家族に関するtsumoyunのブックマーク (21)

  • 大人になったふたりの娘の父親として学んだ5つのこと - ICHIROYAのブログ

    20代後半の娘がふたりいる。 長女は結婚して、すでに孫もいる。 僕は百貨店勤務が長く、彼女たちがまだ小さかった頃、土日や祝日は充分に娘たちと過ごす時間がなかった。 そういう時間的な制約だけでなく、僕自身も、30近くなっても、まだまだ未熟な人間で、とても立派な父親とは言えなかった。 長女は、口下手で好きの僕に似た性格で、思春期になっても僕との間に大きな溝ができることはなかった。 理由は忘れたが、なんだかの理由で部屋に閉じこもって泣き、出てこなかったことがあったが、たいてい話は通じた。 次女は運動とファッションが好きで、や勉強は大嫌い。思春期のころ、僕と共通の話題はほぼ皆無で、たまたま車にふたりきりになると、石のような思い沈黙が僕らの間を塞いだ。 思春期を過ぎ、大学受験や就職、結婚などを経て、20代後半になった娘たちと僕のあいだには、もう、壁はない。 あれほど話が通じないと思っていた次女と

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  • 花参り - Everything You’ve Ever Dreamed

    お萩と牡丹の違いが僕にはよくわからない。春、秋、季節によって呼び名が変わるだけで同じもの、らしい。それなら棚から落ちてくるのがお萩ではなくて牡丹なのはなぜだろう?「たなぼた」が「たなおは」でもいいんじゃないか。そんなことを思いながら仕事帰りに和菓子屋に立ち寄り、不憫なお萩を買った。仏に供えるためだ。お彼岸。鎌倉の材木座にある寺に父は眠っている。駐車場に車を停め桶に水を汲み墓へ向かう。墓を掃除するために一足早く来ていた母の足元に広げられた新聞紙のうえには古い花が置かれていた。数の花は枯れ、名を失い、茶色く変色していた。「お父さんのお墓に来る人も減ったわねえ」と母は言った。無理もない。父が亡くなって18年になる。僕と弟が「花参り」をやめてしまってからも随分と時計はまわってしまった。 父が亡くなってしばらく経ったある日、墓を訪れた僕と弟はお供えの花が次第に減ってきていることに気がついた。そ

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  • ラブホテルをつくろうと母は言った - Everything You’ve Ever Dreamed

    家族でも恋人でも友人でもいいのだけれど、そういう大事な人を喪ったときの正しい感情ってなんだろう、なんて答えがないことを父の死を契機に僕は十代の終わりの一時期かなり真剣に考えていた。父が死んだとき僕が真っ先に思ったのは、悲しみでも、将来や生活への不安でもなくて、人間なんて簡単に死んでしまうんだな、エロの隠し場所には気を付けなきゃいけないな、というどうでもいいことだったりする。多感な18才だったので悲しかったのは間違いないのだけれど、前年の夏に祖母を亡くした直後ということもあって命が消えてしまう呆気なさに僕はただ愕然としていたのだ。 愕然としたあと僕はムカついた。というのも淡々と葬儀屋と打ち合わせをこなし、葬儀を執り行う母をみて親戚のオッサンどもが「少し休んだらどうだ」とか「泣いたっていいんだぞ」とか「これからの生活はどうするんだ」なんていちいち声を掛けてきたからだ。母のやりたいようにやらせ

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  • 西原理恵子氏の「食育なんて女をばかにしてる言葉」発言について思う。 : こすいのほとり

    2007年10月19日22:34 カテゴリこどものはなし/家族の話 西原理恵子氏の「育なんて女をばかにしてる言葉」発言について思う。 どういうことかというと、漫画家の西原理恵子氏が、毎日新聞の2007年9月7日の記事(「おかあさん」という、著名人が母を語るという連載)の中で、こんなことをいったんですね。 長いけど引用します。 <サイバラ流「手抜き育児のススメ」。男たちよ、心して聞くべし>育なんて、ホント、女をばかにしてる言葉だと思う。家でご飯炊かないことをすごく悪く言うでしょ。そういうのって、大抵、男が言ってる。朝、一杯のみそ汁作るのに、どれだけ時間かかるか。インスタントでいいんですよ。 晩ご飯は私が作りますけど、週2回くらいは外してます。子どもは「え〜」って嫌そうだけど、「お母さんは一日家にいたから」って。私の料理は「景気良く炒める」。ピーマンとかニンジンとか「べなさい」って、星

