タグ

ブックマーク / fish-b.hatenablog.com (14)

  • お産に対する気持ちを考える 5 <無痛分娩、助産師は否定的なのか?> - ふぃっしゅ in the water

    今回もまた「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行著、国立成育医療センター手術集中治療部産科麻酔部門主任、真興交易(株)医書出版部、2011)を参考にしながら、助産師(あるいは医師)にとって無痛分娩とはどのように映っているのか考えてみたいと思います。 このの「第10章 無痛分娩を円滑に導入するために」の中で、2003年から著者が麻酔科医としてある大学病院で無痛分娩を導入するプロジェクトの経験が書かれています。 第一段階(準備期間)は、無痛分娩を円滑に導入するために産婦人科医、麻酔科医および助産師の理解を得ることを目標とした。そのために、手始めに産婦人科医の医局会や助産師の勉強会でレクチャーを行ったが、産科医や助産師の無痛分娩に対する認識との間に大きな隔たりを痛感した。具体的には、産科医は硬膜外カテーテルさえ入れてくれれば後は自分たちでできると考えており、また助産師は無痛分娩にそもそも悪い印象を

    お産に対する気持ちを考える 5 <無痛分娩、助産師は否定的なのか?> - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2013/06/18
    #無痛分娩を語ろう 助産師と無痛分娩
  • お産に対する気持ちを考える 4 <日本の無痛分娩> - ふぃっしゅ in the water

    前回の記事に続いて、「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行著、国立成育医療センター手術集中治療部産科麻酔部門主任、真興(株)医書出版部、2011)から日の状況をみていきたいと思います。 「邦の現状」(p.28〜)の冒頭部分を引用します。 残念ながら邦の無痛分娩の普及率あるいは実施率を正確に調べた報告は見当たらないが、その実施率は先進国の間でも極端に低い部類に入るものと推測される。邦で無痛分娩が実施しない理由として「お腹を痛めた赤ちゃん」や「産みの苦しみ」などの慣用句からも伺えるように陣痛に耐えることを美徳とする文化的土壌があることが指摘されている。そして、このような土壌は社会の秩序を維持するために個人の感情を抑制するべきであるとの儒教の影響を受けているとされている。しかし、無痛分娩が普及しない理由をいつまでも封建制度の時代の宗教で説明するのが無理があると思われる。 この冒頭部分について

    お産に対する気持ちを考える 4 <日本の無痛分娩> - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2013/06/18
    #無痛分娩を語ろう 費用が普及の妨げの一つではないかという話
  • お産に対する気持ちを考える 3 <世界各国の無痛分娩 2> - ふぃっしゅ in the water

    引き続き「無痛分娩の基礎と臨床」(角倉弘行著、国立成育医療センター手術集中治療部産科麻酔部門主任、真興交易(株)医書出版部、2011)から、世界各国の無痛分娩について見てみたいと思います。 <米国での現状> 「アメリカでは8割以上が無痛分娩」という話をよく耳にしますが、このの中では全出産に対する硬膜外麻酔による無痛分娩の割合は具体的には示されていませんでした。 記事の中では2001年までの統計が示されているのですが、2001年の段階で、大規模病院(年間分娩件数1,500件以上)の6%が、中規模施設(500件以上1,500件未満)10%、小規模施設(100件以上500件未満)12%が「無痛分娩を行っていない」とあり、私個人はむしろアメリカの大規模病院でも無痛分娩を行っていないところが6%もある事実が驚きでした。 ただし無痛分娩を行っている施設では、麻酔科医の当直とオンコール制をあわせて「ほ

    お産に対する気持ちを考える 3 <世界各国の無痛分娩 2> - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2013/06/18
     #無痛分娩を語ろう 欧米の状況
  • お産に対する気持ちを考える 1  <まだ語られはじめたばかり> - ふぃっしゅ in the water

    さて「医療介入とは」のシリーズはまだまだ続く予定なのですが、一旦ひと休みして、「医療介入とは 47 <再び、『主体的なお産』とは何か>の記事とすみれさんのコメントで課題にしておいた硬膜外麻酔を使った分娩について書いてみようかなと思います。 ただし、「日の助産師が自然なお産を尊重するから麻酔分娩が広がらない」あるいは「産みの痛みを耐えてこそ母になる」という点に対しても、そうなのだろうかという立場です。 「理想と現実のあいだで折り合いをつける」で書いたことを再掲します。 人類始まって以来、女性がここまで出産についていろいろな希望を口にし、自由にこんなお産をしたいといえた時代はなかったのではないでしょうか。 そういう意味で、多少行き過ぎた自然志向も含めて、この30年間は出産の安全性が確保された次の時代として出産の理想像を描く時代だったかもしれません。 ここ一世紀ほどの出産に関する資料やを読ん

