2008年06月19日 20:55:17 投稿 【手書き】ルパンでウテナOP【一部女性向】 ※前半に女性向け?と思われる表現があります。また、パンツやボインの苦手な方はご注意下さい。 【比較版ありがとうございます→ sm3712504 】 ≪6/24追記: 自サイトに時々ルパン絵を置いたりしますが、ファンサイト・同人活動はしておりません。ファンサイトを運営されている方々にご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした≫ 登録タグ:神動画はいただいた(運営) つべ高画質=HDGj4bP5HME 権利者に認められたうp主 うp主は大変な革命を起こしていきました 消したのは悪名高いキングレコード
きのうのエントリーに寄せられたトラックバックやブクマコメントを読んでいて、ひとつ意外に思ったのは、ぼくが今回の暴動に対して「無条件に支持する」と書いたのは、そこで行使されるであろう暴力が「正当性」を持つと考えてのことだ、と思った人がいたらしいということである。 ぼくは、必ずしも今回の暴動を、その行動や暴力の正当性を理由に「無条件に支持する」と書いたわけではない。 ただたんに、自分の位置から出来る連帯の表明は、そのように書くこと以外にありえないと思ったから、そう書いたまでである。 そのことについては、後で書こう。 たしかに、生田さんのサイトに一端が書かれていたような積年の経緯や、今回の当初からの警察の対応、とりわけ放水車で放水を繰り返したりした強圧的な態度を考えても、「(たとえば)抵抗の正当性」のようなものは、十分にあると思える。 同サイトによれば、(報道では警察側の負傷者しか報じられてない
連日続いている釜ヶ崎での抗議・暴動に関して、「どんなことがあっても暴力はいけない」という批判がある。 それに対して、これまで警察や社会全体から、釜ヶ崎の(労働者をはじめ)人たちが受けてきた迫害、差別の持つ暴力性はどうなるのか、という反論がありうる。 だがこの二つの意見は、本来対立するものではなく、「暴力」に対する批判ということでは同じ立場である。 釜ヶ崎の人たち(という集合名詞自体が、すでに暴力的だが)が経験してきた怒りや苦しみを慮った上であれば、「どんなことがあっても暴力はいけない」という批判の言葉は、「暴力」を恣意的に選別して自分に都合の悪い種類の暴力のみを非難することによって、虐げられている人、自分が現に虐げている人の怒りの表明や抵抗・抗議を、したり顔で抑圧するという、浅ましい(真に)暴力的な言明とは、まったく異なる真実の言葉となるだろう。 実際には、そうでない場合の方が、ずっと多い
おまたせしました。本HP開設以来長く予告しながら、ずっと建設中マークがついていた「日本=ポスト・フォード主義国際論争」の第一弾を収録します。このコーナーは、窓社から刊行されている加藤哲郎=ロブ・スティーヴン編『日本的経営はポスト・フォーディズムか』(日英両版)のうち、著作権上の問題のない私の執筆部分を収録して本HP英語版の目玉にするために企図されたものですが、英語オリジナル・ファイルが前のNEC・PCからとりこめなかったため、そのままになっていたものです。このたびスキャナーが稼働し始め、英語の読みとりソフトもうまく行ったため、いよいよ真打ち登場が可能になりました。さしあたりここには、上記の著書にも入っていない、この論争についての私の講演記録を収録して、全体の序論とします。『労働運動研究』第251号(1990年9月号)に発表されたものです。 この間、雑誌『季刊 窓』誌上で「日本
僕は自分の名刺の肩書きには「編集者・ライター」と書いている。世間的に一番通りがいいのは「フリーライター」という言葉なんだろうけど、どうも2時間もののサスペンスドラマの見過ぎなせいか、「フリーライター」という言葉にいい印象がない。2時間ドラマに出てくるフリーライターってのは、ダサいグラサンをかけていて、プリントの開襟シャツとかを着ていた態度の悪い嫌われ者の男で、事件の裏側を追いかけようとして2番目くらいに殺されがちだ。若いころ小倉一郎がよくやっていた。 まあ、それはともかく、ライターという肩書きって先詰まり感があり、多くの同業者が次第に別の肩書きへと出世していきます。だってライターって肩書きだと、あまりテレビや新聞にコメントを求められなさそうでしょ。 こういった場合、一番多く利用される肩書きが「ジャーナリスト」。なんとなく名乗りやすいし、別に他からの認証も必要としない。つまり誰でもなれる。
20世紀を「戦争と革命の世紀」と呼ぶ人がいる。そうすると、ぼくは1920年の生まれだから、その全生涯はすっぽりその中に納まって、おつりみたいなものが今世紀、というわけだ。つまりまあほとんど20世紀で、一生がもう終わったといって差し支えないだろう。 そこで改めて「戦争と革命」ということにこだわると、歴史的事実としての比重は、前半の期間、ロシア革命の成立、それと関連しての世界各地における共産党の活動に加えて、第1次と第2次世界大戦ということなのかもしれない。 ところが20世紀前半のそれはそれとして、ぼく個人の経験的経過をいうならば、ぼくにとっての戦争と革命は、その前半期を問題とする以上に、その後、いまは逆現象のようでありながら、その裏返しともいえる反テロ戦争を生み出した現在につながる――「70年代前後」とそれに継続する後半世紀に、重点があるといってよいだろうか。 簡単にいえばそれは、ベトナム反
