ブックマーク / at-akada.hatenablog.com (26)

  • Bernard Williams「想像と自己」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Bernard Arthur Owen Williams, Imagination and the Self - PhilPapers Williams, Bernard Arthur Owen (1966). Imagination and the Self. Oxford University Press. ウィリアムズの有名な想像力に関する論文。最近ウォルトンの翻訳を読んでいて、そういえばこれを読んでいなかったなと思いだしたので読んだ。 フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術― 作者: ケンダル・ウォルトン,田村均出版社/メーカー: 名古屋大学出版会発売日: 2016/05/27メディア: 単行この商品を含むブログ (4件) を見る Problems of the Self: Philosophical Papers 1956?1972 作者: Bernard Williams出版

    Bernard Williams「想像と自己」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 本の紹介: ディキンソン『文学の学び方』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    文学の学び方―付/論文・レポートの書き方 L・T・ディキンソン著、上野直蔵訳『文学の学び方―付/論文・レポートの書き方』、南雲堂、1969年 これ、とてもいいなのだけど、そう言えばあまり知られていないかもしれないと思ったので紹介する。書は、大学で文学を学ぶ学生のために文学研究のABCを教えるために書かれたものだ。原著の初版が1959年、翻訳の初版が1969年で、もはや古典的な教科書といってもよいかもしれない。 私は学生のときにこのを偶然見つけ、パラパラめくって惚れこんですぐ購入した。それ以来、文学研究/批評ってなんだっけ?となるたびにこのをめくっている。 文学研究の教科書というと、イーグルトンの『文学とは何か』みたいに、最新の批評理論を教えるみたいなものを想像するかもしれない。しかしこれはもっとずっとクラシカルで、もっと基的なことが書いてあるだ(古いだからというのもあるかもし

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  • Kendall Walton「共感、想像、現象的概念」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    In Other Shoes: Music, Metaphor, Empathy, Existence 『人の立場になって: 音楽、隠喩、共感、存在』(In Other Shoes)の1章。 共感(エンパシー)に想像はいらないよという内容。 共感は、しばしば、他人の心の状態をシミュレーションしてそれについて知ることだとされる。ウォルトンはシミュレーション部分は別に必須ではないのではないかという話をしている。 例えば、私とあなたが非常に近い状況に置かれているとする。二人とも会社でめんどくさい仕事をかかえてうんざりしているとする。私は自分とあなたの状況が近いことや、二人の感じ方がある程度近いことを知っている場合、自分の心を観察し、「あいつもこんなつらみを感じているのだろう」ということを知る。この際、シミュレーションは特に必要ないだろう。必要なのは自分の心を観察し、「こんなXX」として参照するこ

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  • Kendall Walton「虚構性と想像」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    In Other Shoes: Music, Metaphor, Empathy, Existence 上の論文集に入っているFictionality and Imaginationを読んだ。 この論文でウォルトンは、かつて提示した立場の一部を撤回している。わりと大事な論文だ。 ウォルトンはかつて『ごっこ遊びとしてのミメーシス』で、虚構性(虚構的真理)の概念を想像への指図として定義した。例えば、「シャーロック・ホームズはロンドンに住んでいる」というのは、ホームズ小説を読む人が参加するごっこ遊びのゲームで、そう想像しなければならないこと、そう仮定しなければならないことだ。 この論文での定式化では、 ある命題が、ある特定の作品(の世界)Wで虚構的であるのは、Wの完全な鑑賞がその命題の想像を要求するちょうどそのときである。 これは、虚構性を想像の概念に還元するというのがウォルトンの公式の説明だっ

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  • 相対主義と「完全な内容」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    意味論的相対主義は、不完全な内容の概念を使うと思われている。 不完全な内容とは、例えば「時点によって異なる真偽をもつような命題」(時制主義の命題)とか「de se内容」とかそういったもののことだ。 ところが実はこれは質的には必要ない。例えば「永久主義の命題」(永久的真理をもつ命題)だけを使っても査定の文脈に依存的な真理条件を述べることができる。このテクニックはMacFarlane2008およびMacFarlane2014で使用されている。以下自分の整理のために記録しておく。 トリックは、複数の可能世界を用意することだ。例えばマクファーレンは時間に関してこのトリックを使っている。非決定論的な「分岐する世界」では、私たちは複数の世界にまたがって存在し、さらに時点によって異なる世界がオーバーラップする。 永久主義バージョンの相対主義的真理条件は以下のようになる。W(c0, c1)は文脈c0、c

