曹休(そうきゅう)は魏(ぎ)(220年~265年)の将軍です。『三国志(さんごくし)』には曹操(そうそう)の「族子」と記載されています。諸橋轍次編(もろはし てつじへん)『大漢和辞典(だいかんわじてん)』で調べると、「族子」とは、(1)親類の子、同族の子 (2)兄弟の子となっています。おそらく、1番近くて曹操の「甥」と思われます。さて、この曹休は近年になって墓が発掘されました。これには筆者もびっくりしました。そこで今回は発掘された曹休の墓に関して解説いたします。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザや