福井市朝宮町の丘陵に、古代の北陸では最大級の山林寺院跡があることが2日までに、日本考古学協会の埋蔵文化財保護対策委員古川登さん(58)=同市=の調査で明らかになった。遺物などから奈良時代末~平安時代前半の寺院とみられ、東側の尾根上に大小20面以上の平たん面が見つかった。白山信仰との関係もうかがえ、注目を集めそうだ。 この丘陵(標高約130メートル)は朝宮橋南側の日野川左に面し、地元集落にはかつて神社があったとの伝承が残る。古川さんが旧清水町教委職員だった2004年、近くにある中世の大型寺院・方山真光寺(かたやましんこうじ)跡に関連した調査で、丘陵東側に複数の平地があるのを確認した。字名は「大社(おおやしろ)」で、「朝宮大社遺跡」と呼ばれている。 今年4月、越前町織田文化歴史館の堀大介学芸員とともに再調査したところ、標高72メートル付近で林道の造成跡から複数の須恵器片が見つかった。8世紀末~
室町幕府3代将軍、足利義満が権力の象徴として築いた巨大な七重塔。史料も少なく実態が分からなかった“幻の塔”を飾った相輪の一部とみられる破片が金閣寺(京都市北区)で初めて出土したと、京都市埋蔵文化財研究所が8日発表した。中世史や建築史の研究者らは強い関心を寄せる。 「北山大塔が実在したという物証がついに出土したことは大変にうれしい」と話すのは、「室町幕府論」(講談社刊)などの著書がある早島大祐・京都女子大准教授(日本中世史)。南北朝統合を実現させた義満は将軍職を義持に譲ったが、手に入れた強大な権力と財力を示すため、自分が住む北山殿に金閣と大塔を建てたと推測する。 「平安後期に白河天皇が法勝寺… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読み
2014(平成26)年4月23日正午から、東寺百合文WEBの第2次公開を開始しました。 今回、約36,000画像を追加して、東寺百合文書全点の画像をWEBに掲載するとともに、スマートフォン対応画面や、年表・地図などからも資料を楽しむことができるようになりました。 地図から→全国に展開する東寺の荘園やそこを舞台とした資料にたどりつけます。 年表から→年表形式で当時の動きを参照しながら個々の資料にたどりつけます。 テキスト→資料の読みを示したテキストを資料画面から表示。 スマートフォン対応画面→スマートフォン環境に即したトップ画面などを構築。 ガイド表示→「百合百話」「テキスト」が準備されている文書にはボタンで表示。
炎を上げて燃える宝厳寺本堂=10日午後、松山市道後湯月町、波多野大介撮影宝厳寺本堂に所蔵されている国重要文化財の一遍上人立像=松山市教委提供 10日午後2時15分ごろ、松山市道後湯月町の宝厳(ほうごん)寺本堂付近から出火、いずれも木造平屋建ての本堂約150平方メートルと「庫裏(くり)」約120平方メートルが全焼した。市によると、宝厳寺は時宗を開いた一遍上人の生誕の地とされ、本堂には国指定重要文化財「木造一遍上人立像」が所蔵されていたが、見つかっていない。 松山東署と市消防本部によると、庫裏は住居として使われ、出火当時は住職(80)と妻がいたが、本堂が燃えているのに気づいて逃げたという。 近くに住む男性(63)は「道後にとって大変な損失だ」と肩を落としていた。現場は国指定重要文化財の道後温泉本館から東に約300メートルの住宅街。 最新トップニュース
文部科学省は21日、ユネスコの世界記憶遺産に、1千年以上にわたって東寺(京都市)で伝承されてきた国宝の「東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)」を推薦すると発表した。2015年の登録を目指す。 東寺百合文書は、仏事などの寺の活動の文書や領有した荘園の記録など、奈良時代から江戸時代にかけての約2万5千通で構成。江戸時代に加賀藩主・前田綱紀から100個の箱が寄進され、保存されてきた。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方) 無料会員登録はこちら朝日新聞デジタルのサービスご紹介はこちら関連記事表情さまざま作兵衛画 福岡、記憶遺産2年で企画展次々(4/12)「知覧からの手紙」333点 鹿児島、記憶遺産申請へ(3/22)ユネスコへ3千点の資料候補 京都・舞鶴引揚記念館(2/19)
創建1300年余りの歴史を有し、国宝・阿修羅(あしゅら)像の収蔵などで知られる興福寺(奈良市)監修の期間限定の駅弁「心」が、6月2日までの期間限定で、東海道新幹線車内や沿線主要駅で販売されている。同寺がJR東海の子会社と協力して完成させた精進テイストたっぷりのメニューで、「古刹(こさつ)と駅弁」という意外な組み合わせが話題を呼んでいる。 同寺の南円堂が建立1200年を迎え、北円堂と南円堂の特別公開を実施することから、JR東海側が「記念商品でキャンペーンを盛り上げよう」と興福寺にもちかけ、コラボレーションによる駅弁を開発することになった。 弁当の掛紙の題字「心」は、多川俊映(しゅんえい)貫首が揮毫(きごう)。「いってらっしゃい」「頑張って」「お疲れさま」など、心温まる言葉を商品名に込めたという。 仏教寺院の壁などに掛けられる五色幕をイメージした「精進ふりかけ」をまぶしたごはんのほか、黒ごま豆