    お産に対する気持ちを考える 1  <まだ語られはじめたばかり> - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2013/06/18
    #無痛分娩を語ろう
  • 医療介入とは 83 <臍帯切断は医療行為以外の何ものでもない> - ふぃっしゅ in the water

    助産師学生の頃、初めて分娩実習に出る前の緊張感というのは人生の中でもそうそうないほどの緊張だったように思います。 特に臍帯を切断する手順は、学生同士でも何度もゴムチューブを使いながら練習した記憶があります。 <臍帯の血流を止める> 当時の教科書「母子保健ノート2 助産学」(日看護協会出版会、1987年)に、書かれている臍帯切断の部分を引用します。 結紮は、綿テープや臍帯クリップ、ゴムバンドを使用する場合が多いが、いずれも臍帯血管の血流を止める目的で使用する。 綿テープの場合は、臍輪部より2〜3cmの所を、まずコッヘル鉗子で圧挫した後に外科結びをし、さらに1cmを残して切断する。 臍帯クリップの場合も同様に圧挫した後、装着し、24時間後に除去する。 (中略) 臍帯を切断する前に、確実に臍帯内の血流を止める必要があります。 私が助産師になった頃はすでに臍帯クリップで止める方法になっていました

    医療介入とは 83 <臍帯切断は医療行為以外の何ものでもない> - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2013/04/30
    「もしかすると、臍帯切断の前に臍帯と臍帯切断に伴うリスクを学ぶ数時間ぐらいの研修でもあれば、思いとどまる方も出てきたのではないかと思います。」
  • 「救急処置」 学生時代の教科書より 、出産は母子二人の救命救急 - ふぃっしゅ in the water

    私は、外科系と内科系の病棟で看護婦として勤務したあとに助産婦になりました。 病棟での急変の対応はそれなりに経験もしていた私でしたが、産科救急というのはまた違った怖さがあると感じながら助産婦学生時代には学びました。 産科救急の特殊性は、妊娠中であれば母体・胎児の二人の生命の危機に一転することがまずあげられると思います。 他の診療科のように、その「患者さんひとり」でも急変時の対応は迅速性な判断と正確な処置が求められるのに、産科では二人の状態を把握し判断していく必要があります。 つぎにそれまで何も経過に問題のなかった「健康な」母児が、突然、重篤な異常へと変化する可能性があることです。 現在の勤務先は診療所ですから、基的にはローリスクの方を対象にしています。 総合病院から転職した当時は、すんなり産まれるお産が多くのんびりとしているかと期待していました。 ところが分娩数が増えるに従って、緊急対応が

    「救急処置」 学生時代の教科書より 、出産は母子二人の救命救急 - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2012/12/22
    「ローリスクであっても「正常に終わる」のは確率の問題であるということです。 助産所も分娩件数が増えれば、同じ道をたどることでしょう。」
  • 現代の産椅とヨトギ  完全母子同室とか完全母乳とか - ふぃっしゅ in the water

    6月16日の「完全母乳という言葉を問い直す 32 <再び「母親の英知」より>」にいただいたやみゃムトさんのコメントを読んで、ふと完全母乳を目的にした完全母子同室は現代のヨトギかもしれないと思いました。 そんなわけで、今日はちょっとお産の話から離れて現代の完全母子同室について考えてみようと思い立ちました。 「完全母乳という言葉を問い直す」を書いていた時に、通りすがりさんのコメントをはじめ、たくさんの方がそれぞれのお気持ちをコメントにしてくださいました。ありがとうございます。 ひとりの人がこの世に誕生し、その人の成長を見守り育てることは確かに忍耐力を必要とする場面がたくさんあります。 人だけでなく、植物や動物を育てるのも同じですね。 生まれてすぐぐらいの子犬や子を飼って世話をした経験があると、「新生児よりは犬(あるいはネコ)の世話の方が大変だった」とおっしゃる方にけっこう出会います。 おそら

    現代の産椅とヨトギ  完全母子同室とか完全母乳とか - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2012/12/22
    「完全母乳のための完全母子同室は現代の産椅とヨトギともいえるかもしれません。 こういう苦行ともいえることに意味を持たせても、私にはよいケアだとは思えないのです。」
  • 医療介入とは 56  <「血のケガレ」とさまざまな風習> - ふぃっしゅ in the water

