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ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (8)

  • 死刑について - kom’s log

    一人の人間が一人の人間を殺すことは、マンガや大藪春彦の世界を除き、普通は死刑とはいわない。十人が殺す場合はどうだろうか?百人だったら?あるいは千人だったら?日の場合は一億人である。一億人が一人の人間を殺すことに合意している場合は、一般常識として死刑と呼ぶ。実際、日では8割が死刑に合意しているので、社会的な合意のもとで殺人がおこなわれることに肯定的なコンセンサスのある社会となっている[1]。 「イスラム国」は自称国家である。実体は山賊であり、しかも非常に邪悪な山賊である。宗教がどうか、以前に邪悪であり、人を誘拐しては平気で殺してしまう。で、2015年1月24日には身代金2億ドルを安倍首相に要求したのに72時間以内にまともな返答がないから日人を一人殺したとのことである[2]。これは彼ら自称国家にとっての死刑である。身の毛もよだつ犯罪である、理屈が邪悪だ、とか国家ではない、といった意見はと

    死刑について - kom’s log
    unorthodox
    unorthodox 2015/02/10
    「イスラム国」が邪悪である一方で、われわれの社会も邪悪である。
  • 「日本を、取り戻す」 - kom’s log

    4週間ほど日に行っていた。うち2週間は無珍先生と過ごし、2週間は大阪仕事をしていた。計測開始以来という猛暑に居合わせたのにはまことに閉口したが、すくなくともそこにいたということでなんとなくオリンピックは参加することに意義がある的な気分である。庭で無珍先生とホースの水をぶっかけあうという懐かしうれしいようなこともできた。 ところで、あちらこちら移動していて目についたのが自民党の「日を、取り戻す」ポスターである。日の丸をバックにアベ首相が自信有りげに、なおかつ慈愛のこもった目つきで微笑んでいる。このポスターが、異様なほどあちらこちらに貼られている。日でずっと生活している人は慣れてしまってあまり異常だと思わないのかもしれないが、映画などでも描かれる全体主義の社会を限りなく模倣したような、そのような光景である。Big Brother is wathching you *1. 私は今の日

    「日本を、取り戻す」 - kom’s log
    unorthodox
    unorthodox 2013/08/18
    "よくわからないのが全体主義のプロパガンダであるというのは相場が決まっている"
  • イデオロギー - kom’s log

    気温が摂氏15.0度である。これは測定値であり、厳密に測定された値である。一方、15.0度の屋外において半袖で1時間過ごしたときにどれだけの人間が風邪をひくか、という統計値があったとする。仮に100人に1人が風邪をひく、という結果だったとする。なにもしなくても健康の不注意から風邪をひくことはあるわけで、このことを勘案した上での解析結果、余剰のリスクである、とする。 あなたは15.0度の屋外で半袖のまま1時間過ごすべきだろうか。この国は妙な国で、国をあげて半袖で外で過ごすことを奨励している。薄着は健康の増進に役立ち、ひいては社会を安定させることになる、と考えられているからである。「半袖で社会貢献」などといった標語まであり、街角でそんなノボリをみかけることもある。 来科学者は、計測することしかできない。あくまでも計測。数字をだす。とはいえ、ある科学者は「100人に1人しか風邪を引かないんだっ

    イデオロギー - kom’s log
    unorthodox
    unorthodox 2013/01/28
    "生まれた国は、教えられたとおり、身も心も焼きつくして、愛し抜いた末に、みごとに裏切られた。もう金輪際、こんな国を愛することはやめた。"
  • ■ - kom’s log

    歳をとった人間は人相について語り出す。私はそれがどうしてもキライだった。人相で人のことは判断できない。そう考えてきた。外見で人を判断するなんて、なんてダメな判断力。そう考えてきた。 とはいえ、東京都知事とか副都知事、すなわち石原慎太郎とか猪瀬直樹の顔を見るにつけ、なんてダメな顔、軽薄な顔なんだろう、と思う。このような人間が、隣人を侮辱し戦争を煽り、自らは安全地帯で墓の目前。私はよくよく、人相は手相血液型はさておきよっぽど確からしい、と思いはじめる。 まあ、私も歳をとったのだろう。 原子力発電についてどうしても一言書いておきたい。「これがなければ日はダメになる」。そういって必死になっているのは、かつては隠居であるべき人々ばかりである。なおかつその日来の文化であれば隠居であるべき人々が「継続せよ、原発せよ」と画策している。 これは間違っている。2011年3月11日に日は決定的なパラダ

    ■ - kom’s log
    unorthodox
    unorthodox 2012/10/26
    "しかし、不可避的に、非可逆の歴史的転換が起きてしまった。それは厳然としておきた。そのことを感じるだけの感受性を持ち合わせていない人間が、「原発継続すべし」「経済が」と唱和している。"
  • ケンカのイロハ - kom’s log