文化財の宝庫だったのに―。24日起きた岡山市北区金山寺、天台宗の金山寺の火災は、国指定重要文化財の本堂が全焼、岡山県指定重要文化財・木造阿弥陀(あみだ)如来坐像(ざぞう)も焼失したとみられる。岡山市出身で日本臨済宗の宗祖栄西(1141〜1215年)も一時修行したと伝わる古刹(こさつ)の災厄に、関係者には驚きとショックが広がった。 同寺の正式名は、銘金山観音寺遍照院。室町時代末期の成立とされる「金山寺縁起」によると、749年に孝謙天皇の勅令で報恩大師が創建したと伝わる。16世紀、戦国武将松田氏の命を拒絶したため、堂塔すべてを兵火に焼かれた。本堂は岡山城主宇喜多直家の援助で1575年に再建。桃山時代初期の貴重な建築として、早く1923年に国指定を受けていた。 午後9時ごろ現場に駆け付けた乗岡実岡山市教委文化財課長は「柱が何本か残っているだけで、焼け落ちた屋根や部材が散らばっている無残な状態。国
印刷 石と粘土を交互に積み重ねた地盤改良の跡=京都市東山区地図 源平合戦時に権勢を振るった後白河法皇が院政を敷いた御所、法住寺殿(ほうじゅうじどの)跡(京都市東山区)で、平清盛の義妹で法皇の妻となった建春門院(けんしゅんもんいん)(平滋子〈しげこ〉)ゆかりの寺院「最勝光院(さいしょうこういん)」の土台とみられる遺構が見つかった。京都市埋蔵文化財研究所が8日発表した。最勝光院と推測できる建物跡が出土したのは初めて。 法住寺殿は東西600メートル、南北1.1キロの広大な敷地を有し、貴族の日記から、南端に最勝光院があったとされる。今回の調査で、整地した土地の上にこぶし大の石と粘土を交互に積み重ねて地盤を固めた跡が、計4カ所見つかった。 最勝光院は滋子の願いで1173年に建てられ、平等院鳳凰堂(京都府宇治市)のような荘厳な建物が築かれたとみられる。同研究所は「強大な権力を背景にし、清盛が訪れ
鎌倉幕府の根本法典「御成敗式目」の制定で知られる3代執権・北条泰時(1183~1242年)が創建した、神奈川県鎌倉市の常楽寺の本尊、阿弥陀(あみだ)三尊像から、制作時期とみられる「仁治三年(1242年)六月十二日」の墨書が確認された。 泰時の出家の33日後、死の3日前にあたり、専門家は「死期を予感した泰時が、極楽往生を願って急いで造らせたのでは」としている。 三尊像は木造で、中央の阿弥陀如来像は像高70センチ、左右の観音・勢至菩薩像は同85センチ前後。作風に中国・宋の影響があり、鎌倉時代の仏師・定慶(じょうけい)の作とみられるという。 これまで室町時代の作とされていたが、昨秋、山本勉・清泉女子大教授(日本彫刻史)が調査。阿弥陀像の台座内部に、僧侶の名や日付が書かれているのを確認した。17日、市の文化財に指定された。
「円福寺」建立場所 瑞巌寺本堂で確定 宮城・松島 出土した四半敷きの床=14日、松島町の瑞巌寺 国宝の瑞巌寺本堂で発掘調査をしている宮城県教委と松島町教委は14日、出土した遺構から判断して瑞巌寺と同じ場所に中世寺院の「円福寺」が建っていたことが確定したと発表した。担当者は「国指定史跡級の遺跡」と話している。 円福寺は鎌倉時代中期(13世紀中頃)の創建とされるが、建立場所については諸説あり、専門家の見解も分かれていた。 調査で本堂南側から東西18メートル、南北7.3メートルにわたって約45センチ四方の石を敷き詰めた四半敷きの床が出土。東日本の中世寺院では鎌倉の建長寺に次ぐ2例目の発見で、僧侶が寝起きする僧堂だったとみられる。 本堂中央部では18メートル四方の建物跡が見つかった。教典について講義する法堂(はっとう)と推定され、遺構の周辺からは瓦片も出土した。 県教委の村田晃一技術補助は
印刷 国の重要文化財の木造不動明王坐像=文化庁提供 天台宗(総本山・比叡山延暦寺、大津市)は、皇室ゆかりの寺・般舟院(はんしゅういん、京都市上京区)の元住職(71)について、宗派の許可なく寺を売却したとして僧籍を剥奪(はくだつ)した。借金が返せず、土地・建物を差し押さえられたという。国の重要文化財の仏像2体も一時流出したが、京都府警の家宅捜索で見つかった。 登記簿などによると、寺の土地約1250平方メートルと建物は昨年9月、大阪市内の不動産業者が差し押さえた。約1億3800万円で競売にかけられ、今年8月に北海道函館市の不動産業者が落札。業者は現在、寺を売りに出している。 天台宗は8月末、宗派の承認を得ずに寺の土地・建物を担保に差し入れ、売却したとして元住職を処分。元住職は「知り合いに頼まれて寺を担保に借金し、約1億円に膨らんだ」と説明したという。 続きは朝日新聞デジタルでご覧いただけ
寺社仏閣が多い場所というとまず京都、そして次に奈良を思い浮かべる人が多いはず。実際、京都ではちょっと歩くとお寺や神社を見つけることができ、一般非公開のところも合わせると数え上げることが困難なほどの数になります。 しかし、宗教美術の観点では近江国、つまり滋賀県もなかなかのもの。 現在、この滋賀県にある仏教美術と神道美術のうち300件以上を集めて展示するという過去にないレベルのイベント「神仏います近江展」が開催されています。 神仏います近江展 http://www.biwako-visitors.jp/shinbutsu/ この展覧会は信楽町のMIHO MUSEUM、大津市瀬田の滋賀県立近代美術館、大津市御陵の大津市歴史博物館という3ヶ所の博物館が連携して行うもの。 MIHO MUSEUMのテーマは「天台仏教への道」。近江に伝わる仏像、仏画、神像などを中心とした展示で、「大乗仏教とともに拡大深
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