ブックマーク / yomayoma.hatenadiary.org (3)

  • ■ - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ

    俺は二人の人間に分裂して、やぐの前で闘うことにした。勝った方がやぐを貰うからな。 「擬似恋愛か、当の恋愛か、それが問題だ、やぐ、いやちがう、やぐ落ち着け落ち着くんだ。恋愛当も擬似もあるもんか、なんていったら、それは屁理屈だといわれる、運が悪ければ、あいつは恋愛したことないヤツだなどと後ろ指を差される。当の、もう少し穏当に言ってみて、一般的な恋愛においては、他者、つまり恋愛の対象とのコミュニケーションが欠くべからざる要素であり、それが「現実」のおとしどころとやらで、ひとまずその「現実性」とやらを抜きにしても、その要素が恋愛の擬似か当かの判断根拠たりうる、という結論はなるほど論理的には一つ正しそうだ。「現実」はおせっかいだ。そして「現実」の奴隷になったヤツがルサンチマンを発揮して、お前も現実を見ろ、という。だがここでそれは奴隷根性ではないか、などとついぞ放言してはならない。俺が妄想の

    ■ - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ
    tubame0604
    tubame0604 2007/05/30
    「擬似恋愛」から「擬似」をとろうという提案。魂のこもった文章。
  • 女のコファシズム-あふたーあうしゅびっつ - アイドルという概念に対するハロヲタについて、考えた。

    アイドルという概念に対するハロヲタについて、考えた。 ・アイドル新古典主義 従来の「アイドル」概念、「アイドル」像、共有されていると考えられるそれらを保護せんとする主義主張。 原理主義→ 旧来のアイドル概念を強固に主張し、そこにおいては死する事もいとわない。原理を守る現実的な手段としてまれに「消費者の権利」やテロ(それら原理を脅かす現実的な物事に対する物理的排除)を持ち出す場合がある。 右派→ 時代は移り状況は変れども、やはり「アイドル」の質は常に変らないと考える。「アイドル」であることがその「アイドル」自身を現実的に保護、維持しうることから、この主張をとるというプラグマティックな側面もある。 左派→ 当の「アイドル」概念を適宜刷新改変捏造したりする。そのためそこで扱われる「アイドル」概念の同一性については諸説あるだろう。その行動の一例として、「アイドル」概念にそぐわないアイドルからは離

    女のコファシズム-あふたーあうしゅびっつ - アイドルという概念に対するハロヲタについて、考えた。
    tubame0604
    tubame0604 2007/05/29
    面白い。アイドル論だけに留まらず恋愛論にも繋がってきそう。
  • 物語と萌え - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ

    activeエレンさんの24日付けの記事、 コメント欄id:CharlieGordonさんの 萌えの中の1要素として物語があるのだ、と考えるのが「萌え派」、 物語の中の1要素として萌えがあるのだ、と考えるのが「ものがたり派」。 の後者がピンときました。 やっぱり「萌え」だけってのは怖いです。不安。 一挿話としていつも引き合いに出すのは亀井絵里の写真集「DAYS」です。 あれが僕の中で一つ「萌え」の象徴になってまして。 その「萌えろ」って暴力的なメッセージにより、 「萌え」不感症になるのではなかろうかと思いました。 それまで通りには「ものがた」れなかったのです。物語不全。 「ものがたり」に何を期待してるのだろうか。 コミュニケーションかもしれない。イデオロギーかもしれない。 よってたてるものを何か感じます。 「萌え」を否定するわけでは決してありません。 ハロヲタの一文化的態度としてそれは流通

    物語と萌え - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ
    tubame0604
    tubame0604 2006/09/26
    萌え派⇔非萌え派なのではなく、萌え派⇔物語派と考えてはどうだろう。
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