昭和11(1936)年の鉄道省の職制改正によって「駅」という呼称になるまでは、列車が止まる場所(駅、操車場、信号場)はすべて「停車場」と呼ばれていた。一般には停車場と駅という呼び方は混在していた。 大正天皇の崩御 大正天皇が静養先の葉山御用邸(神奈川県三浦郡葉山町)で崩御されたのは、大正15(1926)年12月25日午前1時25分のことである。齢47歳であった。 大正元(1912)年7月30日に33歳で即位した大正天皇は「西洋の教育に養育され、外国語も身につけ、民間の子弟と学校に通った」(*2)新たな時代の天皇として期待された。一夫一婦制を貫き、皇太子時代の明治33(1900)年に結婚した節子(さだこ)妃殿下との間に4人の男の子をもうけている。子供たちとは、皇室の長年の伝統に従って別居していたが、夫妻で何度も訪れるなどして非常に暖かい家庭を作っていたと言われる。10回以上日本中を巡幸し、日