ブックマーク / tsukikana.hatenablog.com (136)

  • ハッピー探偵ドゥードゥー?―2歳児のいる景色 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    金曜日に、私の住む東海地方は梅雨入りした。洗濯物と空を見比べてため息をつく日々がまた始まる。洗濯物、増えたしなぁ。 遠方に暮らす長女が、2歳の娘とともに我が家にやってきて1週間。我が家の暮らしはがらりと変わった。小さい子のいる毎日って、こんなに慌ただしかったっけ。 私、曲がりなりにも子どもをふたり、育ててきたはずなのに、もうすっかり忘れている。困惑の連続だ。1時間くらい一緒に遊ぶのなら楽しいのだけどね。きりがないから困ってしまう。ニコニコしてたと思ったら急に機嫌が悪くなったりね。相手をするのもなかなか大変。 自分の時間を作り出すのは至難の業になりつつある。家事の量も倍増し、いつもご飯と洗濯の心配をしている。12キロを抱っこして歩くのもかなりこたえるし、若い頃のような体力はないと思い知った。くやしい。 今、私がダウンしたら大変なことになるので、疲れやストレスをためこまないように気を付けなくて

    ハッピー探偵ドゥードゥー?―2歳児のいる景色 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 隙間時間でも達成感。ありがとう!「100ネエサン」刺しゅう - 一筋の光、降り注ぐ光。

    長女たちが帰ってから、急に秋が深まり寒くなった。毎日あんなに、暑い暑いと言っていたのに。 そう、2週間前は半袖で走り回っていた私。今日はカシミアのカーディガンを着ている。気温以上に、室温が下がったのかな。4人分の体温が消えて・・・ もう既に懐かしい。まるで子育て中の頃に戻ったかのような、慌ただしい日々だった。 忙しかったけど、自分に使える時間がまるでなかったという訳でもない。特に、長女が入院するまでの時期は、細切れだけど自由時間を作り出せる日もあった。 長女もちょこちょこと手芸をするのが好きで、一緒に刺しゅうしたことも数回。2歳児には、隣でお絵かきをしてもらったっけ。 楽しい思い出の時間が作れたのは、ある商品のおかげかもしれない。 ああ、隙間時間でちょっと何か作りたいなぁ。心が華やぐような、綺麗なものが作りたい。ただし、あまり作業スペースを取らず、すぐに片付けられる、という条件は外せないよ

    隙間時間でも達成感。ありがとう!「100ネエサン」刺しゅう - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 娘の巣立ちに揺れたけれど - 一筋の光、降り注ぐ光。

    次女が家を出てから2週間になろうとしている。 この秋、7人で暮らし、MAX8人いた日もあった家に今、夫婦ふたり。この落差! 娘のチェストや棚、そして大量の服とが消えた。この引越しに乗じて私も少し断捨離。まだ片付けは完全に終わらせていないが、ずいぶん広くなったと感じる。うちってこんなに広かったかしら。 いろいろあって、前の家から引越してきたのが4年前のこと。それから3人で頑張ってきた。当に仲良く頑張ってきたよねと、思い出せばまた涙が出そうになる。大変だったけど楽しかった。次女のおかげだ。 4年9ヶ月前の長女に続き、私の大切な宝物がまたひとり、手元から巣立っていった。 25歳。決して遅い独立ではない。私は20歳で家を出ている。前からひとり暮らしに憧れていた次女には、「いつでも出て行っていいんだよ」と伝えていた。 自立したいという気持ちは大切だし、応援しようと思ってきた。今だってそう思ってい

