早稲田大(東京都)の学生が講義の一環で編集した文芸誌への寄稿を巡り、筆者で作家の笙野頼子氏が、同大の教員二人に名誉毀損で訴えられた。文壇関係者も「学生誌が裁判の対象になるのは前代未聞」と語る異例の訴訟の背景にあるのは、同大の著名な教授のセクハラ解雇だ。判決を基に報告したい。 雑誌は「蒼生 2019」=写真。同大の文化構想学部で「文芸・ジャーナリズム論系演習」の講義を選択した学生が編集し、原則として年一回刊行される。二〇一八年は、准教授の市川真人氏と、非常勤講師の北原美那氏らが講義を担当した。
5日、ウィーンの芸術展「ジャパン・アンリミテッド」で展示された作品。東京電力幹部の謝罪会見を基にした動画(左)や日の丸の形に血が浮かぶ放射線防護服のようなオブジェ(右上)(共同) 【ウィーン共同】オーストリアの首都ウィーンの「ミュージアム・クオーター」で、同国外務省が協力し、日本との国交150年の記念事業として開かれた芸術展について、在オーストリア日本大使館は5日までに公認を取り消した。東京電力福島第1原発事故や安倍政権を批判的に扱った作品などが問題視されたとみられる。 この芸術展は、日本の美術家、会田誠氏らの作品を展示する「ジャパン・アンリミテッド」。政治的テーマへの抗議が高まり、公権力との関係が物議を醸した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」に参加していたグループも出展した。公式ロゴが使えなくなるだけで芸術展は続いているが、表現の自由を巡る不寛容
大学入学共通テストに導入される英語民間検定試験を巡る混乱が続く。国は公平性の担保という試験の原点に戻って、延期を含め仕切り直しの判断をする必要があるのではないか。 メニューが全部そろっていないのに、最初に出てきた一皿を選ぶかどうかを決めなくてはいけない。受験生はそんなストレスを感じているのではないか。共通テストに参加する「英検」の予約申し込みの受け付けが始まった。六団体七種類の試験で初めてとなる。 他団体の試験の詳細が示されておらず、大学によっては活用方法をいまだ明らかにしていない。そんな中での選択となるが、英検は当初、予約金三千円は実際に受験しなくても返還しないという方針を示していた。批判を受け急きょ、一週間の返金期間が設けられたが、制度が受験生の立場に立ったものとなっているのか、出だしから疑問は膨らむ。
「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎(一八六二~一九五七年)の伊吹山での足跡を紹介する企画展「神農も伊吹山には仰天し~牧野富太郎と伊吹山近代植物学~」が、米原市春照の伊吹山文化資料館で開かれている。六月九日まで。 牧野は高知県高岡郡佐川村(現・佐川町)出身。幼い頃から植物に関心があり、一八八一(明治十四)年に初めて伊吹山に登り、本格的に植物採集や標本作りを始めた。少なくとも七回、伊吹山を訪れた記録が残っている。 普及にも熱心で、伊吹山でも講習会や植物採集会を通じ、地元の住民とも交流を深めた。一九三一(昭和六)年には伊吹山麓で定宿にしていた対山館で伊吹山の植物の豊富さを評し、「神農も伊吹山には仰天し」と句を詠んだ。
小倉百人一首の撰者(せんじゃ)として知られる歌人藤原定家(一一六二~一二四一年)がつづった日記「明月記」の原本の一部が愛知県碧南市で見つかった。これまで確認されていなかった記述があり、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した歴史的な歌人の横顔がうかがえる。 明月記は定家が十八歳から七十四歳までの日記で、宮廷の社会や文化、所感を記した。冷泉家時雨亭文庫(京都市)が原本の大部分を所蔵し、二〇〇〇年に国宝に指定された。原本から離された断簡(断片)が各地に伝わり、山形、島根各県では県指定文化財となっている。 見つかった断簡は、一四年に碧南市藤井達吉現代美術館に寄贈された「石川三碧(さんぺき)コレクション」に含まれていた。同市浜寺町でみりん醸造「九重味淋(みりん)」を営む石川家の二十五代、三碧(一八四四~一九二三年)が収集した掛け軸や屏風(びょうぶ)など約百点の総称で、寄贈前は江戸時代に建てられた蔵で保
