公民連携の目的がコスト削減だけでいいのか――。CET(セントラル・イースト・トーキョー)、アーツ千代田3331、北九州家守構想、オガールプロジェクトなど、清水氏が携わってきたプロジェクトに共通する特徴は、不動産やエリアに新たな光を当てて、地域の価値を高めている点にある。公民連携事業における、行政の役割、民間の役割について、清水氏の考えを聞いた。 ――清水さんが運営に携わっている「ちよだアートスクエア(アーツ千代田3331)」(東京都千代田区)は、廃校を利用した文化拠点として有名です。指定管理だと思っている人もいるかもしれませんが、実は「民設民営」で運営しているのが大きな特徴の一つです。 はい、千代田区立練成中学校の跡地を我々自身で運営しています(事業者・コマンドA、清水氏が代表)。地代・家賃を千代田区に支払い、運営団体が水道光熱費などを負担し、修繕費の大半を負担し、なおかつ正社員とパートさ
◇米子1970年開店 負債17億6500万円 米子市の中心市街地で大型ショッピングセンター「やよいデパート」を運営してきた「協同組合やよいデパート」(本部・米子市角盤町、内村正和代表理事)が、21日、地裁米子支部から破産手続きの開始決定を受けた。20日付けで同手続きの申し立てをし、閉店。代理人弁護士によると負債総額は約17億6500万円という。 協同組合は、国道9号の拡幅で立ち退いた市内の各種小売店有志が1969年に結成。70年9月に「やよいデパート」を開店し、隣接する「米子高島屋」とともに“商都・米子”を代表する大型店として親しまれてきた。 78年には年商96億円を上げていたが、郊外型大型店の出現による競争激化などでその後は低迷し、2013年に組合の中核だった地階の食料品店が撤退。代替テナントが入居し、他階の売り場を縮小して営業を続けてきたが、空きフロアのテナント誘致ができず、資金繰りに
鳥取県米子市で「やよいデパート」を運営し、かつて松江市にも出店していた「協同組合やよいデパート」(米子市)は20日、鳥取地裁米子支部に破産を申請し、21日、同支部から破産手続きの開始決定を受けた。 負債総額は17億6551万円。同デパートは20日で閉店した。衣料・書籍販売会社「やよい」(同)と「協同組合松江やよいデパート」(同)など関連する3社・組合も21日、同様の決定を受けた。 信用調査会社・東京商工リサーチ松江支店などによると、協同組合やよいデパートは1969年、米子市の小売店22店が設立。76年には松江市で「古志原ショッピングセンター」を開店し、ピーク時の昭和50年代には店舗全体で260億円を売り上げた。 その後、大型ショッピングセンターの進出による競争激化などで売り上げが減り、古志原など2店を譲渡。唯一残った米子市のやよいデパートは2013年7月、中核店・丸合の撤退で一時閉店し、同
銅鑼湾書店関係者らの「即時釈放」などを求め、香港島にある中国政府の出先機関に向けてデモ行進する民主派メンバー=香港で1月31日、鈴木玲子撮影 【香港・鈴木玲子】中国共産党に批判的な書籍を扱っていた香港の「銅鑼湾書店」関係者5人が失踪した事件は、香港の「高度な自治」を認めた「1国2制度」を揺さぶる事態に発展している。これまでに2人が中国本土にいることが判明し、言論・出版界に対する中国当局の圧力との見方が強まった。香港の民主派は「政治的理由による拉致だ」と中国当局を非難している。 「『1国2制度』を守れ」。民主派メンバーは31日、香港島にある中国政府の出先機関前で抗議デモを行い、5人の早期釈放を求めた。主催した民主派団体の何俊仁氏は「多くの香港人が恐怖を感じている」と訴えた。
実験的に修復された漆器を手に取り、確認する熊谷賢・陸前高田市立博物館副主幹(右)と神庭信幸・東京国立博物館特任研究員=東京都台東区の東京国立博物館で、後藤由耶撮影 <1面からつづく> ◆陸前高田 がれきから46万点回収 全国から支援の輪 2011年3月11日、太平洋に面した岩手県陸前高田市の市街地は高さ15メートルを超す巨大津波に襲われた。市立博物館や市立図書館など四つの文化施設は収蔵品もろとも水没し、職員27人のうち19人が犠牲となった。現役の学芸員で生き残ったのは、市立博物館副主幹の熊谷賢(くまがいまさる)さん(49)だけだった。発生時、海岸近くの「海と貝のミュージアム」にいたが、約1・5キロ離れた3階建て市役所の屋上に避難し、一命を取り留めた。 19日後の30日から、熊谷さんと博物館勤務経験者らは海水とヘドロにまみれた収蔵品を回収し、市街地から山間部へ16キロ入った旧生出(おいで)小
