こんにちは、らくからちゃです。 前回の記事を書いている中で、『プエルトリコの財政』について調べている途中、日本のデータについても調べてみました。せっかくですので、色々調べておいた結果についてこちらも書いておいてみます。 日本の一人あたりGNI まずは、日本の一人あたりGNIについて、OECD加盟各国の中でランキングしてみた結果が下記の通りとなります。 このグラフ、Googleさんの作っているものですが、グラフ左隅の三角形のボタンを押してもらえると、過去から現在までの推移が見て取れます。こうやって時系列で見てみると面白いですね。1988年、わたしの産まれた翌年に、日本は一人あたりのGNIが世界二位となります。もう、その上にいるのはスイスだけですね。 1990年代はほぼ概ね『ベスト5圏内』を維持します。今となっては信じられませんが、ルクセンブルクや北欧諸国よりも『一人あたりの稼ぎ』が多かったの
現在の「憲法改正」をめぐる動きには、大きくわけて二つの流れがある。一つには、2012年4月に自民党が発表した「憲法改正草案」だ。その年の12月に行われた衆院選で自民党が圧勝したことにより、その改正草案が「新憲法」になる可能性が浮上した。 二つ目は、そのような流れの中から出てきた集団的自衛権をめぐるものだ。2014年7月1日に、現行の憲法を変えないまま、集団的自衛権を行使できるという閣議決定がなされた。これは憲法を直接いじるのではなく、憲法の解釈を変える「解釈改憲」の形の憲法改正だ、という意味合いを持つ。その延長線上に、集団的自衛権の行使容認を前提とした安全保障関連法案、いわゆる、新安保法制の閣議決定がある(2015年5月14日)。 そのいずれもの動きに対しても、今、憲法学者が声を大にして批判を展開している。その急先鋒が、慶應義塾大学名誉教授の小林節氏だ。小林節氏がひときわユニークに映る
9条の弁護は、Bグループの人たち、すなわち、「平和を愛していて理性を優先する人たち」に対して行われるというのが、前回の記事でたどりついた地点でした。今回の記事では、さらにこの弁護をつづけてみたいと思います。これまでに書いてきたこととも少し重なりますが、大まかにいって、この弁護は2タイプに分かれるといえるでしょう。 ① 平和の素晴らしさと9条の理念を訴える 実は、このシリーズの中で最も力づよく書くべきなのは、この①なのかもしれません。けれども、平和の素晴らしさと9条の理念について訴える、このタイプの言葉は、Bグループの人からはきわめて無責任なものに見えてしまいます。それは、すでに何度も見てきましたが、「攻められたらどうするんだ」という反論がただちに成り立ちうるからでした。 実は、無責任にはならない道が一つだけあります。それは、9条の理念を、その結果とともに最後まで貫きとおすことです。人類の真
卑劣! 勝間和代のビジネスパートナー・上念司がSEALDsの個人情報と悪質デマを拡散 安保反対デモを習近平応援デモとも 安保法制に反対する声が日本全国で高まっているが、その旗手となっているのが、現役大学生らを中心に結成されたSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)だ。 SEALDsは毎週国会前で反対デモを行っているが、先日7月31日には「安保関連法案に反対する学者の会」とともに共同デモを展開し、約2万5000人が集まった。さらには、SEALDsに影響を受けたという高校生が中心のT-ns SOWLや、高齢者によるOLDsが発足するなど、裾野を広げている。 だが、こうしたSEALDsの動きや影響力を面白く思っていないのが、ネトウヨをはじめとする安倍応援団たちだ。彼らはなんとか運動の足を引っ張ろうとネット上で姑息なデマやヘイト発言を繰り返しているが、今度はSEALDsのメンバーの顔写真
安保法制関連法案の参議院での論戦始まった。だが、7月15日の衆議院での採決の際に安倍晋三首相自身が認めた通り、法案に対する国民の理解は進んでいない。というのも、賛成派の説明も反対派の追及も、枝葉にこだわるばかりで肝心なことが議論されていないからだ。参院での実のある議論を進めるために、いま一度、頭を冷やして考える必要がある。 例えば、野党や反対派が唱える「安倍さんは戦争をやりたがっている」という言説があるが、本当だろうか。私はこれは間違いだと思っている。なぜなら、動機がないからだ。進んで戦争を始める理由がない。少なくとも日本の政治家で、周辺諸国に対して勇ましいことを言っている人はある程度いても、本気で戦争をやりたいと考えている人はいないだろう。 戦争とは、武力を用いてさまざまな政治目的を達成しようという行為のことだ。戦争というリスクと犠牲を払ってまで達成したい政治目的とはいった何なのか。そん
いじめの話題は扱いにくい。 このことは、原稿を書いて読み返す度に、いつも思い知らされる。理由は「いじめ」という単語にやっかいな多義性が宿っているからだと思う。 いじめは、辞書的な意味では、「自分より弱い立場にある者を、肉体的・精神的に苦しめること」(大辞林)ぐらいになる。私たちが「いじめ」という言葉に抱くイメージは、もう少し複雑だ。というよりも、いじめ被害者(またはその経験者)と、いじめ加害者(および傍観者)では、同じ言葉を通して思い浮かべる景色がかなり違っている。 だから、この言葉を痛みを伴った感情とともに思い浮かべる人々と、そうでない人々の間では、話が噛み合わない。 実例を見てみよう。紹介するのは、自民党選出の参議院議員、中川雅治氏の公式ホームページに掲載されていた文章だ。 「掲載されていた」と、過去形を使ったのは、当該のホームページが既に消滅しているからだ。 ホームページの中の「教育
角栄の人間力について色々と力説してくる。 だが政治・宗教ネタは返答に困る。 どう受け答えすればよいのだろうか? 【追記】 ブコメが角栄大喜利大会になっとる。 なんだよみんな角栄大好きじゃねえか。 ...よっしゃ、よっしゃ!
70年前の1945年8月6日、人類初の原爆が広島市上空でさく裂した。投下した米爆撃機B29「エノラ・ゲイ」の搭乗員12人のうち、最後の生存者だったセオドア・バンカーク氏が昨年、93歳で死去。上空から惨状を目撃した証人はいなくなった。当時24歳で原爆投下機の航空士を務めた同氏は戦後、原爆と戦争について何を考え、どう生きたのか。生前のインタビューに遺(のこ)した言葉をもとに振り返った。原爆使用を正当化
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く