JR高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事現場から見つかった高輪築堤跡=いずれも東京都港区で、本社ヘリ「おおづる」から 1872(明治5)年の国内初の鉄道開業時、東京湾の浅瀬に線路を敷設するため造られた「高輪築堤(ちくてい)」の遺構が、東京都港区の再開発現場から出土した。かつて「列車が海の上を走る」と東京名所に数えられたが、一帯の埋め立てで姿を消していた。遺構は断続的に約1.3キロメートルにわたり確認。保存状態も良好で、開業時の鉄道の様子や土木技術を知る貴重な手掛かりになりそうだ。(梅野光春)
![【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/46748756887956acbc16daaabb9de2f7e771da3c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fstatic.tokyo-np.co.jp%2Fimage%2Farticle%2Fsize1%2Fc%2Fc%2F7%2F5%2Fcc752156f28d1bee8de5d6832b28fddf_1.jpg)
丹波 高山寺 【本尊御開帳 10月20日】祐弘 @TanbaKosanji 紅葉が彩る丹波の古刹、高山寺住職です。お寺のことや仏教のこと、信仰のこと、雑感などをつぶやきます【真言宗大覚寺派】
台湾・金門島で、中国本土から撃ち込まれた砲弾で包丁を作る呉増棟さん(2020年10月21日撮影)。(c)Sam Yeh / AFP 【11月10日 AFP】台湾・金門(Kinmen)島の鍛冶職人、呉増棟(Wu Tseng-dong)さんは、中国から撃ち込まれた砲弾から台所用の包丁を作るベテランだ。 中国本土からわずか3キロほどしか離れていない同島にある呉さんの工房は、台湾に依然残る戦争の脅威を鮮明に想起させる。 中国政府は台湾を自国領の一部とみなし、武力による統一も辞さない構えを示している。 呉さんは、1958年の最悪規模の砲撃の直前に生まれた。44日間に及んだこの攻撃では、金門島や付近の島々に約50万発もの砲弾が撃ち込まれ、618人が死亡、2600人以上が負傷した。 3代目の鍛冶職人の呉さんは、子どもの頃に鉄の鋳造を学んだ。砲弾を使った包丁作りを始めたのは、同島駐屯の兵士らから特別注文を
京都府宇治市の黄檗宗大本山・万福寺で1日、江戸時代に来日し同寺を創建した明の高僧・隠元の生誕祭イベントが始まった。木魚の原型とされる「開版(かいぱん)」をたたく体験や、茶会などが開かれた。 隠元が11月4日に生まれたことにちなみ、同寺などでつくる実行委員会が主催。煎茶やインゲン豆などを広め、日本文化に大きな影響を与えた隠元の功績を伝えようと、8日間にわたって境内のガイドツアーや朗読、演奏会などを行う。 1日には、小学生を対象に開版をたたく体験があった。開版は斎堂の前につるされた、木製の大きな魚。修行僧が食事の時間などを知らせるために使っている。子どもたちは僧侶のサポートを受けながら、木の棒で力強く開版をたたいていた。体験した同市宇治の小学6年生(12)は「たたくと気分がすっきりしました」と話した。 イベントは8日まで。午前9時~午後5時。拝観料500円、小中学生300円。茶会などには参加料
純喫茶と呼ばれる古い喫茶店が好きだ。 かつて最先端だったモダンな空間にそのままタイムスリップできる店や、歳月の分だけ店主の人柄が滲み出たような味わい深い店。そんな、いい歳の取り方をした名優のような喫茶店にロマンを感じる。 1975年出版の古い喫茶店本を読んでいたら、当時の新宿にあった喫茶店を網羅した貴重な記事を見つけた。 それらを昔の住宅地図と照らし合わせながらGoogleマイマップ上にマッピングし、45年以上を経て今も残る喫茶店を巡ってみた。 その先で素敵な店に出会い、マスターから当時の貴重なお話をうかがうことができた。 『喫茶・スナックのすべて 企画・設計・運営のチェックポイント』商店建築社、1975年 これがその古書だ。当時のプロ向けの本で、最先端の内装デザインや営業スタイル、今後の業界動向などが載っている。 過去の未来予想図としてこれ自体も大変面白いのだが、史料的価値がある!と特に