修復作業を終えたオルガンの音色を楽しもうと大勢の市民がコンサートに足を運んだ=岩手県陸前高田市で、佐々木順一撮影 懐かしく、伸びやかな音が客席を包み込む。奇跡のオルガンが奏でる「明日に架ける橋」「アメイジング・グレイス」−−。とうとうその音が帰ってきた。 年代物の足踏みオルガンはかつて、岩手県陸前高田市の市立博物館に収蔵されていたが、2011年3月11日、他の収蔵品とともに真っ黒な津波にのみ込まれた。がれきの中から見つかった時、音色は失われ、博物館関係者は「もう駄目だろう」とあきらめた。 1931年に同市初の幼稚園を設立した故・村上斐(あや)さんが愛用し、戦前から戦後にかけて幼児教育に使われたとしか分かっていなかったオルガン。ところが震災8カ月後に転機が訪れる。日本リードオルガン協会が調べたところ、日本に2台しか残っていないとされる「海保オルガン」製と判明した。貴重な文化財として、元の部品
自分の情報は誰にどう使われるのか−−。個人情報の扱いには、そういう「気持ち悪さ」が付きまとう。マイナンバー制度に対する不安の大きな部分も、突き詰めればそこに行き着く。あまり知られていないが、行政や企業は保有している個人情報を本人に開示する義務がある。自分の情報の使われ方をどこまで知ることができるか、一市民として試してみた。【日下部聡】 この記事は有料記事です。 残り2688文字(全文2857文字) 日下部聡 1993年入社。浦和(現さいたま)支局、サンデー毎日編集部、東京社会部などを経て2018年4月から統合デジタル取材センター副部長。「『憲法解釈変更の経緯 公文書に残さず』など内閣法制局をめぐる一連の報道」で16年、第20回新聞労連ジャーナリズム大賞と日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞受賞。16~17年、英国オックスフォード大ロイタージャーナリズム研究所客員研究員。著書に「武器としての
北海道帯広市が主催する「ばんえい競馬」のレース関係者が馬券を購入したとして、道警帯広署は1日、同競馬の元騎手の男(43)と元 厩務 ( きゅうむ ) 員ら計13人を競馬法違反の疑いで釧路地検帯広支部に書類送検した。 発表によると、元騎手ら13人は2015年4~12月、インターネットの馬券購入サイトを通じ、ばんえい競馬や他の地方競馬の馬券を購入した疑い。 同署の調べに対し、全員が容疑を認め、うち1人は「馬の調子がわかるので、調子の良い馬の馬券を購入すればもうかると思った」などと供述しているという。 馬券は本人や家族名義で馬券購入サイトに別々に登録して購入しており、1人当たりの購入回数は4回(計数百円)から約7000回(計約400万円)だった。中には50万円の利益が出ている関係者もいたという。 競馬法では八百長などの不正防止のため、地方競馬のレース関係者が地方競馬の馬券を購入することを禁じてい
東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が昨年9月に解除された福島県楢葉町は、2017年4月に町内で学校を再開する。教育・生活環境が整うのには時間が必要と判断。解除から1年7カ月後に設定したが、なお課題は多い。親は子どもの心と向き合いながら、避難先か古里の学校を選ぶことになる。 福島県いわき市にある楢葉町立小中学校の仮設校舎。午後3時半ごろ、市内などを巡るスクールバス14台に小学生が次々と乗り込む。 町民の小学生326人のうち78人、中学生212人のうち64人が通う。保護者の中には「町内での学校再開は早い。分校の形で残してほしい」との声もあったが、町は17年3月の廃止を決めた。 帰町するのか、いわきから楢葉に通うのか、いわきの学校に転入するのか-。仮設校舎の保護者は、重い決断を迫られている。 いわきに避難し、仮設校舎に小学3年の次男が通う渡辺岳志さん(39)は「迷っている」と打ち明け