京都橘大特任教授を3月に定年退職した長浜市公園町の明定義人(みょうじょうよしと)さん(65)が、コレクションした自身の蔵書を終活のため市民に安く譲る古書店「六夢堂(りくむどう)」を、長浜市宮前町にオープンさせた。同市高月図書館長を20年間務めるなど本好きの実績を生かし、来店者に本を紹介。“本のソムリエ”の活動が評判を呼んでいる。 明定さんは、二〇一三年三月に高月図書館長を定年退職。翌四月から五年間、京都橘大文学部特任教授として図書館情報学を教えてきた。長年の本好きが高じて、これまで年間の書籍購入費は三十万円。大学を退職してからは、研究室にあった段ボール十五箱分の本を長浜市内の自宅マンション物置に運び込んだため、兵庫県加古川市の実家にある本も含め、蔵書総数は三万冊にもなった。 自宅や実家に置き場所がなくなり、苦渋の選択として、一九八〇年代に発刊された単行本や雑誌などを中心に、一部を販売するこ
名古屋市博物館の分館で、尾張徳川家の旧蔵書など約十一万点の史料を持つ蓬左(ほうさ)文庫(名古屋市東区)は、近世の尾張名古屋に関する古文書を解読した史料集「名古屋叢書(そうしょ)」の刊行を三十年ぶりに再開する。当時を知る上で欠かせない基本文献として重宝されてきたが、一九八八年に刊行事業がいったん終了していた。
古地図のコピーを手に話す岩尾文香さん。奥の中央分離帯のあたりに創業時の工場があった=名古屋市熱田区で(小嶋明彦撮影) 家庭用ミシンやプリンターのブラザー工業(名古屋市)は戦後長い間、正確な創業地が分からなかった。戦時中の空襲で関係書類の多くが焼失し、戦後の混乱で記憶もあいまいになっていた。ところが今年になって、社内資料の保管を担当する一人の女性社員が一枚の古い地図を手掛かりに、現在の同市熱田区伝馬の国道1号の上と割り出した。来年の創立百十周年に合わせ、ようやく見つけた「生誕の地」をホームページなどで発信する。 調べたのは、CSR&コミュニケーション部の岩尾文香さん(52)。十冊以上の社史を読んでも創業地は「現在の熱田区伝馬町付近」としか記載がなく、はっきり分かっていないことが長年気掛かりだった。二年前に今の担当に就き「うやむやのままではいけない」との思いを強くした。
床や天井のひび割れが複数見つかり、七月初旬から臨時休館している県立中央図書館(静岡市駿河区)の再開に暗雲が立ちこめている。十~十一月の再開を目指していたが、調査が遅れ、年内は難しい状況。年々増え続けた蔵書の重みがひび割れの原因とみられ、県教育委員会は図書館の移転新築も含め解決策を検討している。 県教育委員会によると、ひび割れた二階閲覧室の床と一階天井の調査を始めたのは今月半ば。八月中に調査に入る予定だったが、閲覧室の図書を書庫に移動させるための保管データの書き換え作業などに時間がかかり遅れた。 閲覧室は、設計上、積載可能な十万冊の二倍の二十万冊が保管されていた。図書館職員は「書庫より閲覧室に利用頻度の多い本があった方が、利用者にとって便利だろうという考えで、どんどん増えてしまった」と弁明する。
岐阜大(岐阜市)は創立七十周年を迎える二〇一九年度から、キャンパス内に分散して保管している古文書や標本などの学術資料を集約し、一般に公開する「キャンパスミュージアム」を始める。収蔵庫や展示ギャラリーを新設するほか、教育学部など三学部に専門性が高いサテライト館も設け、緑豊かな散策ルートでつなぐ計画だ。 岐阜大教育学部は古くから日本列島の植物研究が盛ん。八万点を超える貴重な標本があるが、現在は学部棟にある収蔵部屋で眠っている。同じ棟には郷土博物館があり、前身の旧制岐阜師範学校から受け継ぐ五万点超の古文書、二千点以上の土器などの考古出土品も所蔵している。ただ、開館は事前申し込みがあった時に限られ、一般にはあまり知られていない。
