だが、彼にとって重要なことはもっぱら宗教をやめるために、宗教を政治的にやめることである。宗教が前提としている国家はもはや真の国家でも、現実の国家でもない。「当然

    新訳 初期マルクス・その2 - 本と奇妙な煙
  • なぜ、マルクスは『資本論』を書かねばならなかったのか - 本と奇妙な煙

    なぜ、マルクスは『資論』を書かねばならなかったのか。 新訳「ユダヤ人問題に寄せて」 国家の宗教からの解放は、現実の人間を宗教から解放するということではない 自由という人権は政治的生活と闘争に入るや権利であることをやめる 的場昭弘による4ページ程の序文がえらくわかりやすいので、ほぼ丸ごと引用。 新訳 初期マルクス――「ユダヤ人問題に寄せて」「ヘーゲル法哲学批判‐序説」 作者: カール・マルクス,的場昭弘 出版社/メーカー: 作品社 発売日: 2013/02/28 メディア: 単行 この商品を含むブログ (1件) を見る なぜ、マルクスは『資論』を書かねばならなかったのか。 言い換えれば、なぜマルクスは経済学を批判しなければならなくなったのか。その謎はすべて、1844年『独仏年誌』に掲載された書の二つの論文「ユダヤ人問題に寄せて」と「ヘーゲル法哲学批判――序説」にあるといってもよいだろ

    なぜ、マルクスは『資本論』を書かねばならなかったのか - 本と奇妙な煙
    tsfmysd
    tsfmysd 2013/05/29
  • 実は知らない「給料」が決まるホントのルール(その2):日経ビジネスオンライン

    先日、雑誌の記事を目にしました。そこでは、多くの人が自分の給料に対して不満を感じているという調査結果がありました。給料の金額に不満に感じているということは、「その給料は妥当ではない」と感じているということです。 では、みなさんは、自分の給料がいくらであれば妥当なのか、論理的に説明できるでしょうか? 「同期の中では一番高い給料をもらっていい!」「あの人よりは、当然評価されるだろう」というような相対的な尺度ではなく、「自分の給料は『○○万○千円』が妥当!」と論理的に説明・主張できるでしょうか? おそらく、そういう方はほとんどいないと思います。つまり、給料金額の決まり方を論理的に把握している方はほとんどいないのです。 多くの方は、給料のルールを知らずに「もっともらえるはず!」と感じていることでしょう。そして、給料のルールを知らずに「もっと給料を増やしたい」と努力をしていたのです。 では、その「給

    実は知らない「給料」が決まるホントのルール(その2):日経ビジネスオンライン
  • フォイエルバッハに関するテーゼ(マルクス) - Freezing Point

    現象学は、現象学の境遇を変えない。 言葉は、言葉の条件を変えない。 「組み替える」のがせいぜい。 ―― そう考えていて、 マルクスの「フォイエルバッハに関するテーゼ」(1845年)*1を思い出し、 原文を、ネット上にいくつかある訳文や『ドイツ・イデオロギー 新編輯版 (岩波文庫)』を参照しつつ、自分なりに意味を確認しながら、訳してみました*2。 グァタリのいう「主観性の生産(production de subjectivité)」や、「schizo-analyse」は、このテーゼに描かれた問題意識を引き継ぐものに見えます。つまり彼の議論は、対象的活動の生産様式それ自体を、プロセスとして問題にしている。 第1テーゼ Der Hauptmangel alles bisherigen Materialismus (den Feuerbachschen mit eingerechnet) ist,

    フォイエルバッハに関するテーゼ(マルクス) - Freezing Point
  • 僕たちの「給料」は、なぜその金額なのか?(木暮 太一) @gendai_biz

    「同じ社内で、全然仕事をしない(仕事ができない)のに、自分と同じ給料をもらっている人がいるなんて許せない!」 63.5% 「自分は、もっと給料をもらってもいい(今の給料は少なすぎる)」 70.7% 前回のアンケートで、みなさん、自分の給料に対して不満を感じている実態が浮き彫りになりました。 給料金額に不満に感じているということは、「その給料は妥当ではない」、と感じてるということですね。では、みなさんは、自分の給料がいくらであれば妥当なのか、論理的に説明できるでしょうか? 「同期の中では一番高い給料をもらっていい!」 「あの人よりは、当然評価されるだろう」 というような相対的な尺度ではなく、「自分の給料は『○○万○千円』が妥当!」と論理的に説明・主張できるでしょうか? おそらく、そういう方はほとんどいないと思います。 つまり、給料金額の決まり方を論理的に把握している方はほとんどいないのです。

    僕たちの「給料」は、なぜその金額なのか?(木暮 太一) @gendai_biz
  • マルクスの疎外論 : 池田信夫 blog

    2010年07月05日00:43 カテゴリ経済 マルクスの疎外論 書のテキストはマルクスが26歳のとき書いた未定稿だが、1930年代に発見され、60年代後半の学生運動の時代に注目を集めた。従来の階級闘争を中心としたマルクスではなく、「労働者が資主義によって疎外される」という人間論が共感を集めたのだ。長谷川宏氏の新訳は、その若々しい雰囲気をよく伝えている。書を読むと、マルクスの疎外論が当節流行の「蟹工船」とか「プレカリアート」の類の「人間疎外論」とはまったく違うことがわかる。疎外(Entfremdung)とは「世の中から疎外される」といった日語とは無関係のヘーゲル的な概念で、「労働の生産物が、労働にとって疎遠な存在として、生産者から独立した力として登場してくる」(p.92)という意味だ。これは人間の能力が労働によって商品に対象化(外化)された結果であり、マルクスは疎外そのものを否定

    マルクスの疎外論 : 池田信夫 blog
    tsfmysd
    tsfmysd 2012/03/06
  • ワクワクVtuberブログ : ステマの元祖はエンゲルス

    2012年02月19日01:17 ステマの元祖はエンゲルス カテゴリ マルクス、エンゲルス百年―日共産党はなにをうけついできたかより こんど、連載論文の「エンゲルスと『資論』」を書くために、いろいろ研究しているなかで、おもしろいことにめぐりあいました。 『資論』が一八六七年に発行されたときのことです。実は、マルクスは、その前に『経済学批判』という著作をドイツで発行したときに、苦い経験をなめていました。マルクスとしては、ドイツ経済学界への久しぶりの登場ですから、当然、ブルジョア学界からも批判や攻撃があるだろう、それには喜んで論戦でうけてたとうと、待ち構えていたのですが、新聞にも学会の雑誌などにもついに一回の書評もでず、完全に黙殺されてしまったのです。ですから、『資論』をだしたとき、ドイツでまたそういう目に遭わないか、というのが、最大の心配でした。 そこでエンゲルスに相談すると、エン

    tsfmysd
    tsfmysd 2012/02/19
    エンゲルスたそ、きゃわゆ(^O^)
  • 「受苦者のまなざし」序章読書メモその2

    そう、序章を読んで、なんとなく問題意識はわかったような気になったんだけど、よく考えたら肝心なことがわかっていない。 どうして、「受苦的存在」とか言われなくてはならないのか。こんなにうんざりするような社会の中でも、それなりに愉しいことはある。また、この社会を変えようとするプロセスもそれなりに愉しいものにしたいと思う。確かに山之内さんのを読み続けることはいわゆるお勉強がそんなに好きじゃないぼくには「受苦的」行為っていう側面もないわけじゃないけどね(笑)。

  • http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/viewer.cgi?page=browse&code=76_708

    tsfmysd
    tsfmysd 2010/08/28
    なにこれも欲しい。
  • 1