ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (60)

  • 「向精神薬で自意識や虚無感の悩みが治る?」&「近代に根ざした自意識や虚無感は時代遅れでは?」 - シロクマの屑籠

    物語のパターンは既に出尽くしてる問題に絡めてだけど、近代に流行した屈とした自意識や虚無感、20世紀後半にいい薬がたくさん発明されたおかげで「心療内科にいってお薬を飲めばいいのに」で解決してしまって、物語としての強度を保てなくなってる。— 小島アジコ (@ajico_k) 2024年6月25日 6月25日、小島アジコさんが上掲のような投稿をXにしているのを見かけました。でも、あまりに忙しかったから私は、「向精神薬は個人の気分や行動に作用するし精神疾患に有意差のある改善をもたらすけれども、自意識や虚無感の問題は解決してくれないんじゃない?」とXに書きました。ただ、これは返信の半分(をダイジェスト化したもの)でしかなく、7月になったらブログにまとめよう、と思っていました。 そうしたら、アジコさんのほうが手が早くて、6月27日に「物語のパターンは既に出尽くしてる問題に絡めてだけど、近代に流行した

    「向精神薬で自意識や虚無感の悩みが治る?」&「近代に根ざした自意識や虚無感は時代遅れでは?」 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2024/07/05
    例えば創作において「どうせ誰も読んでくれない…」という虚無感を癒してくれるのは薬ではなく読者で、それも癒すだけで次の創作の時にはまた悩むことになる。シロクマ先生のほうが正しいか別の悩みの話をしてるかだ
  • わかってもわからなくても、信仰は生活のなかにあるよ - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp 黄金頭さんが、books&appsにて「おれたち日人には『信仰』がわかるのだろうか」というタイトルの文章を寄稿してらっしゃった。そこに登場する宗教の話は、前半はドーキンスや無神論とその周辺の話、後半は吉隆明や鈴木大拙などを引用した日で宗教について真剣に考えた人の話だった。 日人にとっての仏教や神道は、ひいては私自身や黄金頭さんにとっての仏教や神道がどこまで信仰たり得るのか、たり得ないのかを考えるにあたって、東西の宗教論は参考になる。それらの宗教論に基づき、あの人のは信仰たり得る、あの人のは信仰たり得ない、といったことを考えることは可能だ。 私も大学卒業の前後ぐらいから仏教についてお勉強をしたから、宗教や信仰の輪郭について考えてみたことがある。そして浄土真宗の家に生まれた者としてや、日の大乗仏教全般を思想として好んでいる者としても、私なりに色々考えたこ

    わかってもわからなくても、信仰は生活のなかにあるよ - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2024/07/02
    宗教が消えても祈りは消えない。祈りが消えない限り信仰は残る。Amen。Amenは神への願いではなく自分や誰かが「そうでありますように」、例えば平和が戻りますようにといった祈りだ。無神論者は祈りを捨てられるかな?
  • 「ひきこもり」は現在も増え続けているのか? - シロクマの屑籠

    最近、忙しくてブログがなかなか書けないなか、面白そうな話題がTLを駆け抜けていった。togetterに、それがまとめられている。 togetter.com 「昔の方が暴力が横溢していたのに、なぜ今になって不登校やひきこもりが増えているのか」について、いろんな人がいろんな意見を述べている。不登校、というのも意外に新しい概念で、昔は登校拒否という言葉が使われていて、それ以前には、農業手伝いなどの理由で親が子どもに学校に通わせない、なんてこともあった。昭和の終わりになっても、田植えや稲刈りの時期になると学校を抜けて家業を手伝うクラスメートがいたものである。もちろん、今日の不登校においては農業手伝いのために学校に行かない・行けないという事情は滅多になくなっているだろうけれども。 で、不登校については、増加し続けている。少しネット検索してもらえれば右肩上がりのグラフにいくらでも出会うはずだ。コロナ禍

    「ひきこもり」は現在も増え続けているのか? - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2024/06/10
    元気が出ないだけと思っていたが鬱だった、みたいな話で無職だと思ってたが引きこもりだった。コロナで引きこもったけど普段と変わらなかった->あれ私引きこもりだった?と気づいただけじゃないかな。
  • 取引みたいなコミュニケーションは、誰にとって都合良いのか - シロクマの屑籠

