「芸術作品をどう鑑賞したらいいのかわからない」「作者が何を言いたいのかわからない」。美術館で作品に対峙しても、そんな不安にかられてすぐに近くの解説文を読み始めてしまうという人は少なくないかもしれない。その反面、SNS映えする展覧会や芸術祭には多くの人が詰めかけ、それっぽい解説や気の利いたコメントが、インターネット上をせわしなく流れていく。 美術作家の池田剛介さんは、2019年に京都市左京区・浄土寺エリアで、制作・発表・批評が交差する複合的なアートスペース「浄土複合」を開いた。同スペースで池田さんが主宰する「浄土複合ライティング・スクール」では、千葉雅也や細馬宏通、百瀬文など第一線で活躍する研究者やアーティスト、批評家、作家をゲスト講師に迎え、年間を通じて展覧会や公演のレビュー、作家・作品論の執筆などに取り組む。 受講生に向けたメッセージによると、そこで志向されるのは「すぐさま消費される情報
はじめに――都市論とは何か? 都市論とは何か?――それが扱う中身とともに、そこに含まれるニュアンスを初学者に簡潔に伝えるのは、やや難しいところです。が、とりあえず、互いに近い分野である「都市社会学」と「都市論」の違いから考えてみましょう。都市社会学は、社会学のひとつの分野で、都市をフィールドとして生じる社会現象を実証的に扱う学問分野です。具体的なトピックとしては、コミュニティ、ネットワーク、階層、エスニシティ、等々があげられます。それに対して都市論は、社会学のみならず、地理学、都市計画、建築、都市史、現代思想、メディア論、美学、文学、等々、さまざまな分野の知見を参照しながら、都市という領域それ自体の現在的特性を批評的に扱う言説分野です。 ……と、いきなり辞書的に抽象的な話をしてもわかりにくいですよね。もう少し具体的な話をしましょう。たとえば「中華料理」というお題について、都市社会学と都市論
山口晃が説く、「サンサシオン」の重要性。「いつも照り輝くのはサンサシオン」東京・銀座のアーティゾン美術館で開催中の「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」。山口晃がセザンヌや雪舟などの作品、そして完全新作のインスタレーションを通して「サンサシオン」(感覚)の重要性を問いかけるこの展覧会について、キュレーターで東北芸術工科大学教員の小金沢智が迫る。 聞き手=小金沢智 構成=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 山口晃 撮影=稲葉真 サンサシオンから敷衍(ふえん)すること ──本展では山口さんの作品とともに、セザンヌや雪舟、黒田清輝、浅井忠らの作品が展示されています。なかでもセザンヌは重要な存在だと思いますが、展覧会タイトルにある「サンサシオン」はセザンヌも使っていた言葉であり、フランス語です。日本語では「感覚」ですが、本展では、展覧会名
広告宣伝と映画の価値はまた違うもので、映画としてはよく出来ているのだろう、という思いもあり、またグレタ・ガーウィグ監督の『ストーリーオブマイライフ 私の若草物語』も良かった記憶があるので、初日が休日ということもあり早朝の初回に見てきました。 SNSでは、肯定派が「素晴らしいフェミニズム映画、これが大ヒットして世界は変わる!」否定派が「露骨なフェミニズムでうんざり」といった両極端なのですが、正直な感想としては 「大衆向けの中道路線、部分によってはフェミニズム批判ですらある映画」 という印象でした。 これは筆者だけの印象ではなく、フェミニストのコアな部分からもよく出ている声です。以下に東京大学大学院教育学研究科教授の隠岐さや香教授のツイートを引用します。 <引用>留学時代の友人からは「無知な人にフェミニズムの基礎を説明するレベルの内容」、個人的に好きな配信者(仏)は「ネオリベ自己実現の肯定に留
生成AIは強力な表現のツールである。 上手く使えば自分に足りない物を補える。 テクノロジーでアートの歴史を作れ。 表現の自由とプラットフォーム ちょっと前、埼玉県公園緑地協会が水着撮影会開催の許可条件を発表した。 ただ法令や条例を遵守させるにとどまらず、記事のタイトルにもある通りNGポーズをイラスト付きで示している。Twitterでは主にNGポーズがネタとして消費されていたが*1、一方で「表現の自由」の問題として論争も起きていた。まあ、いつものことだ。 許可条件を見ると*2、まず法令・条例に抵触する行為を禁止している。加えて18歳未満のモデルに対してはさらに多くの法令・条例が適用されることを述べている。そして「撮影場所等について」では、周辺の遮蔽に努めろと、ゾーニングすることも求めている。以上を踏まえた上で、服飾やポーズに対しても制限を課しているわけだ。 これに対してNGポーズ肯定派は「管