    東京都の副知事である猪瀬直樹が一ヶ月前に次のような発言をしている。 泳いで来るのだから、こちら側から蹴りを入れれば一発だよ。水に顔を突っ込み、参ったかとやりグロッキーにして上陸させず来た船に帰してやればよかっただけのことだよ。こんなもん、ケンカのイロハだ。 2012年8月19日 - 10:57 そうこうしているうちに中国では抗日デモが21世紀最大の規模で盛り上がり、満州事変勃発の日である日9月18日には1000隻の中国の漁船が尖閣諸島に到着する、とのことである。10隻に満たぬ日の海上保安庁は「お手上げ」とすでに申し出ている。中国のこうした激発は「想定外の事態」であったらしい。原発事故や外交問題は事務手続きではない故、書式システムには想定しがたいのは確かだろう。野田政権は海上自衛隊の艦船をさきほど尖閣諸島に移動させ始めたとのことである。 英語の記事を眺めたところ、この事変の評価はおおよそ

    ケンカのイロハ - kom’s log
    unorthodox
    unorthodox 2012/09/18
    歴史的な経緯など少しでも耳の痛い話はすべて「反日」ということにして薄笑いを浮かべながら上から目線に漬っていたい。ニッポンで言われる「毅然たる態度」「冷静」「理性的対応」とは所詮そんなもの。
  • 理解という許容 - kom’s log

    われわれが避けねばならぬのは、「理解するよう努める」ということの罠である。つまり、低線量被曝の確率的な健康被害が決着のつかぬ議論となる主要な理由は、誰もがそれを「理解しよう」と努めることにある。そういった態度の紋切り型の一つに従えば、「何が起きているかを説明しようとすれば、少なくとも広島長崎のLSS調査の統計的な手法とその解釈を理解し、測定誤差や精度の理論、内部被曝の臓器モデルなどあれこれについて知識を得なければならない」ということになるが、放射線の健康に対する影響の「複雑さ」をこのように強制的に喚起させることが結局何に貢献するかといえば、健康被害に注がれる疫学的眼差し、つまりは集団レベルで記述された健康被害に対して観察者(同時に被害者)という個人が保っている距離を維持することに貢献するのである。言い換えるなら、福島原発の事故以後の出来事が証明しているのは、「理解することは許すことだ」とい

    理解という許容 - kom’s log
    unorthodox
    unorthodox 2012/06/23
    "「あなたは確かに加害者である」と主張すればよい"
  • 卑劣だろうか。 - kom’s log

    三週間ぶりにフランス人のJとビール。近くに引っ越してきたので、家の間にある飲み屋で会えるのがなんとも都合よし。この三週間こんなかんじでさあ、と彼が2週間行っていたバレンシアのこと、ミラノのこと、私がいっていたイギリスのこと、映画の話。バッファロー66をみていないというので、いじめた。 1995年にオウムの地下鉄サリンテロがあったときに、泡を吹いて倒れる人々を横目に人々は日々の業務へと急いだ。現場に居合わせた辺見庸は”またぎこして”とさえ形容している。 36歳男が特急車内で女性乱暴容疑 乗客、制止せず 車内レイプしらんぷり 「沈黙」40人乗客の卑劣 これを卑劣というならば、なぜあのときのことを人々は思い出さないのか、と思う。サリンではなく駅のホームで貧血でぶっ倒れ、頭がコンクリートのプラットホームにあたって鈍い音がした女性がいるのに何事もなかったように新聞を広げたままの通勤客や、某予備校の2

    卑劣だろうか。 - kom’s log
    unorthodox
    unorthodox 2012/06/22
    そして時には異常をただ跨ぎ越すだけでなく、異常を告げる者を逆にヒステリックに攻撃してまで平穏にしがみつこうとする。それほどまでに人を縛り歪める「慣性」のおぞましさを、一度はどこかで見据えねばなるまい。
  • 断絶と欺瞞 - kom’s log

    北海道の泊原発が定期点検で2012年5月5日に停止してから、日で運転している原子炉はゼロになっていたが、6月下旬には福井の大飯原発が再稼働する見込みである。再稼働によってすでに存在している放射性廃棄物の量が劇的に変化するわけではない。あるいは夏が終われば止めればよい、のかもしれない。そもそも崩壊熱という現象を考えれば、原子炉の「停止」はスイッチのオン・オフとは原理的にことなっている。 とはいえ再稼働には欺瞞がある。歴史的な欺瞞である。 私が注目するのはその安全性の検証が311以前と同じような建前を中心に行われたという点である。「絶対安全」という原子力発電を推進するための標語的な建前がいつしか当のことになってしまい、政府関係者、電力会社の人間のほとんどがいつしか気でそれを信じるようになった、というおそらく福島の事故の最も根幹にある病因が、311後にほとんど変更もなく通用している。311

    断絶と欺瞞 - kom’s log
    unorthodox
    unorthodox 2012/06/01
    「お約束」にすがり続けようというこの欺瞞が例えば、瓦礫を慎重かつ安全に処理しようというのではなく、「復興」のために手っ取り早く拡散して薄めてしまえという本末転倒な同調圧力にも繋がっているのだろう。
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