    娘の巣立ちに揺れたけれど - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 上手になりたい、とシンプルに思う。刺しゅうも、他のことも・・・ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    『一週間』という歌がある。ロシア民謡らしい。 日曜日に市場へ出かけ 糸と麻を買って来た テュリャ テュリャ・・ 月曜日にお風呂をたいて 火曜日はお風呂に入り テュリャ テュリャ・・ 水曜日にあのこと逢って 木曜日は送っていった テュリャ テュリャ・・ 金曜日は糸巻きもせず 土曜日はおしゃべりばかり テュリャ テュリャ・・ 恋人よこれが私の 一週間の仕事です テュリャ テュリャ・・ というのが歌詞。初めて聞いた小学生の頃、なんて変わった人なんだろうと思った。 やること少ないんだなあ。暇なのかなあ、のんきなのかなあ。こんな人が恋人だったら、いくらテュリャテュリャ・・~♪って歌われても嫌になっちゃうんじゃないかなあ、なんて心配したものだ。 2020年が始まり、10日が過ぎた。去年から持ち越しの問題を抱えており、のんきにしていてはいけないとはわかっているのだけど、ちょっと今、具体的にどうしたらいい

    上手になりたい、とシンプルに思う。刺しゅうも、他のことも・・・ - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 母の入院で事態は急展開―遠距離介護が始まった - 一筋の光、降り注ぐ光。

    母が歩く夢を見た。 退院した母が、土間のような場所に立ち、そこから明るい外を見て 「あらぁ」 と嬉しそうに、ゆっくりと、薄桃色の紗がかかったような春の庭に出て、表の道を歩き出した。 杖もなしで、父の肩に手を掛けて。 「待って」 と私は慌てて追いかけ、母の手を取った。 「お母さん、歩いているじゃない、すごい!」 と私が驚くと、微笑んだ母。 「良かったぁ。治ったんだね。もう歩けないかと思ったよ。怖かったよ」 と私は涙ぐむ。母の手を両手で包む。 良かった・・・という自分の声がもう一度、私の口から出かかったとき、眠りの淵からこちらに戻ってくる感覚がわかり、私は絶望を感じた。 いやだ。目覚めたくない! ずっと、夢の中にいたかった。 寝つきの悪い日が続いている。明け方、ようやく眠れても、妙な夢を見て目覚めることが多くなった。しかし、母の夢は初めてだ。淡い光に包まれた母は、とても綺麗だった。 現実の母は

    母の入院で事態は急展開―遠距離介護が始まった - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 50'sの恋人たち―母の青春時代 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私の知っている母は、当然ながら私がもの心ついてからの人物で、それ以前は未知の人だ。若き日の母は、古いアルバムの中でしか知らず、それは子どもの私にとってすでにセピア色だった。 少女の頃、私は、母によく若い頃の話をしてほしいとねだった。どんな女の子だったの? 中学・高校時代はソフトボールの選手で、セカンドを守っていたこと。高校卒業後は、幼稚園の先生をしていたこと。洋裁学校に通い、服を作っていたこと。フォークダンスや社交ダンスが得意だったこと。 父とはそのダンスを通じて高校生のときに知り合い、長くグループ交際をしていたのだとか。父との馴れ初めを話すときの母の表情を、今も思い出す。少し照れたような、でもちょっと誇らしいような。 私が高1くらいだっただろうか。ファッション雑誌で1950年代の特集を読み、母の青春時代の服装がとても素敵だと思った。 ウエストを絞ったサーキュラースカート。オードリー・ヘプ

    50'sの恋人たち―母の青春時代 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 「ありがとう」と言われた気がした―母のことをもう少しだけ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    清水の実家にはお仏壇がない。理由は聞いていないが、父は次男だし、結婚してからは転勤族となり、引っ越してばかりだったから、だと思う。薄給の公務員だったし。 ただ、父の家の先祖代々の霊を祀る紙と、母のお父さん(私の祖父)の戒名を書いた紙(紙位牌?)が貼られた木箱(多分みかん箱)が家にはあり、香炉とりん、花立、燭台など、小さな仏具も備えていた。 我が家ではそれを「のーのさん」と呼んでおり、私も時々はお線香をあげていた。受験の日の朝とかね。「のーのさん」は父が清水に家を建ててからも、そのまま和室に置かれていた。 最近になって知ったのだが、母は生まれた赤ちゃんの夜泣きに悩み、この「のーのさん」をこしらえて、祈り始めたそうだ。生まれた赤ちゃん・・・私か!! 母が亡くなり葬儀を終えて、私は少しの間、清水に残った。葬儀社が実家に設置した簡易祭壇には、母の遺影とお骨に加え、「のーのさん」にあった小さな仏具た