本年度『アカデミー賞』最多11部門にノミネートされている映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が日本公開を迎えた。人気スタジオA24が贈る本作は、アメリカでコインラインドリーを経営する平凡な女性が、突如「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪」と戦う救世主となり、マルチバースを行き来しながら最大の敵「ジョブ・トゥパキ」と対峙するという奇想天外なストーリーだ。 日々の生活や家族の問題に追われる主人公エヴリンは、別次元のバースでは映画スターやシェフなどとして、まったく異なる人生を歩む。彼女は別次元の自分と「バース・ジャンプ」でリンクしながら戦いに身を投じていく。そのアイデアの巧みさやコミカルなアクションエンターテイメントとしての魅力だけでなく、エヴリンのキャラクターに色濃く滲むアジア系移民としての経験や、エヴリンと女性の恋人を持つ娘ジョイの関係が本作の物語をさらに複層的なものにし
ウエストランドのネタは芸人のリアルな声なのか 賞レースのシーズンにあわせたような、お笑い関連書の出版ラッシュ。その背景には、近年のお笑いはファンをふくめて「語るもの」「知るもの」という傾向が強まっている部分があるのではないか。 『M-1 アナザーストーリー』(テレビ朝日系)が象徴であるように、芸人たちの裏側にある「熱」「想い」を観る者も共有したいと思えるコンテンツに、お笑いがなったと言える。その点では『Number』による「お笑いをスポーツとしてとらえる」という着眼点は絶妙だったのかもしれない。 一見、真反対で遠くの位置にあると思えた「笑い」と「感動/涙」が、実は近距離で背中合わせに存在していることを多くの人が知った。また、そのおもしろさに気づいたのだ。 それは、お笑いがいかにドラマチックであるかにフォーカスをあてた『M-1』の功績である。いや、もしかすると純粋に「笑えるもの」だったものに
2022年11月29日、宮台真司氏が暴漢に襲われた。彼が教授を務める東京都立大学のキャンパス内で何者かに背後から頭を殴られ、刃物で首や背中や腕などを斬られて、救急搬送された。犯人の男は逃走し、警察が行方を追っている。そのニュースは大きな衝撃をもたらした。 宮台氏は、30年来の私の友人である。愕然とした。身が震え、その夜は眠れなかった。 宮台氏は重傷だが、命は助かった。数時間もの大手術を受け、何十針も縫ったという。心配でたまらない。どんな痛い、辛い、恐ろしい思いをしているだろう……。 12月3日、お昼のこと。突如、宮台さんからメールが届いた。えっ! 目を疑った。襲われてまだ4日だ。全治1か月の重傷で入院しているはずなのに……。 実は、今回の事件の前に宮台さんにメールを送っていた。2023年2月に私の新著が出る。寺山修司が今も生きていて、80歳代半ばで、アイドルグループをプロデュースする。その
作家のヘレン・プラックローズと数学者のジェームズ・リンゼイの共著である『「社会正義」はいつも正しい』が早川書房から刊行された。批評家のベンジャミン・クリッツァー氏が、同書の読みどころを解説する。 「特権」をめぐる議論 近頃では、日本でも「特権」に関する議論が盛んになされるようになった。もともとはアメリカにおける「白人特権」の理論に由来しているが、日本では「男性特権」について論じられることが多い。女性差別に関する従来の議論では、性犯罪や賃金格差など、女性の側が被る具体的な被害が問題視されていた。 それに対して、男性特権の理論では「性犯罪に遭う心配をせずに夜道を歩けること」や「自分には正当な賃金が支払われるのが当たり前だと思えること」など、男性側の経験や意識が問題視される。つまり、女性差別が存在している社会では、女性たちが被っている差別を受けずに済むという点で男性たちには「特権」がある、とされ
卯城竜太『活動芸術論』(イースト・プレス) 森美術館での大規模回顧展「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」(2022年2月18日~ 5月29日)はまだまだ記憶に新しいが、それから二か月ほどして、Chim↑Pom from Smappa!Group(以下Chim↑Pom )元リーダーの卯城竜太氏が600ページ近い渾身の大作『活動芸術論』(イースト・プレス)を上梓した。赤瀬川原平やネオダダ的な「アクション」のアップデートを目論んだ本書では、パフォーマンス・アートの歴史を巧みに整理しつつ、「迷惑系YouTuberやQアノンの議事堂襲撃はアートか?」、「だとしたら彼らと現代美術を分かつものは何か?」など、刺激的な問いが数多くなされている。他にも三島由紀夫の割腹自殺はアートか否か、SNS相互監視時代における「個と公」の関係の問い直し、大正時代の前衛アーティストの可能性、戦後民主主義の問題、白土三