ssugiさん、コメントありがとうございます。私の議論は曖昧になりがちなので、こうした形でとりあげていただいてほんとにありがたいと思います。 http://d.hatena.ne.jp/ssugi/20050806 というわけで、いくつか考えたことをこちらも書いてみます。 非対称なペアのうち非優位な方に、その非優位であることを理由として「抵抗的暴力」という特権が与えられるというのは納得しずらいところです。(ssugi) 抵抗的暴力は「特権」ではないと思います。言うならば「生の事実」「生きようとする力」だと思います。今まさに暴力を振るわれているものがそれに対して直接反応している事実、というイメージです。そして、むしろ「国家」こそが、抵抗暴力の論理を「特権」として市民から簒奪していることが問題ではないか、ということです。これについては後に詳しく述べます。 暴力以外の手段がないというケースももち
なんかしょっちゅう同じ話題でアレなんですが http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050108#p1 で引用した小林正弥氏のように(『非戦の哲学』)「旧世紀」の「マルクス主義的運動」は、「暴力的・闘争的側面を持っていた」とか「暗く闘争に彩られ」ていた、というような意見は、ほんとうによく聞かれます。ほんのちょっとでも「左翼」や「マルクス主義」や「運動」について肯定的に語ったとたん、「でも結局そういう人たちは内ゲバで殺し合いしてたんでしょ?」とか、「連合赤軍はどうなの?」とか、「そういうのがあったからサヨク運動はイッパン市民の支持を失ったんでしょう?」云々……といった言葉がすぐさま返ってくる。そうしたいわゆる「運動の負の側面」については私と同世代以下の、「運動」を実際には知らない世代の人間も、みんなやけによく知っている。 しかし、かつての「運動」の側の「暴力」につい
昔聞いた話なのだけれど、その頃、自分を売り出すことにかなり意識の高い、戦略的な女子アナがいた。その時はまだ若かったのだけれど、スマートさ、クレバーさ、したたかさをすでにして備えた、かなり強い女子アナだった。ぼくはその女子アナ(仮にAとする)に興味を抱いていた。一緒に仕事をしたことはなく、テレビで見るだけだったのだけれど、画面を通しても明らかに異彩を放っていることが分かって、強く惹かれるものがあった。それで、Aと一緒に仕事をしたこともある旧知のテレビディレクターの何人かに「一体どんな人物なのか?」と聞いてみたことがある。するとそのディレクターたちも、Aに対してはぼくと同種の興味を抱いていたらしく、色々見聞きしたり知っていたりすることがあって、それをぼくに教えてくれた。それは、当時のぼくにとってはかなり「面白い話」だった。そこで聞いたAの話は、かなりインパクトのあるもので、ぼくは強いインスパイ
日本ギガバイトユナイテッドは20日、同社のイメージキャラクターとして、新たな「ギガバイ子(中国名:技嘉仙子)」を発表した。 ギガバイ子は2003年に、日本における製品の販売促進活動の一環として登場し、さまざまな方面でGIGABYTE製品の機能紹介などをしてきた。2007年7月にギガバイトユナイテッドが設立してから、「しばらくの充電期間を経て、さらにパワーアップして帰ってきた」という。 デザインは若干変更されており、GIGABYTEの文字をあしらったリボンで髪を束ねているほか、同社のイメージカラーであるブルーのチャイナドレスの胸元にも、GIGABYTEの文字が刺繍された。今後はユーザーサポートおよび自作PCライフの提案などの活動に務めるという。 同社は2007年3月に、ギガバイ子に続く「超耐久コンデンサくん」をイメージキャラクターに採用しており、ギガバイ子はしばらく姿を見せなくなっていた。
冒頭から告知で何なのだが、ぼくは今、金沢21世紀美術館デザインギャラリーで「金沢をブリコラージュする。糸崎公朗写真展」という個展を開催している(7月13日まで)。この「ブリコラージュ」という言葉の意味は、連載第1回目でも解説したとおり「既製品の断片を寄せ集め、新たな機能を持つ道具を生み出す素人工作」」というような意味のフランス語で、それがこの連載のタイトルの「切り貼り」という言葉にもかかっている。 ブリコラージュの名手というのは写真界にも少なからずおられるが、その中でぼくが影響を受けた一人が昆虫写真家の海野和男さんだ。海野さんの代表作は何といってもチョウの飛翔の瞬間を捉えたシリーズで、市販の魚眼レンズとクリップオンストロボを組み合わせて撮影されているのが特徴だ。 魚眼レンズはもともと風景撮影用として売られていたもので、それを「昆虫の接写」に使った人は海野さんが初めてだ。またクリップオンスト
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
iPhone はおれに要るハードなのか問題 - また君か。@d.hatena 葬式のとき親族に代わって盛大に泣きじゃくる「泣き女」という職業が世界各地にあったように、Apple 製品に関してはインターネット各地に「驚き男」みたいな役割を自任しているようなひとたちが居り、発表時期には彼らが盛大に驚いたり分析&展望芸を披露しはじめるので、まともな材料とまともじゃない材料の区別がつけづらい闇鍋状態に近付く。 確かにApple製品の情報を集めていると、この分類が大変。 iPhoneには興味あるんで、情報はこまめにチェックしているけど、「日本の携帯業界を根本から覆す!」とか大げさな分析が多くて、冷静な分析を探すのが難しい。
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