    今、研修医時代ぐらい忙しくて生きた心地がしない&働きすぎで急速に老け込みそうだと感じていますが、そうしたなか、書評のお仕事をいただきました&こなしました。 gendai.media 書評させていただいた作品は村雲菜月さんの『コレクターズ・ハイ』。上掲リンク先にも書いたように、コレクション大好き系のオタクの物語だと決めてかかると足元をすくわれる思いがするかもしれません。 コレクターズ・ハイ 作者:村雲菜月講談社Amazon 作品にどのようなメッセージが含まれているのか。これは読み手次第でしょうけど、私には、以下のポイントが刺さりました。 1.たとえばキャラクターグッズをコレクションしている時、私たちはどこまで癒されていて、どこまで行動嗜癖的に病んでいるのか 2.資主義の商品を作ったり、資主義の商品そのものになったりして疲れ、傷ついている私たちが、それを癒す際にも資主義の商品に依存し、と

    取引みたいなコミュニケーションは、誰にとって都合良いのか - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2024/05/13
    昭和のコミュニケーションは強者にとって都合が良くノイズの入りにくい取引みたいなコミュニケーションは弱者にとって都合が良い。この話の資本主義って具体的に何?資本主義って言えば何でも雑に通ると思ってない?
  • 現代人は本当に思想に飼われている - シロクマの屑籠

    president.jp リンク先の文章は、拙著『人間はどこまで家畜か』を一部引用しつつ、ひとまとまりの読み物として再編成しプレジデントオンラインさんに載せていただいたものだ。私たちは資主義にいいように飼い馴らされ、その資主義をますます充実させるための資の乗り物、それか家畜として使役されちゃっていませんか? といった話が中心になっている。 だが、現代人のマインドに根を下ろし、現代人をいいように飼い馴らし、現代人を動機づけている思想は資主義だけでもあるまい。 ぜんぶ挙げようとするときりがないが、『人間はどこまで家畜か』では、現代人を飼い馴らす思想として、資主義に加えて個人主義と社会契約、それから功利主義を挙げている。思想などという実体のないものに何ほどの力があるのか? と疑う人もいらっしゃるだろうし、そうした思想をつくりだしたホッブズやルソーやベンサムといった思想家の重要性は実感し

    現代人は本当に思想に飼われている - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2024/03/19
    思想は自ら選ぶものであったはずなんだがな本来は。例えば私はプラトン学徒だが幻想でもそう教育を受けたからでもなくプラトンの方針が正しいと判断し、思想の素質を生かすーengineeringーするように生きいてるからだ。
  • 高度な社会の一員になれていますか。これからもなれますか - シロクマの屑籠

    「高度な社会は、それにふさわしい高度な人間を要請する」。 それが言い過ぎだとしたら、「高度な社会に適応するためには相応の能力や特性が求められ、足りなければ支援や治療の対象になる」と言い直すべきでしょうか。 少し前に「SNS上では境界知能という言葉が悪口的に用いられている」といった話が盛り上がったようですね。 president.jp リンク先で述べられているように、知能指数はその人の生きづらさを探る手がかりとして用いられるもので、そうして算出された境界知能も、支援の見立てに用いるための語彙なのでしょう。そしてリンク先では、境界知能という言葉を時代遅れにする動向にも触れられています。どんな言葉にも全人的な否定のニュアンスをとりつけたがりなインターネット民の挙動を見ていると、境界知能という語彙を消すべきだとする人々の考えにも同意したくなります。 そうした語彙の汚染問題はさておき、境界知能や知的

    高度な社会の一員になれていますか。これからもなれますか - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2024/02/19
    指示されたことが出来れば十分だったはずなのだがプログラマは指示されたことだけやる人は役に立たない。そしてチームワークを乱す人は足を引っ張る人になる。昔は良かったではなく排除の対象となってて不味いという
  • 『人間はどこまで家畜か:現代人の精神構造』が出版されます - シロクマの屑籠

    人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書) 作者:熊代 亨早川書房Amazon 先日、大和書房さんから『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』が発売されたばかりですが、今度は早川書房さんから『 人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』という書籍を発売していただくことになりました。 私がつくる書籍には2つのタイプがあって、ひとつは、現代人が心理的にも社会的にもうまく適応していくためのメソッドに重心を置いたもので、1月に発売された『「推し」で心はみたされる?』はその典型です。もうひとつは、現代社会という巨大なシステムがどんな構造や歴史的経緯から成り立っていて、私たちにどんな課題が課せられ、どういった現代特有の生きづらさを生み出しているのかを考えるタイプの書籍で、2月21日発売予定の『人間はどこまで家畜か』は後者のタイプにあたります。 同