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    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2015/06/12
  • Page「心から独立を明確化する」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/PAGMDS Page, Sam (2006). Mind-independence disambiguated: Separating the meat from the straw in the realism/anti-realism debate. Ratio 19 (3):321–335. 1. 序 2. 存在論的、因果的、構造的独立 3. 個体的独立 4. 反実在論と反個体的実在論 5. 誤解された反実在論 6. 結論 現実は心から独立したものか、それとも心に依存したものなのか。この論点は、実在論対反実在論の論争では中心的なものだ。ローティ、パトナム、グッドマンら、形而上学的反実在論の人々は、現実は心から独立したものではないという立場を擁護している。しかしどの意味で、「心から独立」と言っているのかは明確ではない。なので、心から

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    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2015/04/23
    個体的独立と構造的独立は区別される。虹が何色かとか、虹の境界は心に依存して決まるが、それは心から独立に構造を持つだろう。
  • Kit Fine「存在論の問い」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/FINTQO-2 Fine, Kit (2009). The question of ontology. In David John Chalmers, David Manley & Ryan Wasserman (eds.), Metametaphysics: New Essays on the Foundations of Ontology. Oxford University Press. 157--177. 結構前に読んだけどまとめてなかったのでまとめる。 「数であるものはあるか?」[∃x(xは数である)]という形の問いを量化の問い、哲学者がかかわる問い「数は存在するか?」を存在論の問いと呼ぼう。伝統的なクワイン型の存在論では両者は一致すると見なされていた。キット・ファインは存在量化と存在論の問いは特に関係ないのではないかという議

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    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2015/04/04
    "ファインは、存在論の問いはそもそも存在量化ではなく、全称量化の形だとしている。正しい形式は「整数であるものはすべてリアルである[∀x(Ix⊃Rx)]」"
  • Kendall Walton『メイクビリーブとしてのミメーシス』: 虚構性 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Mimesis as Make-Believe: On the Foundations of the Representational Arts 最近ウォルトンをまた読んでいる。ウォルトンのいうメイクビリーブ理論ってごちゃごちゃしていてわかりにくいなと思っていたが、メイクビリーブ理論は、虚構性[fictionality]の概念を中心にまとめられるべきだろうという思いつきをえたのでまとめておく。 『メイクビリーブとしてのミメーシス』はフィクション論の古典で、ウォルトンは、この中で、子どものごっこ遊び(メイクビリーブゲーム)をモデルに、フィクションと表象を考え直すような野心的なプロジェクトを掲げている。メイクビリーブ理論によれば、フィクションはごっこ遊びのゲームであり、それだけではなく、表象芸術はどれもフィクションであり、ごっこ遊びのゲームだ。そして、ウォルトンのメイクビリーブ理論で中心的な役

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  • Sthephen Shiffer「言語によって作られた言語から独立したもの」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Shiffer, Stephen (1996). Language-Created Language-Independent Entities. Philosophical Topics 24 (1):149-167._ http://philpapers.org/rec/SHILLE 命題や性質の存在論について、フィクショナルキャラクターについての創造物説と比較しつつ議論している。 Shifferによればある意味では命題は言語から独立したものだ。フィドーが犬ならばフィドーが犬であることは真である。それは人間が「フィドーは犬だ」と言ったから存在するわけではない。命題の存在条件には人間の発話や思考は入っていない。 しかしある意味ではそれは言語によって作り出されたものだ。命題が存在するとは、われわれがある種の語り方をするということ、それ以上でも以下でもない。命題なるものが存在するのは、われわれ

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    tsuka_ryo 2015/01/27
  • Derek Matravers『フィクションと物語』のウォルトン論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Fiction and Narrative 今年の7月に出た。最近読んでいるが、二章のウォルトン論はいい感じなのでまとめておく。 ウォルトンは、フィクションについて、メイクビリーブ理論と呼ばれる理論を立てている。これは、子どものごっこ遊び[make-believe]をモデルに、フィクションを捉えるものだ。ただ、ウォルトンの言っていることはどこにポイントがあるのかよくわからなかったりするので、著者のまとめは啓発的だった。 まず、ごっこ遊びの場合、現実の事柄と、ごっこ(フィクション世界)の中の事柄に対応がある。例えば、泥と箱をパイとオーブンに見たてて遊ぶ場合、現実の真理は右のようなフィクション世界の真理に変換される。 現実世界の真理 フィクション世界の真理 泥のかたまりがある パイがある 箱がある オーブンがある さらに、ウォルトンによれば、こういう風に現実の真理からフィクション世界の真理に