    「ありがとう」と言われた気がした―母のことをもう少しだけ - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 潔く、やり直す!刺しゅうが思い出させてくれた“母の教え” - 一筋の光、降り注ぐ光。

    自分の図案で刺しゅうができるようになりたい。 そう思い始めたのはいつ頃だろう。 家族のためにマスクを作ったとき、小さな刺しゅうをアクセントに施してみたりとか、その程度はしたけれど。ある程度の大きさのものを自分でデザインするって、私にはなかなかのハードルの高さで、ずっとトライできずにいた。 大好きな刺しゅう作家さんの図案に憧れて、を買って、お手を見ながら指定のステッチでチクチク・・・そんな刺しゅう体験も素晴らしく幸せなのだけど。そしてこれからももちろん、そういう刺しゅうもしていきたいのだけど。 自分の心の景色を絵にして、刺しゅうで表現してみたいという気持ちが芽生え、その芽も大事に育ててみようと思ったのだった。 今年は3月からずっと、母のことで不安かつ慌ただしい日々が続き、時間的にも精神的にも、じっくりと自分の好きなことに向き合う余裕などなかった。新型コロナの影響でステイホームが叫ばれ、あ

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  • 月とワインと神秘と科学―今宵、中秋の名月 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    昔、ワイン教室に通っていた。動機は大したことではない。 ワインが好きでずっと飲んできたけれど、レストランでもワインショップでも、いつも選ぶときに迷ってしまう。勧められたものをただ漫然と飲んでるのも情けないので、自分で選べるよう少し勉強してみようと思ったからだった。 教室には、私のようにライトなワインファンも結構いたけれど、ソムリエやワインエキスパートを目指す、目が真剣!な人たちもいて、その温度差に、講師の先生はさぞやりにくかっただろうと思う。私や友人は、単純に楽しんでいたなあ。当に面白い講座だった。 その先生が、自然派ワイン(ヴァン・ナチュール)が好きな方で、ヨーロッパでの自然派ワイン造りの歴史や手法の話になると、もう熱が入り過ぎて止まらない。だんだん難しい用語が増えてくる中、欠伸をかみ殺す受講生も増えてくる。「早く試飲会にしようよー」と小さく呻く声も。気持ち、わかる。笑 でも、その自然

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  • “ささやかな幸せ”を抱きしめる―11か月ぶりの再会 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    今日も、あたたかい布団の中で、空腹も感じずに、眠ることができる・・・ ここのところ、毎晩のように、このささやかな幸せをかみしめている。新聞やテレビで、悲しい切ないお話を、ずっと見聞きしているからかもしれない。 ・・・どんなに辛いことがあっても、私は飢えていないし、凍えていない。それだけでも幸せなことだ。ありがとうございます・・・ そして、このささやかな幸せを同じように抱きしめていた、遠い昔を思い出した。 慌ただしかった子育て中、不安も不満も自己嫌悪も、いっぱいあった中、並んでスヤスヤと眠る幼い娘たちを見て、ふっと安心した夜があった。 「大丈夫。この子たちはお腹を空かせていない、寒がっていない」 秋も深まる頃だった。 子どもを育てるというのは、当たり前だけど、とても大変で責任が重い。自分のような未熟な者に、ちゃんと育てることができるのだろうかと、いつもどこかで自信がなくて、育てていけなくなっ