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  • 大人なんだから、ちゃんとしなきゃだめなんだよ!:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

    http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1201666511/ 262 名前:水先案名無い人  sage 投稿日:04/08/15(日) 04:29 ID:v9oZgE2Y 俺が結婚したのは20歳の頃だった。は21歳、学生結婚だった。 二年程貧乏しながら幸せに暮らしていたが、ある時妊娠が発覚。 俺は飛び上がる程嬉しくて一人ではしゃいでいた。 「無茶はしないで」というの言葉も無視して次の日には退学届けを提出。 叔父さんの経営している会社にコネで入れてもらった。 とにかくやる気満々で、働きまくって子供を元気に育てるんだ!ってなもんだった。 今考えても単純だったと思う。 けどそんな幸せも長くは続かなかった。 その後しばらくして、交通事故がお腹の子と一緒に死んだのだ。 この辺りは当に今でも良く思い出せない。 何やら言う医者につかみかかって殴

  • 近況 - kom’s log

    彼女の説得工作に見事に負けて私は11月下旬に結婚し、12月中旬にその彼女は私の家にやってきた。一緒に暮らすのも楽しいなあ、と思い始めた1月下旬に子供が産まれ、その5日後にくも膜下出血で産院から神経外科に緊急入院した。2週間後の今、5日前に確実に脳死しますと宣告された彼女は(ドイツの医師はこのあたり容赦ない断言をする)酷なる状況を見事にギリギリでサバイブした。脳幹の大規模な梗塞で意識を取り戻す見込みはない、という程度の所見にまでに回復した。 うれしい。彼女が存在していること。 負け戦をボロボロになって闘ったのは彼女である。でも私は彼女を救ったような気さえしている。幾度にも渡る過酷な決断に直面して飯を忘れたせいか、指がやせ細って手を洗っただけで彼女が私に押し付けた結婚指輪がずり落ちるようになってしまった。そもそもこんな拘束具みないなものしたくないなあ、と思っていた。別にしなくていいのだろうけれ

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  • 週末婚? - 内田樹の研究室

    ゼミのお題は「週末婚」。 「しゅうまつこん」と聴いて「終末婚」という文字を思い浮かべた人もいた(臨終間際に永遠の愛を誓い合う男女・・・シュールだ)。 週日はばらばらに暮らして、週末だけいっしょに過ごす。 自分らしいライフスタイルは仮に配偶者であっても邪魔されたくないという欲求が見出したソリューションである。 なるほど。 発表した学生によると、週末婚実践者たちのブログをチェックすると、GW明けは男女問わず「配偶者と長くいたので、疲れた」という愚痴が書かれていたそうである。 疲れる理由は「自分のペースで生活できない」。「家事負担が増える」などなど。 要するに配偶者が「自分の生活」に関与してくるのをどのように抑止するかにみなさん心を砕かれているわけである。 そうですか。 でも、それなら結婚しなけりゃいいじゃないですか、とゼミの学生たちが一様に言う。 そうだね。 まあ、先方にもいろいろご事情という

    tsumoyun
    tsumoyun 2009/02/08
    “結婚は快楽を増加するための享楽装置ではなく最悪の事態を回避するための安全装置である/結婚の目的は親族の形成である”
  • そろそろ春だけど - 内田樹の研究室

