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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (34)

  • GDP概念の使い方、まとめ - モジモジ君の日記。みたいな。

    ※ ここは、元々「GDPの使い方」のあったURLですが、山形氏の記事からのリンクがここに張られているので、最初の記事を一つずらして、関連記事へのまとめさせていただきます。 「GDP概念の使い方、その1」   :一番最初の記事。 「GDPというものの考え方について」   :山形氏の批判記事。 「GDP概念の使い方、その2」   :山形氏への応答記事。 「GDPというものの考え方について」に、「追記」が追加。 「GDP概念の使い方、終了」   :「追記」を受けて。

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  • トリアージについて二つ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いろんなことが言い尽くされたように思うので黙ってましたけど、わざわざ尋ねてくれた人があったので、簡単に。発端の福耳さんもいろいろ考え直されているようだし、福耳さんを批判しなくちゃ、ということではないですが。基的スタンスとして大事なのは、この記事、かな。>「救ったこととか見殺しにしたこととかあるのかな」@こどものおいしゃさん日記 あと、二点ほど、付け加える。 トリアージって、別に問題の解決でもなんでもなくて、てゆーか、そもそも問題の解決ができないからトリアージが出てくるわけで。だから、トリアージが必要な場面で、トリアージを実行するだけの人たちがPTSDになったりする。人は、問題の解決が可能なのに助けられなかったことが辛いのではなく(そういう辛さもあるときにはあるだろうけど)、問題の解決が可能であろうと不可能であろうとただ助けられないというときに、そのことを直接に、辛く思う。だから、問題の解

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  • 死刑は社会正義ではありえない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    死刑についていくつかの記事を書いてきたけれども、「社会正義の臨界――光市母子殺害事件高裁判決」など参照しつつ。 sk-44氏の死刑存置論(1) 快楽殺人者の反省不可能性 まず、sk-44氏の記事の、前半について。 私が極刑としての死刑存置論者であるのは、ある個人的な問題意識とかかわる。他人と共有しうるものであるかわからない。以下に端的に記す。お断りすると気分のよい話ではない。 所謂快楽殺人者は、被害者の殺害を前提とする性犯罪者は、死刑台に送られて然るべき、あるいは、死刑台に送らないことには仕方がない。そうした認識と見解に私は同意せざるをえない。 「気分のよい話ではない」とあらかじめお断りされているので、この先については引用しない。代わりに、以下の議論に必要な限りにおいて、簡単に要約する。<快楽殺人者において、その人を殺したその場面の記憶は快楽そのものであり、生きている限りその快楽を繰り返し

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    wackunnpapa
    wackunnpapa 2008/05/09
    理解はするし敬服もするけど,同意はできない,というところ.
  • だから死刑には反対する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    光市事件について、遂にと言うべきか、死刑判決が出た。 この事件について、これまで発言したことはないが、もちろん、折に触れて報道に触れる以上、何も考えないではなかった。いくつかのことを整理して述べてみる。 率直に言って、村氏の主張については、首肯することはほとんどなかった。ただ、少なくとも、次のようには思う。第一に、その一つ一つのことの中に仮に批判しうる点があるとすれば、具体的にそれを取り出して、検討した上での指摘しなければならない。第二に、仮にそのように批判ができたとして、どうして彼がこのような主張をしなければならなかったかを、踏まえなければならない。つまり、彼は突然にこのような事件の当事者となり、何の準備もないまま、事件に対する態度表明、その理論的正当化、実際の発言と行動、そうしたことをやらねばならない立場におかれた。ゆえに、仮に彼の主張に批判しうることがあるとしても、まずは、過酷な日

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  • 政府の仕事、民間の仕事 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「橋下知事は被害者を見捨てるつもりなのか?」に関連して。 最初にハッキリ書いておく。政府のやるべき仕事とは、民間にやらせれば赤字になるしかない、しかしそれでも必要なことを、赤字を出しながらやることである。この赤字を支えるのが、税金である。事業としての収支で赤字であるかどうかは関係がない。──ドーン・センターを廃止するかどうかを考えるならば、ドーン・センターが果たしている役割の一つ一つを、ちゃんと評価して、その果たしている役割よりも赤字の方が大きい、という説明をしなければならない。たとえば、DVに悩む女性の相談を受けて、必要な支援を行う一連の仕事に対して、それを「○○円」と評価した上で、それらの合計が、センターの運営赤字よりも小さいから廃止、というような理屈を言わなければならない。重ねて強調しておくが、事業としての収支が赤字であるかどうかは、この文脈ではまったく関係がない。 逆に、仮に政府が