    “ささやかな幸せ”を抱きしめる―11か月ぶりの再会 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 父とふたりで、母の思い出のレストランへ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    久しぶりに、ハンカチにアイロンをかけた。 え。何年ぶりだろう。 昔は家族4人分のハンカチに、毎日のようにせっせとアイロンをかけたものだった。夫がパイル地のハンカチを愛用するようになって以来、我が家ではアイロンの必要なハンカチは日の目を見なくなっている。 いつからか、ハンカチの必要なシーンも減った。 商業施設でも、駅やサービスエリアでも、トイレには手を乾かしてくれるハンドドライヤーが、普通に装備されてきて。 もっとも最近はコロナのため使えないようにされていて、またハンカチが活躍しているが、それはダブルガーゼやパイル地の、アイロンをかけなくて済むハンカチだ。 綿ブロードの大きなハンカチにアイロンをかけるのは、正直言って面倒だった私。でも、パキッと四隅の角が際立ち、大小のしわが伸びて、生き返ったようにカッコよくなった姿を見るのは好きだった。 昨日、アイロンをかけたハンカチは、母のもの。先週、また

    父とふたりで、母の思い出のレストランへ - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • うっとりと実ってゆきたい - 一筋の光、降り注ぐ光。

    例年より早く、肌寒さを覚える。昨日までの青空は今日は厚い雲に隠れ、今にも雨が降り出しそうだ。 少し頭が重い。窓を閉めに行くと、近所で赤ちゃんの泣き声がした。なんて元気がいいんだろう。大声で要求している。これこそが「若さ」か、と思い、感心する。 今朝の新聞に、八木重吉の詩「果物」が載っていた。 秋になると 果物はなにもかも忘れてしまって うっとりと実のってゆくらしい 早世の詩人、重吉がどんな気持ちで書いたものであったか。うっとりと実る果物を想像したら、私はとても慰められたような気持ちになった。 小さな青い実だった頃、太陽の光が欲しくて、水が欲しくて、早く大きくなりたくてたまらなかった果物。自分を狙う鳥や虫が怖くてたまらなかった果物。生きていかなきゃ、ちゃんと育たなきゃ、と頑張ってきた果物は、今ではもう頑張ってきたことなどすっかり忘れ去ってしまって、日に日に短くなる秋の夕暮れどきに、ただただう

    うっとりと実ってゆきたい - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 「We're aging like fine wine.」と言いたいね - 一筋の光、降り注ぐ光。

    今年になってから、炊飯器が壊れ、洗濯機が壊れた。どちらも十数年働いてくれたのだから、寿命だろう。感謝してお別れし、買い替えた。 先日、羽毛布団も二十数年ぶりに新調。側生地がもう限界だった。長い年月を、よく頑張ってくれたと思う。それにしても、出費は痛かった。 身の回りのモノたちが、あれもこれも古くなっていく。経年劣化を実感する機会が増え、ため息をつき、ふとわが身を振り返ってみる。 ああ。 残念なことに、自分自身の経年劣化も否めない。こちらは買い替えがきかない。 そういえば、リーディンググラスも先日、買い替えた。フレームの傷みもあるが、老眼が進んだのだ。 目が悪くなってからずいぶん経つが、年々「勘で生きている」感覚が強くなってきたように思う。気配とか、匂いとか音とかで、視力を補っているようだ。 若い人にそう言ったら笑われたが、「君たちもいずれそうなるんだよ」と、心の中で意地悪な言葉をつぶやく。

    「We're aging like fine wine.」と言いたいね - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • まずは自分のからだの声を聴こう - 一筋の光、降り注ぐ光。