    『人間はどこまで家畜か:現代人の精神構造』が出版されます - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2024/02/01
    再現性はあるのか?再現性(reproducibility)ってのは実験とか進化の過程が再現できるかじゃないよ?理論通りの現象を引き起こす(product)算段は有るのかって話だよ?実験できないから不要ですはアカデミシャンには通らないよ
  • 私にとって、オタクやキャラクター消費の話は社会の話なんです - シロクマの屑籠

    cider_kondoのブックマーク / 2024年1月23日 - はてなブックマーク シロクマ先生、今ホッテントリってる意地悪婆さん話もそうだけど、こういう業と社会の変化踏まえた考察の方が(よく書いてる迷走してるオタク論みたいなのより)圧倒的に面白いよな… こんにちは、はてなブックマークユーザーのcider_kondoさん。熊代です。先日のブログ記事に上掲コメントをくださりありがとうございました。これに関して、cider_kondoさん個人に返信したいと思います。 長く相互認識している人でなければ返信は難しい 少しだけ前置きを。 私は現在、ブログ側からはてなブックマークに返信するのは難しい、と感じています。00年代の頃は見知らぬはてなブックマークユーザーに返信するのも気軽で、ブロガーがそうしている様子をしばしば見かけたものです。しかしはてなブックマークを中心としたコミュニティが希薄化し

    私にとって、オタクやキャラクター消費の話は社会の話なんです - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2024/01/26
    シロクマ先生のオタク論は面白くないのではなく、まさにシロクマ先生の見ているものが他の人とずれているから何の話をしてるのか分からないのでは。シロクマ先生のオタク論には「他の人」がいないんだ。うん。
  • 「後藤ひとりと喜多郁代はよくできたナルシスト」って説明した時の話 - シロクマの屑籠

    昔、ある編集者さんと「いいね」や「推し」について喋っていた時に、「『いいね』も『推し』も有害なんじゃないですか?」といった質問をいただいたことがありました。 「そんなことはありません。有害になってしまう人もいるけど、ほとんど無害な人もいるし、有益になっている人もいますよ」と私は答えました。なるほど、『いいね』や承認欲求のために迷惑なことをする人もいるし、金銭的・社会的に破綻するような推し活しかできない人もいます。でも、そんな人は少数派でしかなく、世の中にはそれらを飛躍の原動力にしている人だっています。 このことを編集者さんにわかりやすく説明をしなければなりません。そのとき、私の脳裏に『ぼっち・ざ・ろっく!』の結束バンドの四人組、なかでも後藤ひとり(通称・ぼっちちゃん)と喜多郁代(通称・喜多ちゃん)が脳裏に浮かびました。 青春コンプレックス(初回仕様限定盤) アーティスト:結束バンドアニプレ

    「後藤ひとりと喜多郁代はよくできたナルシスト」って説明した時の話 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2024/01/18
    それは自己肯定感かもしれないけどナルシシズムではない気が。と言うか「〇〇もXXと言えます」論法を人文系は捨てるべき。広い意味では言えますを使いすぎてて何の話をしてるのか分からない。それ英語論文になんの?
  • 感情移入の願望器としてのフリーレン、ぼっちちゃん、魔法少女 - シロクマの屑籠

    俺は「フリーレン=自分がまだ年老いたり死んだりするところをリアルに想像できない10代の人間をマンガ的に変換したキャラ」だと思っているので、大いの描写もじつに理にかなったものであるように感じる。— Rootport🧬 (@rootport) 2023年12月17日 『孤独のグルメ』のゴローちゃんのこともありますので、大いであることは若さと絶対に結びついているわけじゃないでしょうけど、でも十代の人間もそうしてフリーレンに「入っていける」としたら結構なことだと思います。 これに先立つ数週間前、ツイッターで伊藤剛さんがおっしゃっていた内容をひいて「フリーレンは高齢オタクをひっかけるフックがすごい」的なことを書きましたが、今度はRootportさんが十代の人間とおっしゃっていました。これらに関してneoMIO㌠さんは、 >俺は「フリーレン=自分がまだ年老いたり死んだりするところをリアルに想像で

    感情移入の願望器としてのフリーレン、ぼっちちゃん、魔法少女 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2023/12/19
    私がフリーレンで特に言いたいことがないのは感情移入してないし託すべき願望が何もないからか。それはそうかもしれない。
  • 「ヒト、または日本人はASDに進化しないと思う」 - シロクマの屑籠

