高橋財政が放漫財政の呼び水になった 高橋が1932年に蔵相に就任して最初にやったのは、大恐慌の最中の1930年に金輸出を解禁して金の大量流出を招いた浜口内閣の政策を止めることだった。高橋はデフレに陥った日本経済を建て直すために金輸出を再び禁止し、農村救済のための景気対策を行なった。 これによって歳出は前年比32%増になったが、その財源は国債でまかなわれ、それを高橋は日銀に引き受けさせた。こうした政策でデフレは止まり、1932~36年に卸売物価指数は6%上昇し、鉱工業生産は10%伸びた。 しかし高橋は、政府が財政赤字で有効需要を創出すべきだとは考えていなかった。彼は均衡財政主義であり、高橋財政は基本的には健全財政だった。総予算は増えたが、軍事費を除く予算は33年以降は減少した。財政が膨張した最大の原因は、軍事費だったのだ。 日銀が国債を引き受けたのも意図的にインフレを起こすためではなく、世界