    ちょっとした繕い物をした。ほんの15分ほど、畳に座って膝の上で。終わって立ち上がろうとしたら…動けない。膝が固まっている。 びっくりした。これが、年を取るということか。こんなことで、立ち上がるのにも苦労するんだ。5分ほどかけて、ゆっくりと元に戻る私の体。膝だけでなく、腰もなかなか伸びない。哀しくなってくる。 でもさ、と思い直す。当たり前のことじゃん、トシなんだから。何歳だと思ってがっかりしてるの?(笑) ここで、情けないわーとか、もういやだわー、とか嘆き落ち込む必要はないし、そんなネガティブな気持ちを引きずることこそが、自分を貶めてしまうことにつながる。何十年も頑張ってきてくれた自分のからだに対して失礼だ。 膝と腰に掌を当てて、私は心の中で謝り、感謝する。 ごめんね、15分も同じ姿勢でいて。 ありがとう、また元通りになってくれて。 ここ数年、からだの声に耳をすませるようになった。繰り返し意

    まずは自分のからだの声を聴こう - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 睡眠。私の場合は・・・ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういう訳だ そんな風に始まる井上陽水さんの『東へ西へ』を聴いたのは、いくつの頃だっただろう。中学生くらい? すごく共感した覚えがある。学校から帰ってきて一度寝てしまうと、夜、なかなか寝付けない。それでラジオの深夜放送を聴く。睡眠時間が少なくなる。だから授業中にウツラウツラしてしまったり、家に帰ってまたちょっと寝てしまったり。 ・・・悪循環。 早寝早起きの規則正しい生活をしろと言われるけど、 「難しいよ!」 そう感じてた思春期の私。 とにかく若い頃って眠いのだ。20代になっても、私は基、いつでも眠かった。寝てるの大好き。ベッドの一部でいたい。仕事に行かなくて良いならば、お昼までだって寝ていられる自信があった。疲れて帰って、バタンキューで眠りに落ちていた日々。 30代。子育てが生活の中心だった頃は、寝られるときに寝る、という技術が身についてきて、分散した睡眠

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  • ストレッチ&スロトレで、からだと心を整えたい - 一筋の光、降り注ぐ光。

    力が入らない。欲もないし。 夏バテ気味なのかもしれない。それでも、毎日ヨガマットを広げては、ストレッチや緩い筋トレを続けている。そうすると、少しだけ元気が出てくるから不思議だ。 からだの声を聴き、声を掛けてあげる。どこが調子悪いのか、どこを伸ばしてほしいのか。一日のうちの、ほんの30分ほどだけど、面倒がらずにちゃんとからだと向き合うことを大切にしている。 あれ。同じようなことを以前も書いていたなあと思ったら、2年前のことだった。 tsukikana.hatenablog.com このときは冒頭で、15分座ったら膝が固まって動けない、なんて言ってる。 そうだったんだね。 でも何故だろう。2年後の今は、それくらい正座したって膝は固まらない。そういえば、腰痛にも悩まされることがなくなっている。加齢による不調は不可逆的なものと思っていたけれど、そうではないの?それとも毎日のストレッチが功を奏して

    ストレッチ&スロトレで、からだと心を整えたい - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 遠き恋人の君を想う―西城秀樹さんとクリスマス - 一筋の光、降り注ぐ光。

    冬の花火大会(花火劇場と言うらしい)を見てきた。アンデルセンの「マッチ売りの少女」のストーリーに、音楽と花火を連動させたイベントだった。 最初のうちは、ナレーションの語り口に乗れなかったり、パラパラと上がる花火を少し物足りなく感じたりしながら見上げていたが、物語の節目でドドドドッと大輪の花々が打ち上げられることが繰り返され、だんだん陶酔していった。 華麗でカラフル。迫力もあるけどロマンティックで、さながら天空のイルミネーションといった風情。クライマックスのゴージャスな演出には思わず「おお!」と声が出てしまった。 周囲を見渡すと、当然ながらカップルが多い。今年のクリスマスイブは平日なので、一番近いこの週末にクリスマスデートする人たちが多いんだろうね。 来場者数見込み約8万人と聞いたが、どうだったんだろう。確かにすごい人数だった。 真冬の大空を彩る美しい花火のショー。見上げていた大勢の人たちは