熱戦が続いているサッカーの『FIFA ワールドカップ カタール2022』。11月23日には日本代表が優勝候補のドイツ代表を相手に逆転で勝利を飾り、ファンを興奮させた。 選手たちのプレーや結果はもちろんのこと、今回の『ワールドカップ』でもうひとつの見どころになっているのが、試合中継の解説者陣である。全試合を放送しているABEMAでは、現役選手、元選手が解説者を担当。それぞれが自身のキャラクターを押し出した「喋り」を披露している。 本田圭佑、後輩選手への敬意があらわれていた「さん」付け 特にテレビ番組的に大正解だったと言えるのが、日本代表対ドイツ代表の解説を担当した、元日本代表選手の本田圭佑だろう。 なぜ大正解だったのか。それは、的を射たうえで、リアクションが大きな解説だった部分だ。本田圭佑の解説は視聴者的にもテンションをあげやすい。SNSでついつい投稿したくなるようなコメントも多い。そのため
「役に立つ」知識を手っ取り早く身につけ、他者を出し抜き、ビジネスパーソンとしての市場価値を上げたい。そんな欲求を抱えた人たちによって、ビジネス系インフルエンサーによるYouTubeやビジネス書は近年、熱狂的な支持を集めている。 一般企業に勤めながらライターとして活動するレジー氏は、その現象を「ファスト教養」と名づけ、その動向を注視してきた。「ファスト教養」が生まれた背景と日本社会の現状を分析し、それらに代表される新自由主義的な言説にどのように向き合うべきかを論じたのが、『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)だ。 本記事では、映画・音楽ジャーナリストの宇野維正氏とレジー氏が対談。両氏は共著『日本代表とMr.Children』(ソルメディア、2018年)で日本サッカーとMr.Childrenの関係性を詳らかにしながら平成のポップカルチャーを批評したが、『ファスト教養』と20
Chim↑Pom 《ゴールド・エクスペリエンス》 2012/2022年 展示風景:「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」森美術館(東京)2022年 撮影:森田兼次 画像提供:森美術館 敵の終わりと未来への道 Chim↑Pomという存在は、人々の盲点をつくようなアイロニカルでユーモラス(特異な)な方法で人々を驚かせ、世間を騒がし、時に大人たちの怒りを買ってきた。都会のネズミを国民的ゲームキャラクターのようにペイントした「Super Rat」や広島の上空に描いた「ピカッ」という文字、渋谷駅の岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」への原発事故の描き足し。日本の世界的ゲームIP、原爆という戦争のトラウマ、岡本太郎という日本美術界の巨頭、それらに対するパロディはハレーションを生み出し、社会のタブーを踏み荒らす無法者としてみられてきた。 だが、無法者であるが故に常識にとらわれない強さから、社会の困難や時
ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)が亡くなった。2010年代中盤から急速に頭角を現し、立ち上げた「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー™(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH™)」のクリエイティブディレクター、そして「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のメンズ アーティスティックディレクターとして栄華を極める全盛期の最中、41歳でこの世を去った。各国で数々のヴァージルについての評が書かれてきたが、改めて2022年の年初に、2010年代中盤から急速に頭角を現した彼と、彼を取り巻いた現象から今後のヒントになるべきものを考え、改めて評価してみたいと思う。(文:小石祐介) ヴァージル・アブローについて語られるとき、まず彼が「アフリカ系」デザイナーであること、そして第二に「ストリート」との関係性が挙げられる。 最初に「アフリカ系」というキーワードにつ
「ネタ化」が蔓延る記憶喪失社会の音楽言説 工藤:今は紙雑誌や書籍だけでなくウェブメディアやSNSにも音楽の言説は溢れています。インターネット用語で「ネタ」ってあるじゃないですか。パフォーマティヴにその場を盛り上げるというような意味の。SNSなんかでは毎日のように新しい「ネタ」がバズっていますよね。けれどそうした「ネタ」で終わらないための方途を探らなければいけないとつねづね思っているわけです。 細田:SNSは本当に玉石混交で、中には音盤のレビューやライヴのレポートを精力的に投稿し続けているアカウントもあって、下手な批評家よりも紹介者としてよほど優れている場合もあるし、鋭い着眼点にハッとさせられることもある。これぞ誰もが批評家になれる時代にメディア環境の変化に伴ってアップデートされた音楽批評ということになるのかもしれませんが、一方では構造的な問題点もあります。というのも、ウェブメディアやSNS
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く