    1980年代以降の「自然なお産」の動きの中では、昔の産婆の聞き語りがよく用いられていました。 出産を取り仕切ってきたのは女性であったこと、医師(男性)が介入する現代のお産ではなく助産婦(女性)に出産の介助の主導権を取り戻せば、昔のような温かいお産になるという主張を強めるために、そうした聞き語りは利用されてきたといえます。 今思い出しても、産婆さんの話の中には温かいお産というよりは昔に戻りたくはないと思わせる話もたくさんあったのですが、なぜかその頃の私も古きよき時代があったかのように受け止めていました。 どの文献に書かれていたのか手元にはもうないのですが、特に産後、1週間ぐらい褥婦(じょくふ、お産を終えた女性)さんが体を横たえることもできすになにかに寄り掛かって座って過ごしていたことは驚きでした。 「悪露(おろ)がでやすいように」とか「裂傷を自然に癒合させるため」という理由だったと記憶してい

    医療介入とは 56  <「血のケガレ」とさまざまな風習> - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2012/12/02
    産後一週間寝かせない!そんなこと本当に可能だったのだろうか?怖すぎる。
  • 医療介入とは 48 <再び、「主体的なお産」とは何か> - ふぃっしゅ in the water

    長々と主体的なお産という表現について考えてきたのですが、そもそも妊娠・出産に関することに「主体的」という表現を使うこと自体が矛盾を含んでしまうと思います。 主体的・・・自分の意思・判断に基づいて行動するさま (YAHOO!辞書より引用) あくまでも主体がひとりの場合には、主体的に生きることも求めることができます。 また受動的な生き方よりは主体的な生き方のほうがよいという価値判断が必要なこともあるでしょう。 でも妊娠というのは、「胎児」という自分ではない存在を内包することです。 その場合の主体って何でしょうか? もしかすると妊娠・出産に対する根源的な不安というのは、自分の中にいる他者の生命に対する不安が大きいのではないかと思うのです。 <出産の「痛み」に耐えるということ> 「産みの苦しみに耐えてこそ」という考え方がそれほど日の中で当に根強いのかどうかは私自身はちょっと疑っています。 それ

    医療介入とは 48 <再び、「主体的なお産」とは何か> - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2012/11/14
    「お産が怖くてしかたがなかったのでこどもはつくらないと思っていました。でも無痛分娩のおかげで、こんな私でもこどもを産むことができて本当にうれしい」
  • 医療介入とは 46 <「産ませてもらう」と感じる時ー出産編> - ふぃっしゅ in the water

    前回の記事で、妊婦さんに対して医療者側が「『産ませてもらう』と思っている人」に通じる気持ちを抱くのは、妊婦さんが妊娠・出産に対しての見通しがうまく立たないときの言動ではないかと考えていることを書きました。 そして医療者側と妊婦さんの見通しの立て方の違いが、前者が「医学的知識に基づいて妊娠経過とその対応を考える」のに対して、妊婦さんは医学的必要性はそれなりに理解しても家族関係や経済的な面での変化をどう対処するかというところで、医療者側の期待するような態度ができない可能性があるのではないかと。 妊娠を継続しよう、こどもを産もうと考えている時点で、その人なりに主体的に人生の選択をしたのだろうと思います。 では出産のあたりで、医療者側が「産ませてもらう」と感じるのはどういう時でしょうか? 私自身はそういう見方をしたくないと考えてきたので、一緒に働いてきた人たちの言動や出産関係の記事の印象からの推測

    医療介入とは 46 <「産ませてもらう」と感じる時ー出産編> - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2012/11/13
    うーん、「痛い」と騒ぐとよくないとされるのか。戦前の記録で「声を出さない、騒がないのがよいお産」とされていたというのは読んだんだけど…。日本以外の国ではどうなのだろう?
  • 私とニセ科学的なものについてのあれこれ - ふぃっしゅ in the water

    自分自身を振り返ってみると、科学的な思考とは程遠い世界で生きてきたと思います。 むしろニセ科学的なものに積極的に近づいていたといってよいほどでした。 小さい頃から、宗教的な家庭で育ちました。 生きるということはどういうことか、死ぬとはどういうことか、神とは何かなど、たくさんのことを小さい頃から考える機会を与えてくれた意味では感謝しています。 ところが、「神棚と仏壇のない家庭に育った子はよい子ではない」という不合理さも教える親でした。 受験勉強の合間に、お祓いと占いにも連れて行かれました。 病気や怪我をすると、病院よりは民間療法的なものを先に施されました。 ひどいかぶれをおこしても、庭の木の葉を煎じたものをまず試されました。病院も薬局もあるのに。 あきらかな骨折でも、まずは接骨院へ連れて行かれました。 「これをすれば健康になる」たぐいのがたくさんある家でした。 極めつけといってよいのが、看