    遠き恋人の君を想う―西城秀樹さんとクリスマス - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 平和はわたしから―ハーブとホ・オポノポノの力を借りて - 一筋の光、降り注ぐ光。

    昨日、駅前のスーパーマーケットまで、ハーブを買いに自転車を飛ばした。イタリアンパセリとディル。ここのハーブは新鮮でお値打ちなのだ。どうしても欲しかったディルは最後の1パック。入手できてほっとした。 このディルに加え、ベランダからローズマリーとチャイブ、タイムの葉を摘んできて、これらを細かく刻み、室温に戻したクリームチーズに混ぜ込む。キッチン中に、青い爽やかな香りが満ちる時間。私は大きく深呼吸した。 ハーブの力を借りよう! 辛いことが続き、内面が傷ついたまま治癒していないと自覚したとき、私はハーブづくしの卓にしたくなる。まさに、薬草を求めるように。 昨夜はこのハーブチーズを石窯焼きのバゲットのスライスに塗っていただいた他、ミートボールのクリーム煮にイタリアンパセリを散らしたもの、スモークサーモンとアスパラのカルパッチョにディルをたっぷり添えた一皿を、結婚記念日の夕とした。 質素で派手さは

    平和はわたしから―ハーブとホ・オポノポノの力を借りて - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • ノスタルジックな気分と幸福感―クリスマスの飾り付けに思う - 一筋の光、降り注ぐ光。

    11月は、週末をいつも次女と過ごしている。一緒に買い物に出掛けたり、カフェに行ったり、彼女が家に泊まったり、私が彼女の部屋に行ったり。 去年の暮れに、同じ県内でひとり暮らしを始めた次女。当初はよく会っていたのだけど、その後コロナ禍で会えない時期が長く続いた。 ✻次女のひとり暮らしについて書いた記事はこちら↓ tsukikana.hatenablog.com その間、母が亡くなったことを始め、いろいろな出来事があり、電話やLine、ビデオ通話はしていたものの、会って話せないもどかしさを感じ続けた。 まるでその反動であるかのように、最近はよく会っている。 ・・・でも多分、反動だけではないのだと思う。 「またずっと会えなくなるかもしれない」という思いが、この不穏な世の中を生きていくうちに、心の中で育ってしまったのではないか。そんな気がしている。 次女は、わりとさっぱりした性格で、お見送りをされる

    ノスタルジックな気分と幸福感―クリスマスの飾り付けに思う - 一筋の光、降り注ぐ光。
    tsukikana
    tsukikana 2020/12/09
    mmayuminnさん、コメントありがとうございます。とても嬉しい気持ちになりました✨
  • 人生は短いから不幸でいる暇なんてない ―「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」から - 一筋の光、降り注ぐ光。

    忙しすぎて心が迷子になっていない? そんな風に聞かれたら、どれだけの人がドキッとするだろう。私の場合は忙しすぎではないと思うが、心は迷子になりがちだ。 何をしていても「今って、こんなことをやってていいんだっけ?」「私はどこへ行くのだったかしら」と心細くなり、目的地や道しるべを探したくなる。また、「気持ちが散漫だな」と思い、「軌道修正をしなきゃ」と焦ることが多い。 冒頭のことばは、「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」という映画の予告編字幕で見て、心の端に刺さっていた。 公式サイト tasha-movie.jp ターシャ・テューダー(Tasha Tudor)さん。1915年8月28日に生まれ、2008年6月18日に92歳で永眠。その絵のタッチに懐かしさを覚えるのは、私も幼い頃、彼女のに触れたことがあったからかな。あるいは誰かからのクリスマスカードだったかも。 この映画を観てみたいと思っ

    人生は短いから不幸でいる暇なんてない ―「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」から - 一筋の光、降り注ぐ光。
    tsukikana
    tsukikana 2020/10/19
    素敵な言葉を集めていこう