古典文献学などという 長期衰退分野 に関わっていると、 なんでも見えるところにある、見えるところにあるものは信頼できる という考え方はヘンだな、と感じる。 たとえば、いくらデジタルアーカイブがたくさん出来ているにしても、まだまだすべてを網羅できてはいない。木簡や竹簡、文書など手で書かれた文字資料は 釈読 というプロセスが必要になるが、それは個々に任された作業で、 他人の作った釈読は、現物か写真を見て確認する のが、ベストだ。それが出来ない場合に初めて、釈読の典故を明かした上で利用する。 ところが 可視化の作業 では、この デジタル化された画像 ではなく 最後に得られた釈読だけ を無批判にコピペすることが結構まかり通ったりする。 逆に言えば、 コピペできない資料はオミットされる ということが出てくるのだ。 以前、CMの歴史を研究しているヒトと話をしてもの凄く違和感があったのは まだ、CMの草