プレハブの仮設小学校に登校する飯舘村の児童たち。転校するか否かの決断を迫られている=1月29日、福島県川俣町 原発事故は、地域再生の鍵を握る教育現場にも影を落とす。学校の再開時期をめぐる行政と保護者の溝、児童生徒が激減する中での授業、薄らぐ古里の記憶-。事故から間もなく5年。避難区域の小中学校は重い課題に直面している。(福島第1原発事故取材班) ◎震災5年へ(上)揺れる再開 仮の学びやから故郷の校舎へ。喜ばしいはずの「学校の帰還」を前に、保護者と生徒に戸惑いが広がっている。 東京電力福島第1原発事故による全村避難が続く福島県飯舘村。年明け間もない1月7日、4人の保護者が福島市に置かれた村役場を訪れた。小中学校のPTA幹部たちだった。 <先送りを要望> 村は昨年10月、2017年4月に村内での教育を再開させる方針を示した。4人は「時期尚早」だとして、自治体幹部に再考を促す要望書を提出。
<自衛隊監視訴訟>個人情報収集の違法性焦点 自衛隊情報保全隊にイラク派遣反対の市民運動を監視され、人権を侵害されたとして、東北6県の住民94人が国に監視の差し止めと計9400万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が2日、仙台高裁で言い渡される。仙台地裁は「個人情報収集は人格権を侵害し違法だ」と認定しており、高裁が認定を維持するかが焦点となる。 主な争点は表の通り。情報保全隊が作成したと住民側が主張する内部文書には、市民運動の概要や高校生を含む集会参加者の個人情報が記載されており、情報収集が違法かどうかが問われた。 住民側は「国家による監視は国民の自由な表現活動への弾圧だ」とし、現在も続く監視の即時差し止めを主張。国側は「反対活動は隊員に心理的混乱を生じさせる危険があり、情報収集は正当」と反論、情報収集の必要性を訴えた。 地裁は2012年3月の判決で、原告のうち住民5人に限り、「国は5
帰還困難区域にある津島小校舎。空間放射線量は玄関付近で毎時2マイクロシーベルトを超える=2015年11月、福島県浪江町 東京電力福島第1原発事故の影響で避難し、授業を再開した小中48校のうち、30校が今も避難先で授業を続ける。15校はプレハブ校舎、15校が廃校となった学校や他校の校舎を借りている。プールや特別教室などがない学習環境上の制約も多く、プレハブ校舎は傷みも目立つ。 三春町で再開した富岡町の幼稚園と小中4校は、工場の管理棟だった建物を改修して校舎にしている。スペースの関係で、理科や家庭科などの特別教室を設置できないため、多目的室を使い分ける。教材を収納しきれず、科目が変わるたびに廊下の棚から運んで使っている。 昨年6月、敷地内に仮設の体育館が完成した。中学校の部活動を再開できたが、スクールバスの都合で夏でも午後5時半には切り上げる。プールはなく、中学生は水泳の実技を行っていない
東京電力福島第1原発事故で避難区域などが設定された福島県12市町村の小学生は2209人、中学生は1495人の計3704人で、原発事故前(2010年度)の1万2364人と比べ7割減少した。避難先での授業が続く学校では児童生徒の減少に歯止めがかからず、地元に戻った学校でも回復の足取りは鈍い。 原発事故で避難を余儀なくされた小学校35校、中学校19校の10年度、15年度の児童生徒数と増減率は表の通り。全町避難が続く原発立地町を中心に減少率が9割を超えている。 仮役場がある二本松市で、小中9校のうち3校を再開させた浪江町の児童生徒数は10年度の2.0%にまで減少。三春町で授業を行っている富岡町は2.6%へと大幅に減った。 大熊町は11年4月、いち早く会津若松市で授業を再開。11年度は事故前のほぼ半数が通っていたが、15年度には9.8%に減った。「会津若松市の学校への転校のほか、保護者の仕事の