    私とニセ科学的なものについてのあれこれ - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2012/10/19
    「わかりやすい情報だけを取り入れて、理想論に燃えやすい時にニセ科学は近づいてくるような気がします。」重い言葉だと。
  • 医療介入とは 10 <「科学的根拠に基く快適で安全な妊娠出産のためのガイドライン」> - ふぃっしゅ in the water

    8月21日の琴子ちゃんのお母さんのtwitterで、タイトルにあるガイドラインに対しての意見公募があることを知りました。 平成24年度厚生労働科学研究 分担研究 「科学的根拠に基く快適で安全な妊娠出産のためのガイドライン(改訂案)」の意見公募 http://sahswww.med.osaka-u.ac.jp/~osanguid/index.html この度、平成24年度厚生労働科学研究(政策科学総合研究事業)の分担研究「母親が望む安全で満足な妊娠出産に関する全国調査」に基き、正常経過の妊婦、産婦、新生児を対象とした「科学的根拠に基く快適な妊娠出産のためのガイドライン」の改訂をしました。 これは平成17-18年度厚生労働科学研究(子ども家庭総合研究事業)による「科学的根拠に基く快適な妊娠・出産のためのガイドラインの開発に関する研究」を改訂したものです。 医療介入の記事を書くために、平成17−

    医療介入とは 10 <「科学的根拠に基く快適で安全な妊娠出産のためのガイドライン」> - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2012/09/11
    「周産期医療では、「過剰な医療介入」「あたたかなお産」「自立していない助産師」など、内容が不明確なまま実態をともなわない言葉が跋扈していると思います。」
  • 自然なお産と写真・映像 <「真」が写っているものなのか>6/29追記あり - ふぃっしゅ in the water

    前回の記事で、病院で生まれた赤ちゃんの写真が皆顔をゆがめて泣き叫ぶ表情が写し出されていたと書かれていたことを紹介しました。 写真。「真を写す」と書きますが、写真って何なのでしょうか。 <写真は何を写しているのか> お手軽にウィキペディアからの引用ですが、「写真論」として書かれていたものからいくつか引用します。 ・写真の企図のもっとも雄大な成果は、私たちが全世界を映像のアンソロジーとして頭の中に入れられるという感覚を持つようになったということである。 ・写真を撮るということは、写真に撮られるものを自分のものにするということである。 ・写真は事実をゆがめているかもしれない。 しかしなにか写真にあるようなものが存在する、あるいは存在したという推定は常にある。 ・写真は絵画やデッサンと同じように、世界についてのひとつの解釈なのである。 つまり、写真の構成を意図してカメラを向けた時点で、それはすでに

    自然なお産と写真・映像 <「真」が写っているものなのか>6/29追記あり - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2012/07/01
    「ドキュメンタリー」映像の持つ説得力と力。見る側も、見せる側も、もう少し慎重になるべきなんじゃないかと思うこと多々。
  • 助産師教育ニュースレター 1  助産師を教育する人たちのニュースレター - ふぃっしゅ in the water

    doramaoさんのとらねこ日誌のhttp://d.hatena.ne.jp/doramao/20120225/1330156466/と英国独立助産師事情と助産師教育に心配すること - とラねこ日誌で「助産師教育ニュースレター」が話題になっていました。 「幻の」No.57の全文をdoramaoさんが送ってくださったので目を通しましたが、帝王切開後の経膣分娩を自宅で介助した英国の独立助産師の話以外は特に問題になりそうな話題はなかったので、うさぎ林檎さんがコメント欄で書かれているように助産所ガイドラインとの兼ね合いで削除された可能性が高いのかと考えていました。 この「助産師教育ニュースレター」は、助産院・自宅分娩について検索をしていると時々引っかかってくるので、以前も多少目を通したことがありました。 今回ちょうどよい機会なので助産師教育を担っている方々の意見を読んでみようと、No.52から最新

    助産師教育ニュースレター 1  助産師を教育する人たちのニュースレター - ふぃっしゅ in the water
    usausa1975
    usausa1975 2012/03/19
    開業助産院はほとんど宗教の世界だなー。そしてこういう人たちが次世代を養成していると思うと恐ろしい。
  • 1