    私のタイムラインでは、定期的に「人類はASD(自閉スペクトラム症)的な方向に進化していく」「未来の人類はもっとASD的だ」といった内容の文字列が流れていく。そうした文字列を書いている人の属性はさまざまで、そう思っている人が結構いるんだろうなと思っている。 しかし、人類(ここからはヒトと書く)はASD的な方向に進化できるのだろうか? 特にもし、日の現在の環境下が続くと考えた時に、ASD的な特性が日人の多数派になっていくとは考えづらい。そのことを文章にしておきたくなった。 でも、肝心なのは性選択で勝ち残れるかどうかじゃないの? 2023年の12月に「ヒトはASD的な方向に進化していく」的なお話が目に付きやすくなった引き金は、たぶん、東北大学の研究グループの発表だろう。yahooニュースでは以下のように報じられている。 news.yahoo.co.jp 年を取った男性の精子は、より若い男性の

    「ヒト、または日本人はASDに進化しないと思う」 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2023/12/14
    社会がASD的になっていくのとヒトがASDに進化するのは別の話で進化=適応にはASDが遺伝することと淘汰圧に強いことが求められる。シロクマ先生の言うとおりASDは目立つようになっただけで逆に排除されるから増えないだろ
  • いつまでも あるかわからぬ 長寿の国 - シロクマの屑籠

    今日、ある方から「日人のエイジングについて」質問をいただいたこともあり、久しぶりに日人の平均寿命についてググってみたんですよ。そうしたら、以下のような読み取りやすいグラフがあって。 *こちらのグラフは高齢者住宅ジャーナルさんが出典となります* 皆さんは、この表を見て何を感じますか。病院に勤務している人なら、2020~2021年あたりは高齢者があまり亡くならない年だった、そのぶん2022年は亡くなる高齢者が多かった、などと思い出すかもしれません。コロナ禍の影響はここにも現れていますね。 私は、ぼんやりグラフを眺めながらこう疑問に思いました。「20年後、同じぐらい高齢者の平均寿命は長いものだろうか?」と。 このグラフの目の付けどころはどこでしょう? 医療行政の充実や医療技術の発展によって平均寿命が延びているさま、ひいては国民の健康が促進されているさま、と着眼する人は多いでしょうし、それ自体

    いつまでも あるかわからぬ 長寿の国 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2023/11/11
    シロクマ先生は多分あと30年もすれば「寿命よりも医療の限界よりも知的生産の限界が先に来てしまった」と書くと思うよ。その時に寿命などどうでも良かったと書くかまだ子供や孫と生きたいと書くか楽しみにしてるよ。
  • 介護されたい高齢オタクを引っかける釣り針がすごい──『葬送のフリーレン』 - シロクマの屑籠

    これから書くことは『葬送のフリーレン』評ではない。なぜなら『葬送のフリーレン』という厚みのある作品の全体像をうんぬんするものでなく、作品のごく一部、作品に仕掛けられている数ある釣り針のひとつに注目し、「これは介護されたい高齢オタクが釣られるしかない、見事な釣り針ですなぁ」とテカテカする趣向のものだからだ。 釣り針というのは他でもない、『葬送のフリーレン』が、介護されたい高齢オタクが過去と現在に思いを馳せて願望するのに都合良い作品としてつくられているからだ。繰り返すが、『葬送のフリーレン』の魅力はそれだけじゃない。エルフと人間の寿命の差や時間感覚の差、勇者の遺したもの、人類の英知と技術革新etc...、そういったものを支える作者の洞察の泉はどうなっているんだろう? と惚れ惚れしてしまう。ただ歳月を感じさせる作品でなく、まして寿命チートを連想させる作品では決してなく、歳月の果てにしか宿らない旨

    介護されたい高齢オタクを引っかける釣り針がすごい──『葬送のフリーレン』 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2023/10/19
    介護されたいってのがそもそも共感できないのだが私も年を取れば介護されたくなるのだろうか?シロクマ先生よりちょい若い私らの年代って自分の面倒は自分で見てるもんじゃない?単に結婚できなかったからかもだが。
  • ゲームで自分を治す人々と、自分のためのゲーム/世間から逃れるためのゲーム - シロクマの屑籠