大人の読書推奨、県が取り組み強化 企業内文庫、学校図書館開放… ※写真クリックで拡大表示します 秋田県は、忙しい大人にも本に親しんでもらおうと、2016年度から会社員や子育て世代に読書を勧める活動を支援する。企業内文庫の設置促進や学校図書館の開放などに取り組み、1日30分以上読書する大人の割合を70%に高めたい考えだ。 県は3月に策定する第2次県読書活動推進基本計画(16〜20年度)に各種施策を盛り込む。このうち県内企業の社内文庫づくりは、団体向けの貸し出しを行っている公共図書館と連携して進める方針。社員が読みたいジャンルの本を取りまとめ、図書館が数十冊単位で長期間貸し出す。 また、小中学生の保護者が学校を訪れた際に図書館を利用できる仕組みづくりも進める。 読書を勧める背景には、働き盛りの世代の本離れがある。昨年6〜7月に行った県民意識調査(有効回答2048人)で、30分以上読書する
2016年3月12日、せんだいメディアテークを会場に、3がつ11にちをわすれないためにセンター主催の「草アーカイブ会議 Grassroots Archive Meeting」が開催されるとのことです。 風景、物語、暮らし、災害、戦争など、地域での出来事について記録し伝える取り組みが各地で行われているが、そのようなアーカイブ活動のなかで、記録・収集・整理・利活用の各場面で、専門家だけでなく、その地域に住むさまざまな立場の方々が一緒に関わりながら、記録物を育てているような活動を紹介し、その方法や課題を共有するとのことです。 また、東日本大震災からこれまでに試行錯誤してきた活動を振り返りつつ、これからさらに時間が経過していく中で、誰が誰のためのアーカイブをどのように育てていくのかを来場者とともに考えるとのことです。 参加無料で、申込も不要とのことです。 話題提供は、松本篤氏(NPO法人 記録と表
三鷹・武蔵野地域で、ホームレスや生活に困っている人を支援しているびよんどネットが、2016年3月5日、三鷹市公会堂において、学習会「~地域社会の問題として考える~ホームレスと図書館」を開催するとのことです。 市民の憩いの場、情報と知識の生涯学習施設、誰にでも開かれた公共空間である公共図書館が、雨風を避け心身を休ませる家を持たない人にとって、新聞や本を読む場所以上の意味をもってしまう現実のなかで、どんなふうにその場を共有したら、誰もが楽に息することができ、つながっていける地域を創れるかを考えるとのことです。 講演は、山口真也氏(沖縄国際大学総合文化学部教授・図書館情報学)で、参加費は300円とのことです。 3月5日学習会「ホームレスと図書館」を開催します【チラシ掲載】(びよんどblog,2016/1/15) http://beyond.asablo.jp/blog/2016/01/15/79
自衛官募集、苦戦続く 民間の求人好調と安保法が影響? 鹿児島県内 (02/01 13:00) 規制委、安全性どう判断 九電の川内原発免震棟新設計画撤回 (02/01 06:30) 元大関・把瑠都さんと吹上後援会が交流 「日本の父母」が縁 (01/31 23:30) ツルの北帰行始まる 出水平野 (01/31 22:00) 黒潮流域の交流たどる 指宿・COCCOはしむれで「海はすごい!…」展 (01/31 20:05) 鹿児島いのちの電話 40代が最多27%、総数1万6961件 (01/31 13:00) 融雪剤でさびの恐れ、洗車に続々 鹿児島県内 (01/31 06:30) 鹿児島・天文館に外国人バイト増 温暖な気候、安い生活費決め手 (01/30 23:50) バレンタイン定番化へ 生花店、茶専門店が奮闘 鹿児島県内 (01/30 22:20) 除雪10時間 さつま町のJ1仙台キャンプ支
「『福島の問題は日本そのものの問題。県民は解決のために立ち上がるべきだ』と期待を押し付けるのは、もうやめよう」。精神科医の堀有伸(43)は反省を込めて語る。 うつ病患者の診療などを通じ、欧米と異なる日本社会の特質に関心を持つようになった。個人が集団の中に埋没して「お上に従い」、それぞれが考えることをしない傾向が強いという点などだ。原発への姿勢は、まさにそれだった。 「日本人の弱点を突く出来事だ」。国民のほとんどが信じ切っていた「安全神話」を崩壊させた東京電力福島第1原発事故をそう捉え、2012(平成24)年4月、東京の大学病院を辞めて南相馬市の病院で働き始めた。「『原子力ムラを打倒したい』と無意識に考えていたかもしれない」 被災地ではしばしば戸惑いを感じた。NPOを組織して災害精神医学の勉強会などに取り組んだが、住民の関心は低調だった。逆に人気を集めたのはラジオ体操。高い理念の活動ほどうま
