今日は気付いたら、韓国、香港、トルコとめぐって、連帯して運動をするということについて考え続ける日になっている。それは、そのような言説が近頃の左派からは、どうも聞こえなくなってきているから、飢えているのかもしれない。 反貧困のときにも顕著だったが、「右も左もない」という言説は、新自由主義への抵抗という題目の上でも大変よく提出される。その所以たるや、「右は自国民を護る」「左は資本の搾取に反対する」―ならば、両者が抵抗しているものは同じなのだから、国際資本に対して抵抗する上では、共同戦線を張るべきではないか、というところだろう。 非常にドメスティックなリクツである。形の上では、労働者=国民への正当な再分配、ある種の民族資本主義を求めるための大合作、なのだろうが・・・。 はっきり言う。 この日本という帝国に生きて抵抗せん、とする左翼がそんなリクツに乗るべきではない。 いや、この言い方だと大雑把か。