楽な仕事ではないようだし、父を亡くした家を支えるのは大変だけど、竈門炭治郎とその家族は、周囲からは愛されていたようですね。
滋賀県近江八幡市ゆかりの戦国武将織田信長をモチーフにした自動販売機が14日、安土城があった同市安土地区の4カ所に登場した。甲冑(かっちゅう)姿の信長が描かれた自販機にお金を入れて飲料を購入すると、信長の勇ましい「せりふ」が聞ける。 安土城築城450年に向けて遊び心で地域を盛り上げる狙いで、市が飲料メーカー「ダイドードリンコ」(大阪市)と共同で企画した。 自販機は戦国をイメージしたデザイン。お金を入れると、ほら貝の音や「お主はどれを所望であるか、選ぶがよい」といった信長の声がし、購入ボタンを押せば「いざ出陣」、飲料が商品取り出し口から出れば「こたびの活躍、誠に見事であった。大儀である」とせりふが流れる。 音声は近江八幡観光物産協会副会長の加納学さん(57)が担当。信長の「自身への裏切りは許さないが期待には100%応える」というイメージで演じたという。 安土城郭資料館の自販機前で開かれたセレモ
ユネスコ「世界の記憶」入坑(母子)(山本作兵衛氏炭坑記録画) 1899(明治32)頃 田川市石炭・歴史博物館蔵 © Yamamoto Family 国立歴史民俗博物館は、ジェンダーのとらえ方の変遷をたどる企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」を開催。重要文化財やユネスコ「世界の記憶」を含む280点以上の資料を通して、ジェンダーが日本社会の歴史のなかでどんな意味をもち、どう変化してきたのかを問う歴史展示となる。 私たちを無意識のうちに強くとらえているジェンダー。日本列島社会の長い歴史のなかで、「歴」として存在しながら、文字に記される「史」に記録されることの少なかった女性たちの姿を掘り起こす女性史研究を経て、「なぜ、男女で区分するようになったのか」「男女の区分のなかで人々はどう生きてきたのか」という問いが新たに生まれてきた。 本展は、ジェンダーの成り立ちとその変化を明らかにする初めての歴史展示
こんなん回ってきた。中曽根に黙祷しろって。やばいな。 https://t.co/fXz7RTBAJy
32年もの間、村長の椅子に鎮座してきた 大分県東国東ひがしくにさき郡姫島ひめしま村(人口1930人、2017年3月1日時点)は、瀬戸内海にぽっかりと浮かぶ日本有数の「一島一村」の自治体である。 2016年秋、そんな島で、歴史的な事件が突然起きた。 〈61年ぶり村長選へ、来月の姫島村長選〉 同年10月18日、大分合同新聞がこんな見出しで大きく報じるなり、島には続々と報道陣が上陸してきた。8軒しかない旅館や民宿は季節外れの繁忙期に突入した。小さな村の騒ぎは大手紙の全国版でも報じられ、その名が知られることとなったのである。 姫島の村長選は1955年にあった一騎打ちを最後に、16回も無投票が続いた。その間、現職の藤本昭夫(取材当時73)は初当選時からじつに8度も不戦勝。つまり、32年も投票用紙に自分の名前が書かれたことが1度もないまま、島の主の如く村長の椅子に鎮座してきたというわけだ。
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戦国武将・明智光秀ゆかりのまちを宣伝する費用を集めるため、福知山市がふるさと納税のクラウドファンディング(CF)で募った寄付金が、当初目標の3・5倍の約1100万円に達した。新型コロナウイルスの影響による福知山城の休館や大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の休止といった逆風の中、市担当者のアイデアで生まれた特典のはがきが「援軍」となった。 寄付者に贈った特典はがきは、本能寺の変にちなんで光秀が謀反を知らせる体裁で、行政の通知を模している。八幡市出身で「スエヒロ」の名でツイッターに作品を発表している会社員が1月に投稿した。市秘書広報課シティプロモーション係の宇都宮萌さん(35)が偶然見つけた。 市は5月、光秀が織田信長を討った理由をネット上で投票する「総選挙」を実施。特典としてはがきを活用し、「開封のご注意」などの文言を加えて投票者に抽選で贈ると、約240倍の人気を集めた。 好評を受け、CFで
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