老人ホームのスター“二枚カンばんショー”入所者より年長に・・・解散も!? 2016年1月31日18時0分 スポーツ報知 老人ホームで熱唱するばんどうくにやす(左)とキラー・カン 老人ホームで慰問コンサートを続けている、歌手のばんどうくにやす(67)と元プロレスラーで歌手のキラー・カン(レスラー時代はカーン、68)によるコンビ“二枚カンばんショー”が31日、東京・狛江市のホームステーションらいふ成城西でコンサートを開いた。 2002年から結成14年のコンビで、ともに新宿・歌舞伎町でカラオケスナックを経営し、がんを克服した経験がある者同士。結成のきっかけは、ばんどうの母・ミツさん(93)の老人ホームを慰問したこと。その後、関東を中心に震災後の青森など、月2~3回のペースでボランティアを続けてきた。「お弁当も出なくて、コンビニに買いに行ったこともあったな」とカンは笑う。 この日は「おまえのおか
下記の資料に記載があります。 〇『ポンポン蒸気船をつくる 』白銀一則/著 民衆社 1985年 〇『実験・実感科学のしくみ 』ロビン・ケロッド/著 丸善 2003年 〇『動く!遊べる!小学生のおもしろ工作 』滝川洋二/監修 成美堂出版 2006年 〇『作ろう遊ぼう工作王 2』かざまりんぺい/著 旬報社 2005年 〇『超図解工作大図鑑』 かざまりんぺい/著 主婦の友社 2009年 1、所蔵資料の内容確認 〇『ポンポン蒸気船をつくる』 白銀一則/著 民衆社 1985年 全編に詳しい作り方の記載あり。 〇『実験・実感科学のしくみ』 ロビン・ケロッド/著 丸善 2003年 p89「-やってみよう-蒸気船をつくる」に簡単な仕組みの説明と作り方の記載あり。 〇『動く!遊べる!小学生のおもしろ工作』 滝川洋二/監修 成美堂出版 2006年 p24~p27「ポンポン蒸気船」に詳しい作り方の記載あり。 2、
所沢航空記念公園に銅像があるフォールについて、生没年、出身地、軍人、パイロットとしての経歴などを知りたい。 J・P・フォール大佐(1869~1924)は、大正8年1月にフランス航空教官団として来日しました。「フランス陸軍の将校であると共に、当時第1級の操縦士として知られていた。」、「ソーミュール騎兵学校出身のフォール大佐は、フランス陸軍野砲連隊司令官を兼務していた優秀なフランス空軍士官だった。生涯結婚せず、離日8年後にパリで死去するまで独身を貫いた生粋の陸軍軍人で、第1次世界大戦では自身優秀なパイロットとして評判を得ていた。」などの記述が以下の資料にあります。 〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2006年 〇『雄飛』 所沢航空資料調査収集する会/編 所沢航空資料調査収集する会 2005年 1.所蔵資料の内容確認 〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編
東京電力福島第一原発の南15キロにある福島県楢葉(ならは)町。原発事故で国から避難指示が出て、人がいなくなった。5年近くたったいまでは廃炉や除染作業の拠点になり、作業員向けのプレハブ宿舎が立ち並ぶ。政府は昨年9月、放射線量が下がり帰還できる状況になったとして、全域避難した7町村で初めて避難指示を解除した。 小野勇誠さん(68)は妻洋子さん(68)と福島県いわき市の仮設住宅から自宅に戻り、建具の製造を再開した。荒れ果てた町内の住宅を修繕する人から、注文が入ってくる。「みなに楢葉に戻ってきてほしい。そのためにという使命感で働いている」 だが、不安は尽きない。持病で通っていた隣町の医院は再開されていない。夜、周囲で明かりがともるのは自分の家だけ。洋子さんは「外で足音がすると怖い」という。 政府は楢葉町を帰還政策のモデルにしようと、仮設商店街や電気、水道などインフラの復旧をいち早く進めた。しかし、
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