    昨日も今日も会議。 この一週間、数えたら会議が10回あった。 その10回目。 ほとんどの会議が同じ顔ぶれである。 大学教員には二種類がいる。 「会議に呼ばれる人」と「会議に呼ばれない人」である。 たいていの場合、「会議に呼ばれない人」はその会議での議題について、特段の意見がない方ではない。むしろ、当該論件について、きっぱりとした意見をお持ちの方が多い。 彼らが呼ばれないのは、その人が会議で発言を始めると、会議がたいへん長引くからである。 だから、「会議に呼ばれる頻度の高い人」は、「会議で長時間無言でいることに耐えられる人」か、「会議を早く終わらせる特技を有している人」かどちらかである。 私はご案内のとおり、会議で長時間無言でいることに耐えらるような度量の大きい人間ではない。 しかし、私が我慢できずに「ええい、めんどうだなあ。あのね、早い話が」と発言を始めると、場はたちまち収拾のつかない混乱

    tsumoyun
    tsumoyun 2009/02/05
    “変わったのは家族ではなく、家族の定義である。誰が変えたか知らないけれど、ほんらい家族というのはもっと表層的で単純なものである。成員は儀礼を守ることを要求される。”
  • 親族の基本構造 - 内田樹の研究室

    大学院では今期は「家族論」をやっている。 今回のお題は「父親」。 発表担当のマスダさんがいろいろな論者の家族論・父親論を引用してくれたので「父親をめぐる言説史」を一覧できた。 日人の家族論の多くがサル学の知見に依拠しており、精神科医たちまでが霊長類の「延長」として家族をとらえていることに私は一驚を喫した。 人間の家族はゴリラやチンパンジーの「家族」とは成り立ち方が違う。 レヴィ=ストロースは家族論を語るときの必読文献だと私は思うのだけれど、家族論者のどなたもこの人類学者の知見には特段のご配慮を示されておらないようである。 よい機会であるので、レヴィ=ストロースの「親族の基構造」の考想を簡単にご紹介しておこう。 レヴィ=ストロースはラドクリフ=ブラウンの先行研究をふまえて、親族の基単位が四項から成ると論じている。 「ラドクリフ=ブラウンによれば、伯叔父権 (avunculat) という

    tsumoyun
    tsumoyun 2009/02/04
    ”タイプの違う二人のロールモデルがいないと人間は成熟できない/成熟というのは簡単に言えば「自分がその問題の解き方を習っていない問題を解く能力」を身に付けること/99%の男には生物学的には価値がない”
  • 礼について (内田樹の研究室)

    大学院では後期に家族論を講じている。 前期は教育論であった。 『街場の教育論』はミシマ社から、『街場の家族論』は講談社から来年中には出版されるので、私がどのような妄説を教場で獅子吼しているかを知りたい方それらの作物を徴されたい。 先週は小津安二郎に関連して「家族とは何か?」という質的な問いをめぐって論じた。 だいぶ前に『ミーツ』書いた家族論が『村上春樹にご用心』に再録された。その中に私はこう書いている。 「人々が集まったとき、ある人がいないことに欠落感を覚える人と、その人がいないことを特に気にとめない人がいる。その人がいないことを『欠落』として感じる人間、それがその人の『家族』である。その欠落感の存否は法律上の親等や血縁の有無とは関係がない。家族とは誰かの不在を悲しみのうちに回想する人々を結びつける制度である。」 〈空虚〉を中心にして人間の運命は形成される。 邪悪さも善良さも不幸も幸福も

    tsumoyun
    tsumoyun 2009/02/04
    “「もう存在しない他者」「まだ存在しない他者」の現時的な不在を「欠如」として感じとることは人間が種として生き延びるために不可欠の能力である。”
  • 少子化と家族解体 - 内田樹の研究室

    火曜の大学院のゼミのテーマは「少子化」であった。 これについては、これまでもすでに何度もこのブログで論じているので、とくに付け加えるべき意見はない。 少子化そのものは日が国民国家として縮小段階に入ったことの徴候であり、無限の経済成長、無限の資源、無限の市場というありえない幻想から醒めつつあることを意味している。 こういうものは個人の発意や決断でどうこうなるものではなく、地学的な変動のようなものである。すでに人口負荷が日の国土と環境の耐力限度を超えているのであるから、縮むのが合理的なのである。 これについては今年のはじめごろ、古田隆彦青森大学教授(人口社会学)の所論を紹介した。それを再度ご紹介しておこう。 人口容量(carrying capacity)という概念がある。 日列島の人口容量は、旧石器時代で3万人、粗放農業文明期で700万人、集約農業文明期で3300万人と推定されている。

    tsumoyun
    tsumoyun 2009/01/31
    “社会的なふるまい方の原則はどんな場合も同じである。 それは「世の中が全部『自分みたいな人間』ばかりになったときにでも生きていけるような生き方をする」ということである。”
  • 20年前と今の『はじめてのおつかい』の変化 - 活字中毒R。