    ※前半の「ゲームで自分を治す人々の話」は無料です。後半の「自分と戦う依存症と世間と戦う依存症」は、読者を絞りたいので有料です。 ohtabookstand.com 松俊彦先生の記事はいつもすごく面白い。ご自身もニコチン依存的である先生の記事には、依存症についての独特の「雰囲気」がある……などと言葉を飾らず主観を述べてしまえば「わかってくれている」感じがある。これは、松先生がハームリダクションという、「ダメゼッタイ」ではなく「折り合いをつけながらなんとかやっていこうぜ」寄りのアプローチを唱道していることとも関連しているんだろう。 松俊彦先生のめちゃくちゃ面白いエッセイ『誰がために医師はいる──クスリとヒトの現代論』には、駆け出しの精神科医だった頃の「ダメゼッタイ」にまつわる苦い思い出話が登場する。 誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論 作者:松俊彦みすず書房Amazon 「と

    ゲームで自分を治す人々と、自分のためのゲーム/世間から逃れるためのゲーム - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2023/10/01
    やりたくないことをやるのはどう誤魔化しても苦痛でしかないわけで別の何かやりたいことで癒さなければつらい。
  • 人間は身勝手な危険動物だから、ザリガニを勝手に増やし勝手に殺すのも通常運転 - シロクマの屑籠

    www.asahi.com 虐殺が行われるのを、ただ見ていた。 令和5年の夏のある日のこと。現場には少し前の日からロープが張られ、午前8時頃、作業着姿の中年男性たちが白いハイエースに乗って現れた。発動機の音高く、草刈り機が起動する。土地を覆う植物たちは無残に薙ぎ払われ、小さな蝶やバッタ、コオロギたちが逃げ惑っていた。地面に放り出された芋虫が、鳥たちについばまれていく。 しかしそれも前奏曲でしかなかった。 当の破局はお昼過ぎに訪れた。小さなダンプカーがやってきて、草刈りが行われたばかりの大地に土砂を流し込んだのだ。小さな命を揺籃してきた緑の楽園が、茶色い土や礫に埋め尽くされていく。作業はその日いっぱい続けられ、おそらく、蝶の幼虫たちはなすすべもなく死に絶えた。背の高い草木にはセミの抜け殻もついていたから、地下に残された彼らも助からないだろう。コオロギやバッタのなかにはアスファルトを横断し、

    人間は身勝手な危険動物だから、ザリガニを勝手に増やし勝手に殺すのも通常運転 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2023/09/04
    日々の糧にすることや都合の良し悪しで殺すことと、楽しんで殺すことは分けて考えるべきかと思います。なお野生動物は割と楽しみだけで殺します。シャチとかイルカとか割と他の動物をおもちゃにしますね。
  • 忘れる・忘れられることを承知のうえでゲームと向き合うこと - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp ゲームの個人史って、ものすごく儚いと思いませんか? その点でいえば、ゲームの個人史でなくゲーム史をものしたいと願った人の気持ちは理解できる。と同時に、ゲーム史として・サブカルチャーの「正史」として後世に語り継がれていくものが個人の印象に歪曲されてしまうことは罪深いことだろうとも想像できる。 が、「正史」としてゲーム歴史家が編纂する範囲はあまり広くなく、その外側には無数のゲーム個人史が残り、あまたのエピソードが取り残される。アニメ個人史やライトノベル個人史、コミックマーケット個人史もそうかもしれない。体験した者の数だけ風景が存在したはずだが、それらのうち、「正史」に編纂されるのはごく一部だ。「正史」に残らない部分についてはなまじっかな努力では忘却に逆らうことができない。それが虚しく思えることが最近の私にはよくある。 私のゲームシーンもあなたのゲームシーンも、時

    忘れる・忘れられることを承知のうえでゲームと向き合うこと - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2023/05/31
    これゲームの問題じゃないよな。映画の感想を書いても感動は保存できないし、試合を録画してもプレイヤーの闘志は記録できない。勝負を賭けたこの一瞬が永遠に続けばいいのにと言うのは真理ではあるが未練だな。
  • 40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠

    2023年度のGWも終わって、何というでないけれどもくたびれている。このままギアを落とさず5月をやっていくのかーと思うと気分が晴れない。五月病など、あってはならないことだ。 仕事と原稿と家庭に忙殺される日々を振り返って、思う。ああ、すごくできることが増えたけれども、すごくできることが減ったなぁ、と。以下に書くことがすべての中年に当てはまるとは、私も思っちゃいない。けれども私のようなパターンにはまる中年もいるはずだし、そういう人には刺さるかなと思って、四十代後半になった一人の人間の成長と限界について書き置きしておく。 「中年の成長の限界」の予想と現実 私は昔から成長の限界について考えるくせがあって、もう20代の頃から自分の限界はどこなのか、もし限界が来るとしたらどう身を処すべきか意識してきた。不安だったのだろう。というか今でもまあまあ不安だ。 そうして20~30代の頃に想像していた「中年の限