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  • Jaegwon Kim「説明的知識と形而上学的依存」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    説明と理解について勉強するコーナー。これは比較的わかりやすかった。 http://philpapers.org/rec/KIMEKA Kim, Jaegwon (1994). Explanatory knowledge and metaphysical dependence. Philosophical Issues 5:51-69. ある出来事eが起きた時、説明はそれがなぜ起きたかを理解可能にする。 説明が与えるものは通常の知識ではない。説明は理解や説明的知識(なぜについての知識)を与える。 ところが、説明に関する哲学の文献では、説明についての認識論の問題はあまり扱われてこなかった。説明のモデルを与える者はいるが、それがどのような認識に結びつくのかはよくわからない。 キムは以下の二つの問いをかかげている。 認識論的問い pについての説明を持つ時、われわれが知るものは何なのか。 形而上学的

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    tsuka_ryo 2014/12/02
  • ピーター・ラマルク『物語の不透明性』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    The Opacity of Narrative http://philpapers.org/rec/LAMTOO-3 Lamarque, Peter (2014). The Opacity of Narrative. Rowman & Littlefield International. 少し前にラマルクの『物語の不透明性』を読み終わった。読んだけど難しくて議論がつかめないので一部再読したりなどしていた。 ラマルクは近代的な芸術観みたいなのが強くて個人的にはちょっと苦手。多分この人は「フィクション」よりも「物語」よりも「文学」に興味があるんだろう。まあその分モチベーションははっきりしているし、重要なことも言っていると思う。 タイトルにもなっている物語の不透明性とは、文学作品の内容は、提示の仕方から切り離すことができないという主張だ。 文学的フィクションの場合、キャラクターやストーリーは物

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  • フィッシュ『知覚の哲学入門』のクオリア説のあたり - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    知覚の哲学入門 待望の知覚の哲学の教科書が翻訳された。 とりあえず読んだんだけど、思ったより難しく、流し読みだけでは未消化だった。 とりあえず最初読んでよくわからなかったあたりを整理していこう。 3章副詞説のところで、クオリア説に親和的な副詞説と、そうではない副詞説があるという話が出てくる。ここは結構難しく、最初読んだときはちんぷんかんぷんだった。まず、クオリア説自体がどういう立場かわかりにくい上に、現象的性格と現前的性格の区別も難しい。 なんでこの箇所が難しいかというと、普通クオリアは「赤さの感じ」みたいなものだと説明されるけど、このの説明では赤さの感じという言葉が出てこないのもある。 まず、以下の二つが区別されている(pp. 26-27)。 現前的性格[presentational character] 知覚ないし内観において私たちが気づく[aware]もの。クオリア説の支持者が「ク

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  • 人生の意味 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    最近は人生の意味に関するものを読んでいる。まとめをさぼっていたら読んだものがたまってしまった。 人生の意味に関しては、文献はたくさんあるのだが、人生の意味ということでどういうことを考えているかが人によって結構違うのでなかなか大変だ。あと言い放しだったりほとんどまとめる気が無さそうな文献が多くてつらい。 Metz, Thaddeus (2002). Recent work on the meaning of life. Ethics 112 (4):781-814.. http://philpapers.org/rec/METRWO Metz, Thaddeus (2007). New developments in the meaning of life. Philosophy Compass 2 (2):196–217. http://philpapers.org/rec/METNDI

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  • Jonathan Bennet「出来事とは何か」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    最近出来事関係の論文を読んでいて、出来事の再記述を認めるかどうかという対立がひっかかってきている。私にはあまりこの対立が深い対立であるとは思えなくて、出来事の再記述を認めないキムなどの立場でも、ほんのわずか修正するだけで、出来事の再記述を受け入れられると思う。 たまたま以下を読んだところ、ベネットがその辺をきちんと説明してくれていた。 http://philpapers.org/rec/BENWEA Bennett, Jonathan (2002). What events are. In Richard M. Gale (ed.), The Blackwell Guide to Metaphysics. Blackwell Publishers. 43. 目次 1. 序 2. 出来事は性質例化物である 3. キムの形而上学と出来事の意味論 4. キムの「逃れられない常套句」 5. 出来事

