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2007年03月19日23:04 カテゴリ投資と経済 フラット化する世界から「ずり落ち」ないために。 「ずり落ち」という言葉には、現実味がありますね。自殺した人。破産した人。自らが作った会社から追われた人。鬱だと言い続ける人。借金を残し、2〜3年で店を閉じた人。この数年、知っている人たちが次々と厳しい状況に陥るのを見ていると、「格差」とか「下流」というより、「ずり落ちる」人が増えていると痛感します。きのうの朝日新聞には「貧国の勝者 富国の敗者」という活字が並び、次のような文章が載っていました。 中流層の「ずり落ち」が各地に広がるのは、市場経済化とIT(情報技術)化で貧富の差が大きくなりやすくなっているためだ。企業や資本は国境をいとも簡単に越え、地球規模で拡大する市場を先に制すれば巨富を得るが、そのダイナミズムに労働者や政府は振り回される。 インドのIT企業から成功者が現れ、アメリカの中流層
赤木論文は、「負け組⇒勝ち組」のメッセージ。このメッセージに対して応答するとは、二つの応答が必要だと考える。一つは「勝ち組⇒負け組」で、それが「「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する」。いろいろブックマーク・コメントをお寄せいただいてます。ありがとうございました。そこでid:kmizusawaさんも指摘しているように、これは「身も蓋もない話」だ。しかし、「負け組」とは、定義上、「奪われた人」なのだから、「負け組」に何ができるわけでもなく、「勝ち組」であるにせよ私一人に今すぐどうこうできるわけでもなく、あのように答えるしかない。しかし、その身も蓋もなさを確認することは大事な出発点である。というのも、この身も蓋もなさを確認することによって、「勝ち組である私」と「負け組」というフレームワークがそもそも間違っているのだ、ということに気づかざるをえないからだ。そこで、赤木論文への応答としては、「
自己責任なんていうけれど、その責任はどう取れると言うものなのだろうか。責任と言うのは何か起こったときに取るものであって、物事を判断する際に「自己責任で」というとことはじゃあ一体何を表しているのか。その言葉を発したときに、果たして問題が起きたときの責任を全てその個人に帰することが果たして可能なのであろうか。 大抵の場合、この言葉はネガティブな行動に対して放たれる。それを行ったときに不利益が生じる可能性が少なからずあり、社会としては決しておすすめできないし、できれば止めて欲しいけどもしやるんであればそこで起こったことは全て個人に責任があります、というニュアンスだと思う。ところが、最近いろいろなところで耳にする自己責任というのはもっとレベルの低い判断にまで及んでいる。 つまり、本来自己責任とは社会と相容れない無謀な、あるいは英雄的な行為に対して発生するものだろう。どんなに本人が自己責任と言っても
私のどこが好きと聞かれた時の対応で盛り上がる人達に背を向けて、お前のここが不愉快と言われた時のシミュレーションを必死でしてそう。
大学はサービスが悪い(2007-03-21) はてなブックマーク - 大学はサービスが悪い 1. 初等中等教育でなら生徒の保護者が顧客になるけど、高等教育では学生自身が顧客と捉えるべきでは?金の出所は顧客側の問題だし。 なぜですか? お金を出している人が、現に、大学に文句をいっているわけです。資本主義経済の社会では、当然のことです。リスクを負ってお金を出す人の要望に応えないで社会が発展するのは例外。大学が例外だというなら、まずそれを論証すべきです。 私が考える限りでは、お金を出している人の希望通り、学生にきちんと講義を受けさせる方が、大学が生み出す社会的利益は増大すること間違いないと思うわけです。 自律できず向学心の乏しい学生を「お願いします」と預けられた大学が「こんなのどーしようもないよね」と嘯くなら、助成金の原資を負担する納税者の一人として私は「税金泥棒!」といわせていただく。私は学生
男の人はね、お前は早く一人前になって金を稼いで妻子を養えといわれる、それ以外の抑圧ってないんですよ。一本道なんです。 (中略) でも女の人は、親から受ける抑圧でさえ一本道ではない。おしゃれにあまりにも興味がないとどうしたのかと言われ、あまりにおしゃれにとち狂っているともうちょっとなんとかしろと言われ。途中までは勉強しろと言うものの、東大にまでは行かなくていいと言われたり。 親と親戚の人が言うことが違っていたりするし、周囲の言うことを全部聞いていると、女の子は頭がおかしくなっちゃうんですよ。どうしたらいいのかわからくなってしまう。 だから、女の子は人によって萌えポイント、つまり抑圧のポイントがみんな違うんですよね。抑圧ポイントがたくさんあるからこそ、女の子はものを考える機会がたくさんあるんだと思います。 よしながふみ×三浦しをんロング・ロング対談 『マンガ・エロティクスf』44号(p.132
昨日のエントリ(【長文】目に見えないのに確実にある「フツーの枠(わく)」)では、よしながふみ×三浦しをん対談にかこつけて、いろいろと自説を語ってしまったわけですが、なんだかまるで、 「女の人は、男の人に比べて生きにくい」 と主張してるように感じられた方もいらっしゃるかもしれません。 でも実は、個人的には、そう思っているわけでもないのです。 「男の人と女の人は、違う生きにくさをもってるなあ」と思っていて、ある意味では、(特に若い)男の人のたいへんさってすごいものがあるんじゃないかな、と感じています。 よしながふみさんは、『小説ウィングス』2006年冬号でも三浦しをんさんと対談されていて、ここでも、 ●男の人の抑圧ポイントは、大きく言うと「妻と家族を養っていける立派な男の人になりなさい」という一つ。 だから、男の人は、固まって共闘できる。 ●でも、女の人は抑圧のポイントがみんな違うから、一人ひ
平均稼働率は50%、年商8億円。それが日雇いの仕事で食いつなぐ宿無しフリーターや就職氷河期によって取り残された若年ワーキングプア(働く貧困層)のための簡易宿泊施設「レストボックス」というビジネスの実態です。 こういうビジネスは、生活に困窮するフリーターなどをターゲットにしているので、「貧困層ビジネス」というジャンルに属します。わかりやすいところでは、悪条件でも働かないと食べることすらできない点につけ込んでいる派遣・請負業(古くは手配師と呼ばれていた)、そういう自転車操業状態で働いているときに急にお金が必要になった場合に活躍する消費者金融業(昔は闇金融が多かった)、そしてマンガ喫茶やネットカフェ、今回のレストボックスなどの宿泊業もこの市場にいるわけです(昔で言うところのドヤ、あるいは飯場)。 というわけで、現代の「貧困層ビジネス」事情を見ていくことにします。 ■レストボックスとは何か? レス
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