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  • 橋下府政に期待できるか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    なんか、橋下府知事が泣いたそうで。おいおい、と思わないではないが、まぁ、そういう芸風なんでしょう。好きか嫌いかで言えば、嫌い。で、芸風そのものについては、好き嫌いを云々する以上の価値などないので、これ以上は触れない。で、その政策について。 橋下は、ただただバカの一つ覚えで支出削減を要求するだけ。何が具体的に支出できるのか、して大丈夫なのか、そういう具体的な中身を考える気は最初からなく、ただただ「知恵を出して欲しい」と言うだけ。政策でもなんでもない。一方、泣かした側の市町村長の側も、「まず府庁内部で阿修羅のごとく血と汗を流したうえでないと、府民に負担をしいることはできない」(吹田市長)とか、つまりは府庁職員の給与削減とかそういうことか、「売り言葉に買い言葉」以上の反論ではない。 そもそも地方経済の疲弊は、国レベルでの制度がおかしいことに最大の原因がある。かつては一部の特定層に利益誘導する非効

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  • 「観客席」への補注 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    ※ 末尾に追記あり+idトラックバックを忘れていたところを追加。(2008/04/06 09:40) 「観客席なんかありません」の記事について、いくつかの注意と、ブクマコメントへのレスなどを書き留めておく。 こういう話をしていると、いつも「自分のことで手いっぱい」という人のことが指摘され(これは分かる)、そういう人は「観客席」にいるしかないではないか、というような意味のことで反論されたりする(これは分からない)。「自分が生きることで手いっぱい」という人については、そのように手いっぱいであること自体が「抑圧と侵害」であり、であるなら、その人は自分が生き延びるためにいっぱいいっぱいの努力をしている(せざるをえない)ということが、つまりは「観客席にはいられない当事者」ということであり、その人自身が生き延びるということ、それ自体が、大事な戦いだと、僕は考えるのだが。それは、チベットで弾圧される誰か

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    wackunnpapa
    wackunnpapa 2008/04/06
    僕のブクマコメントへの言及,その通りですが,mojimojiさんが本来「投げつけられるべき」輩と同じ論法に陥っているように,前のエントリーが僕には読めます.mojimojiさんがロベスピエールの轍を踏みませんように.
  • inumash氏へ、「観客席なんかありません」 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    inumash氏からのトラックバック。>http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080401/p1 論理の筋道の問題と運動論の問題を摩り替えている、というところは、あちこちで指摘されているとおりだけど、ではなぜこれを摩り替えてはいけないのかというところを付け加えておく。つまり、この種のすり替えは、「運動論として」ダメなのだ、ということ。 だから、例の批判に対して“リソースは有限なのだから”と回答するだけでは不十分なんじゃないかと思うんだよね。単に「左派を叩きたいだけの人」を煙に巻く分にはいいけど、普通に「左派に期待している/いた人」には不誠実に見えるんじゃないかな。 その「左派に期待している/いた人」ってのは、一体誰のことで、今、何をしているんだ?「期待している」というからには、外部にいるんだから、左派じゃないんだよな。かつ、「左派を叩きたいだけの人」、つまり敵でも

    inumash氏へ、「観客席なんかありません」 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2008/04/05
    この理屈は大東亜戦争中に「非国民」を創出し,戦後「社畜」を生み出したのと同じ理屈ですよ.ストイックな殉教者はゴメンだね.
  • 尊厳死を容認する可能性を真面目に考える - モジモジ君のブログ。みたいな。

    個々に異なっている状況を頭に置いている人同士が議論していては、噛み合わない議論になるのも致し方ない。ALSに即して議論すれば、「ALSばかりが問題ではない」というのももっともだ。ただ、それを言うなら、「ALSについては尊厳死は問題にならない。しかし他がある」と言って欲しい、とも思うのだけど。それなら、分からないではない。 ともかく、いくつかの状況を区別しつつも、体系的にまとめてみる。尊厳死を認めなきゃいけない状況はありえるのか、あるとしてどこにあるのか、それを整理する。その上で、日尊厳死協会の議論がどれほどいい加減であるかについても、一言述べる。尊厳死賛成派であっても、日尊厳死協会の言うことに賛成するかは別の話ですよ。 前提の確認 まず、尊厳死とは呼ばずに、死の選択、と呼ぶことにする。人が死を選択することと、そのときに用意されている選択肢が十分なものであるかは別の話。不十分な選択肢し

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    wackunnpapa
    wackunnpapa 2007/04/01
    いろいろと条件は付くだろうけど,僕個人は『春秋左氏伝』宣公15年条に出る魏武子の話に尽きる.正常なときの意思が尊重されるべきである,と.
  • 尊厳死言説を懐疑する(3)──尊厳死を選ぶ人は本当に選べているのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    前回は「経済的理由によって死に追い込まれる人がいる」という話をした。これは比較的分かりやすい。しかし、人工呼吸器や人工透析を導入するのを嫌がる理由は、「医療や介護に金がかかるから(=家族の負担になるから)」というだけではない。実際、そうした医療を使いながらの生活を、「私自身が嫌なのだ」と思うような、そういうところからの拒否感が、また別にある。こうした理由なら尊厳死オッケイと朗らかに言いきれるのか。とてもそうは言えない。そのことを述べる。 「あんな風になるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだ」ということが、実際に病や障害を得ている人から言われる場合、それは聞いてやってもいいんじゃないか、と思ってしまう(滑り落ちてしまう)ような場面がある。 まず第一に確認しておくべきことは、どれほど困難な状況に生きていて、「もう死んだ方がマシだ」と心底から思うような人であったとしても、技術的に命を継続させること