    40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2023/05/12
    できることは増えたが勉強せずにできるわけではないので適当に手を広げられなくなった。年齢の問題ではなく私のできる事が他人に追いついたのだろう。AWSとか面白くない技術は困らない程度にやることにして解約した。
  • 個人による日本随一のブログコレクション、books&apps。 - シロクマの屑籠

    はじめに断っておくと、これは、books&appsを賛美する文章だ。2023年現在、ブログ文化の精髄として、ブロガーの書いてきたものの一番おいしいところを集めたコレクションとして、books&appsは唯一無二の発信場所になっている。 今回、そのbooks&appsを讃えるいい機会が巡ってきた。いい機会とは、books&appsの大将であり、ご自身も記事を書いていらっしゃる安達さんが新著を出したのだ。 頭のいい人が話す前に考えていること 作者:安達 裕哉ダイヤモンド社Amazon このにはコミュニケーションについてのノウハウがさまざまに記されていて、そのコミュニケーションが思考や人脈や仕事とも関連するさま等々が書かれている。が、そのあたりを宣伝するのは他の人に任せておくとして。 それよりbooks&appsについてだ。 books&appsとは、このの著者である安達さんが様々なブロガー

    個人による日本随一のブログコレクション、books&apps。 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2023/04/28
    この記事を読んで初めて Books&Apps のトップページ見に行った。胡散臭い連中が運営してるのかと思ってたけど真面目なブログ集?だったんだ。まぁ安達さんの記事はマネージャーじゃない私にはあまり参考にならないのだが
  • 現代社会プレイヤーとしての私が語れる言葉/語れそうにない言葉 - シロクマの屑籠

    II-3 男性にも「ことば」が必要だ – 晶文社スクラップブック 男性から「ことば」を奪っているのは男性自身ではないか - あままこのブログ 上掲リンク先のやりとりを興味を持ちながら眺めた。そこで展開されている、男性に言葉があるかなきか、男女双方がどうやって・どれぐらい抑圧しているのか/されているのかの問題は、私の追求したいテーマそのものではないので、興味のままに文章を追った。 とはいえ、結局この方面で私自身にとって当に関心があるのは、1.私自身(と私に関わりの深い人々)の利害と表現をどう防備していくのかと、その延長線上の話として、2.その防備のために誰に味方すべきか、といった単純政治の次元で、それより深いレベルの議論は自分には難しそうだった。 で、一連のやりとりを読みながら私が点検したのは、私自身が語る言葉をどれぐらい持っていて、語れそうにない言葉をどれぐらい溜めこんでいるかだ。 あら

    現代社会プレイヤーとしての私が語れる言葉/語れそうにない言葉 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2022/04/15
    みな何故そうやって言葉と人間性を結びつけるのか。プラトンを読め。ソクラテスが「お前はクソ野郎だ」って言ったことあるか?言葉と行動が全てだ。誰が何を考えてるかとかどういう人間だとかどうでも良いだろうに…
  • 強者の道徳だよ、二重の意味でー『21世紀の道徳』 - シロクマの屑籠

    21世紀の道徳 作者:ベンジャミン・クリッツァー晶文社Amazon 去る12月、『21世紀の道徳』という書籍が出版された。筆者は、日暮らしのアメリカ人にしてブログ『道徳的動物日記』を書いているベンジャミン・クリッツァーさんで、これまでも活発に議論をしてらっしゃった方だ。 そういう出自の方がアップトゥデイトな書籍と古典を紐解きながら、現代の道徳的問題を縦横に論じたのが書、である。 とはいえ、同書を21世紀の道徳ダイジェストとみるのはたぶん違うと思う。いや、もちろん同書には『学問の意義』『動物倫理』『ジェンダー』『進化論とリベラル』といった道徳と縁の深い話題が並び、さまざまな書籍が紹介されているのだけど、総花的に紹介されているわけではなく、たとえば『ブルシット・ジョブ』や現代フェミニズムの書籍の幾つかなどは、かなり批判されている。でもって、通読すると筆者の道徳観が浮かび上がってきて、「なる

    強者の道徳だよ、二重の意味でー『21世紀の道徳』 - シロクマの屑籠
    turanukimaru
    turanukimaru 2022/02/16
    仏教は諸行無常、極論を言えば議論は成立しえない事に達して満足したがプラトンは万物流転を乗り越えて議論は成立するし良い世界は作れることを主張し我々プラトン学徒はその賛同者。古典かつマッチョなのは事実。