射水市新湊博物館は九日、所蔵の和製望遠鏡が江戸後期から明治中期ごろまで大阪の「岩橋家」が製造した望遠鏡と分かったと発表した。岩橋望遠鏡は国内外に現存し、十八個目の確認。今回のものは最大の大きさで、本体に製作者名と製作年が書かれているのが初めて確認された。十七日から博物館で展示する。 江戸時代に同市放生津町に住んでいた材木商「柴屋」の子孫が昨年五月、古文書など数千点と共に同博物館へ寄贈した。富山市天文台の渡辺誠専門官(62)の調査で岩橋家が作ったと判明。今年一月に専門業者が望遠鏡を分解修理すると、製作年を示す「文化五年」(一八〇八年)の墨書きが見つかった。 初代岩橋善兵衛(一七五六~一八一一年)が製作したとみられる。直径九・六センチ、全長二九五・二センチで、八十四センチほどに縮む。接眼部に「岩橋」の銘があり、同家製作を示す車形模様が金で施されている。博物館によると、望遠鏡は一度名家に納められ
愛知県小牧市の新図書館建設計画の是非を問う住民投票が行われてから4日で1年になる。反対票が過半数を占めたため、新たな計画の策定に向け、市教委は今年4月に図書館建設審議会を設置した。しかし、話し合いは難航。予定されていた中間取りまとめは、まだできていない。そもそも住民投票の総括が必要との指摘があり、先行きは見えてこない。 投票結果を受け、山下史守朗(しずお)市長は、新図書館の指定管理候補者で設計段階から関わってきたレンタル大手「TSUTAYA(ツタヤ)」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC、東京)との契約を解消。計画を白紙に戻した。 仕切り直しに立ち上げたのが審議会。市民や有識者ら21人が委員を務め、住民投票のための署名活動をした市民団体「小牧の図書館を考える会」の渡辺育代共同代表も名を連ねる。 2009年に策定された新図書館建設基本計画を見直しながら議論し、市に答申す
海には様々な文化財が眠っている。これまでも沈没船の積み荷などの陶磁器などから日本海交易の歴史に光が当てられてきた。一方で港湾建設で破壊された文化財も少なくないという。日本海沿岸の海底を調査している佐々木達夫・金沢大名誉教授にその可能性と課題を寄稿してもらった。 能登は豊かである。周辺の海岸や海底で陶磁片が拾える。古墳時代の土器、平安時代の須恵器、鎌倉・室町時代の珠洲焼、江戸時代の有田・波佐見の染付など、多様な種類が見られる。輪島海岸では室町時代にタイから運ばれた壺(つぼ)も発見され、遠い地域と日本海地域の交流が忍ばれる。 日本海に突き出た半島の海底に、どのような文化財が沈んでいるのだろう。興味は尽きない。海上貿易に関心をもった学生時代に、私も遺跡出土の陶磁器で日本海交易を論じた。最近は日本海沿岸を数年かけて踏査し、各地の海揚がり品と海岸に打ち寄せられたごみを調べた。石川県珠洲市寺家や志賀町
旧内務省が行っていた内閲業務の痕跡を示す、小山いと子さんの小説「指にある歯型」の校正刷り=東京都目黒区の日本近代文学館で 戦前から戦中にかけ、出版物の検閲を担っていた当時の内務省が、雑誌などに掲載予定の原稿を事前に読んで掲載可否を判断した「内閲」と呼ばれる業務の痕跡を示す「校正刷り」が、東京都目黒区の日本近代文学館に保管されていることが分かった。戦時下での出版検閲の実態を解明する上で貴重な資料だ。 校正刷りは、直木賞作家の故・小山いと子さん(一九〇一~八九年)が日中戦争の始まった一九三七(昭和十二)年、雑誌「日本評論」の依頼で執筆した小説「指にある歯型」の計二十枚。同館の依頼で調査に当たった中京大文学部の浅岡邦雄教授(68)=近代出版史=によると、一枚目に「図書課長」「事務官」「理事官」の印があり、旧内務省図書課による内閲業務の跡と判明したという。 「陰惨。醜穢(しゅうわい)。残忍、背徳…
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