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  • Nicholas Diehl「De Re的想像と語りについての対称性テーゼ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    以下のに入ってる論文を順番に読んでるのだけど、これで何目かな。 The Poetics, Aesthetics, and Philosophy of Narrative (Journal of Aesthetics and Art Criticism) http://philpapers.org/rec/DIEIRT Diehl, Nicholas (2009). Imagining De Re and the Symmetry Thesis of Narration. Journal of Aesthetics and Art Criticism 67 (1):15-24. 用語: De Re的な想像 特定の「もの」についての想像。例えば、ごっこ遊びにおいて、特定の棒が剣であることを想像する。 背景として、映画には小説などと違って、暗黙の想像上の語り手は存在しないという議論があるらし

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    tsuka_ryo 2014/07/13
  • 哲学とポップカルチャーの解釈 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    以下の『哲学とポップカルチャーの解釈』の紹介と軽くポップカルチャーと哲学の話。 Philosophy And the Interpretation of Pop Culture このとは別なんだけど、英語で「ポップカルチャーと哲学」というシリーズが出ている。 http://www.opencourtbooks.com/categories/pcp.htm シリーズタイトルを見てると、「ゼルダの伝説と哲学」「(日)マンガと哲学」「レディオヘッドと哲学」「iPodと哲学」「スポンジボブと哲学」とかもう何でもありな感じでおもしろい。結構売れてるらしく、『哲学とポップカルチャーの解釈』の中でも、懐疑論についての授業をしていたら、「それ『マトリックスと哲学』というで読んだ」という反応があると紹介されていた。 このシリーズは、ポップカルチャーをだしにして哲学を紹介しよう、いわばポップカルチャー

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    tsuka_ryo 2014/06/29
  • 藤川直也『名前に何の意味があるのか: 固有名の哲学』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    名前に何の意味があるのか: 固有名の哲学 前半は新しい名前の指示の理論、後半は名前の意味論と語用論で、どちらもよく知らない分野だったので大変勉強になった。 一部で有名なように、クリプキは名前を用いた指示について因果説(ただし書はこれを歴史的・社会的説明と呼ぶ)と呼ばれる立場をとった。起源において、命名者が名前を与える。名前は使用され伝えられることで人から人へ受け渡され、広がっていく。名前の受け渡しの因果連鎖によって私は一度も会ったことのない多くの人の名前を知っているし、それらの名前によって、見知らぬ人を指示することができる(そうでなければ、私はクリプキについて語ることはできないだろう)。 この説によれば、名前の使用は、この名前の受け渡しのネットワークによって対象を選び出し、指示することになる。 書はこの立場を真剣に受け止めつつも、批判し、エヴァンズ、ペリーなどに影響を受けた別の説明を与

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    tsuka_ryo 2014/04/18
  • 源河亨「何が知覚されうるのか―知覚経験の許容内容について―」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://openjournals.kulib.kyoto-u.ac.jp/ojs/index.php/cap/article/viewFile/108/46 高次性質(種性質、美的性質、道徳的性質、不在・欠如など)の知覚についてのサーヴェイ。勉強になった。 高次性質の知覚が許されるかについてよく議論されるようになった背景。まず知覚可能性をしめすことによって、因果効力があること、世界の中に存在することをしめすことができるという関心もある。 また知覚の哲学の主流がセンスデータ説から内容説(志向説)に移ったことも関係している。センスデータ説はセンスデータが高次性質を例化しているという主張を認められないが、内容説の場合、高次性質の知覚に反対する理由はあまりない。 (1)低次説(高次性質は知覚できない説)からの議論 高次性質がちがっていても見かけが異ならないことがある(偽物のリンゴの知覚など)

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    tsuka_ryo 2014/03/15
  • 戸田山和久『哲学入門』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    哲学入門 (ちくま新書) 序 これがホントの哲学だ 第1章 意 味 第2章 機 能 第3章 情 報 第4章 表 象 第5章 目 的 第6章 自 由 第7章 道 徳 人生の意味――むすびにかえて 参照文献と読書案内 あとがきまたは謝辞または挑戦状 意味や情報などあるのかないのかよくわからない「存在もどき」を科学的な「モノだけ世界観」の中に位置付ける自然主義の壮大なプロジェクトを展開した哲学入門。「情報」「機能」などちょっと普通の哲学入門には無いような章立て。後半は戸田山自然主義の立場から「自由」「道徳」を論じる。野心的でおもしろい。 で、終わらせてもいいんだけど、ちょっと気になる点。いろいろ考えていたらあまりまとまらなくなってきたので、うまく違和感を表現できるかわからないが書いてみる。 戸田山氏は古典的な分析哲学がやってきたとされる「概念分析」に代え、大事なのは事象そのものを解明する理論構

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    tsuka_ryo 2014/03/11