豊臣秀吉が羽柴を名乗る直前、木下姓で出した“最後”の書状を兵庫県豊岡市教育委員会などが京都市内の民家で見つけ10日、発表した。羽柴姓になったのは、これまで1572(元亀3)年12月25日~73年7月20日とされていたが、今回の書状には同年5月24日と記され、改姓時期が2カ月間に絞られた。 今年4月から始まった兵庫県立歴史博物館(姫路市)、東大史料編纂所、豊岡市などの共同調査で発見。書状の所有者は豊岡市出石町で庄屋を務めた旧家で、現在は京都市に住む。所有していた経緯などは分からないという。 岐阜県の地侍に土地の収入調査・報告を指示したことがうかがえる内容で、「木下藤吉郎」「元亀四年」「五月廿四日」の文字と花押が確認された。文書は代筆とみられる。 当時、秀吉は滋賀県北部に滞在、織田信長の命で浅井氏を攻めていた。浅井氏を73年8月末に攻め滅ぼした後に領地とした地域で、長浜城を築いて初めて城持ちと