    尊厳死言説を懐疑する(3)──尊厳死を選ぶ人は本当に選べているのか - モジモジ君のブログ。みたいな。
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2007/03/16
    不同意.これは懐疑のための懐疑.懐疑する自分に酔っているだけ.『春秋左氏伝』宣公15年条に載せる魏武子の話を思い起こすべし.
  • 育児の事、「結局カネの話ではないのか」 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    書いて置けよ、わかるように@北沢かえるの働けば自由になる日記 まずごめんなさいって、それからだよ@S嬢はてな 好きで注意してるんじゃないが、でも彼らからみれば私はただの抑圧者@kmizusawaの日記 関連して、「怒らないで下さい」と彼女は言った、「怒らないとわからない」と彼女は言った@Backlash to 1984 も。 今の日では、保育その他の具体的な子育て支援サービスは完全に手薄。経済的負担を中心に何もかもが「第一義的には親の責任」として位置づけられている。障害があろうとなかろうと大変だ。ADHDなどの難しい要素を持つ子なら尚更。そのような中で、親御さんの疲労も当に大変だと思う。kmizusawaさんのとこの次のコメントが印象的。 わたしの知人のADHDのお子さんを持つ人の話なんですが。 公園にいて、いたたまれない思いをしてその場にいられなくなって、そのまま帰るのもつらくて、市

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    wackunnpapa
    wackunnpapa 2007/02/27
    うーん,地球の裏側にいるヒトにも,その衝突に責任があるかのごとき言動は,却って世の中の無責任を増殖させるだけじゃないのかなあ?
  • 野宿者の公園居住は国際法的に容認されている - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先日TBを送ってきたkeya1984氏が「住居の強制撤去について」というエントリを立てている。 まず、こと今件に関して言えば、国際人権規約および一般的意見7に抵触するものではなく、今件に先立つ政府回答の枠内に収まるものであろう。なぜなら、こと今回は「公園を占有していた居住施設の撤去」だからである。締結国を見てみたが、たとえばニューヨークのセントラルパークでもいいし、ロンドンのハイドパークでもいいが、公園内でホームレスが居住施設を建てることを認めているだろうか? 私は、これら諸外国でも公園内にホームレスはいるだろうと思うけれど、国内法にせよ国際条約にせよ、一般的に公園内に居住権を認めて住居の建設を許可している例はないと思う。当たり前であろう、公園という土地に対してそのようなことを法的に認めれば、誰だって勝手に占有して自分の土地建物にしてしまうのだから。行き場のない人の、仮の居場所としてどこま

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  • 野宿者を怖がること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    暗い夜道でたまたま女性と通り道が同じになり、中途半端な距離を保ちながら歩くめぐり合わせになってしまったりすることがある。そういうときに、たまーに、駆け足になられたりすることがある。悲しい気持ちになるが、少なくとも腹は立たない。てゆーか、申し訳ない気持ちになる。当に危害を加えられるような可能性は、少なくとも確率的な問題としては、圧倒的に低い。しかし、こういうときに生じる怖さというのは確率的なものとは無縁のものであって、怖さを感じてしまうこと自体は人にもどうにもならないところがある。 野宿者に対して「怖い」と感じる感情も、同様のどうにもならないところに発するものは確かにあるのだろう。山田花子のコメントにしても、分からないではない*1。少なくとも、「怖い」に対して、「当は怖くないよ」を対置しても、それだけでは残されてしまうものがある。そう言われてしまうところはあると思う。 このような意味で

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    wackunnpapa
    wackunnpapa 2007/02/08
    こうも易々と断定されてしまうと,このような見方に疑義を唱えることがひとでなしの所業のように思えてくる>>結論部分.<<修正後の方が受け入れやすくなりました.
  • 長居公園、行政代執行 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日は風邪気味で、熱こそ出てないもののずっと調子が悪く、今日は無理かもしれないと思いつつ、ビタミンCをボリボリべてから床に就いた。朝起きたら思いの他よくなっていた。起きたのが少し遅かったので間に合わないかもとも思ったが、出かけることにする。9時ちょっと前に長居公園に到着。既に周囲はバリケードで囲まれていて、警備員が取り囲んでいる。人だかりもできている。以後、12時頃、テント村が完全撤去されるまでの一部始終をずっと見ていた。事の経緯などは「釜パトブログ」などを見てほしい。 【追記】 また、今回の行政代執行にあたり、野宿者と支援者たちが取った行動、その意味などについては、Arisanのノートを読んで欲しい。付け加えるべきことはほとんどない。 野宿者はわがままだ、という声もある。物を知らない人は簡単にこういうことを言う。その人が怠慢だから、ということもあるのだろうが、同時に、行政が不誠実な(ほ

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