    『いつやるか? 今でしょ!』(林修著/宝島社)より。 (『東進ハイスクール』のカリスマ講師・林修さんが2012年に書かれたの一部です) 【ずいぶん前に。高校の先生と現代文の指導について話していたときのことです。生徒の成績表を見ながら、あれこれ話していたのですが、そのとき妙なことに気づきました。 上位の生徒は「明子」、「良子」、「宏美」など普通に読める名前が圧倒的で、特に「子」がつく名前が多いのです。一方、下位になればなるほど「これなんと読むんですか?」と聞かなければならないような「難読」名が増えるのです。かなりの数のクラスがありましたが、すべてそうでした。 「こういう難しい名前の生徒の親は、クレームも多いんですよ」 高校の先生は、そうもおっしゃっていました。僕は、これは単なる偶然ではないと思っています。 親は自分の子どもが立派な人間になることを願って名前をつけます。あくまでも究極の目的は

  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

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  • 男女平等を家庭に持ちこむのはやめにしないか - 狐の王国

    以前から感じてた男女平等論への妙な違和感が、なんとなく見えてきた気がする今日この頃。下記の記事を呼んで少々考え込んでしまった。 とある夫婦の離婚序章 共働き夫婦が支え合うべきこと - 理系兼業主婦日記 これを見て一つはっきり感じたのは、「共働きなんだから家事も分担」がいかにおかしい話かということだ。 もう一つ素晴しい記事があったので引用してみる。 主婦が晩ご飯にカレーライスを作って、子供を含む家族がそろってテーブルについて事するという、何気ない日常の風景の裏には、これと似たような、ものすごいデータの蓄積と、気が遠くなるような情報の断片の収集と、それを一気に短時間で処理するアルゴリズムが動いている。冷蔵庫にある材料の在庫は何か、じゃがいもがないから帰りに買っていかなきゃ、子供の好き嫌いや今日の給べたものは何か、誰かはアレルギーがあるからこれはダメ、自分の仕事が締め切り前だから当はマ

    男女平等を家庭に持ちこむのはやめにしないか - 狐の王国
  • 西原理恵子の「食育なんて無視しましょうよ」 - あひるちゃんがゆく

    なんて頼もしい。(ネタ元は裏[4k]) ■おかあさん:母を語る 漫画家・西原理恵子さん/6 – 毎日jp(毎日新聞) 動画はこちら。 ■動画共有サイト:毎日動画「西原理恵子さんの「育」批判」 投稿者: mainichiさん 【勉強、生活、事って、全部面倒みてたら、そりゃ殴るのも無理ないよ。それで「きょうもつい子どもを怒ってしまった」って夜に落ち込む。そんなことやめて育なんて無視しましょうよ。】 えーと別にサイバラは、子供に何をべさせても親の自由とか言ってるわけじゃないですよね?なんかそういうふうに勘違いされて批判とかされているのかな。[別記事に追記] いやまあ確かにちょっと前の餃子とか最近では米とかもうほんと外ヤバイな、こわいなとは思いますが。それとこれとはなし崩しにごっちゃにしてほしくないというか。 「子供の世話」には「女が手間暇かけるべき」と言われていることに対して、サイバ

  • 神の子どもたち - 空中キャンプ

    渋谷駅前の交差点、路上に設置されたスピーカーから流れてくるのは、いくぶん抑揚に欠けた男性の声で、その声は「キリストを呼び求める人は救われます」と何度も繰り返していた。たくさんの通行人が行き交う年末の渋谷。強風で、外は寒い。信号待ちをしながら、わたしはふと気がついた。「キリストは罪を赦し、永遠の命を与える」──そう書かれた看板を持って立っていたのは、小学校五年生くらいのちいさな女の子だった。 われわれは親を選択することができない。どのような親のもとに生まれるのかを選び取ることができない。両親は、彼らにとって「善きこと」を子どもに伝えようとするし、そこにはそれぞれの親の価値観が大きく関係してくる。それはときに宗教であったり、ある種の思想であったりもする。親は「善きこと」を子どもに伝える。それはあたりまえのことで、他人があれこれと口をだす問題ではないのだとおもう。 両手でしっかりと看板を支えなが

  • 昨日、子供が生まれた。 - 琥珀色の戯言

    昨日、子供が生まれた。 妊娠をはじめて聞いたときには、正直「あと1年くらい(子供ができるのが)遅かったらよかったのに……」と思ったのだ。 たぶん、子供ができなかったら、ずっと同じことを思い続けていたのだろうけど。 初産で予定日まであと1か月近くあったので、そろそろ名前の候補でも挙げておかなくっちゃな、と考えていたところに、いきなり「破水した」との連絡があり、仕事を終えて産科の病院に着いたときには、もう子供は生まれていた。 保育器に入っているのを外から覗くだけ、というのを予想していたのだが、小さな小さな赤ちゃんは、母親の横で寝るでも起きるでもなく、右手で何かを握ろうとしたり、半分泣きかけたところで考え直したかのように泣くのをやめて半分だけ目を開けたりしていた。 正直、僕は自分に子供ができるのが怖かった。 このエントリで以前書いたように、僕は自分の親、とくに父親の愛情をうまく受け止め、解釈

    昨日、子供が生まれた。 - 琥珀色の戯言
  • 母ちゃんがいなくなったら・・・と考えてしまった日の事。

    大学生です。思うところあって、増田に。 汚い表現?まああるから気をつけてね。 今日昼部屋でゴロゴロしてたら階下から、動物のうなり声みたいなのが聞こえてきた。 めちゃくちゃびっくりして駆け下りたら、母ちゃんがうずくまって一人で吐いてんの。もうゲェゲェと。 一瞬固まったね。 なぜなら、なんか「母ちゃんは無敵」って無意識に決め込んでたから。 今の今まで。母ちゃんが病気になるとは思わなかったなんて、自分でも笑える。いやぶっとばしたいね。 慌てて、バケツにビニール袋とペーパー入れてなかにいれて、背中をさすって吐かせてあげた。 (飲み会の介抱の知識が役に立つなんて・・・) 欲なくて朝から何もべてなかったらしく、でるのは胃液だけ。でも吐き気は止まらないらしい。 どうしようどうしようってパニックだった。20歳でも情けないものだな、現代っ子って。 けど、「母ちゃんならどうしてくれるだろうか?」って考えて

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  • オレの一日

    朝7時過ぎに、8歳の長男が嫁に起こされると4歳の次男が起きて「お父さん、おきてー」とぶんぶん体を揺り起こされて無理矢理起こされる。ニュース番組も見れず、NHK教育のサヨエーサヨエーとか言って体を動かしたりする番組や、団子を無理矢理わせるアニメを見ながら、嫁が準備した朝べる。べ終わって皿を片付けようとすると、次男に「ぼくが一番なの」と言われて、皿すら片付けさせてもらえず、台所から皿を持って戻ってくる。そうこうしているうちに長男の登校時間になり、次男を肩車して「いってらっしゃい!いってらっしゃい!」と「オッパイ!オッパイ!」のノリで手を振りながら嫁と三人で長男を見送る。 布団を畳んで、次男がえっちらおっちら運んできてくれた枕と一緒に押入れに押し込む。掃除機で部屋を掃除。掃除が終わった頃、生まれたばかりの三男が泣き出す。オムツを替え、抱っこしてるとぴたりと泣きやむ三男。不当な要求はして

    オレの一日
  • 自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私はを読むのが大好きだったし、父はよくを読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理レシピくらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、

    自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また