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学問と社会に関するwata300のブックマーク (6)

  • 「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ | 文春オンライン

    すこし前の話だが、ツイッターで個人的に関心を引かれた投稿があった。投稿者は、プロフィールによれば外資系コンサルへの勤務経験を持ち、投資やキャリアデザインに関係したブログを運営している方だ。 気で受験勉強して、大学も結構勉強して、大学院でも勉強して、社会人になっても仕事でそれなりに成果出しているという認識を持っていますが古文漢文が役に立った経験は少なくともありませんね。他の学問は役に立ってますが、漢文については眠いときに「春はあけぼの」というくらいしか使ってない — シャイニング丸の内 (@shimaru365) 2018年2月20日 このツイート(https://twitter.com/shimaru365/status/965893822512218113)は「春はあけぼの」のせいでギャグになってしまったが、実際のところ「漢文は社会で役に立たない」という主張自体には同意する人も少なくな

    「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ | 文春オンライン
    wata300
    wata300 2018/03/05
    今通常教えてる「漢文訓読」は江戸時代後期頃に確立された「漢文を(無理矢理)日本語として読む方法」。平安時代頃とかは結構意訳してる。今は鎖国してる訳でもないのでちゃんと「古典中国語」として読むべき。
  • 日本よ、この期に及んで「古文・漢文」が必要だというのか

    いいかげん納得のいく理由を教えてくれ。 今年ももうすぐセンター試験だ。何の罪もない高校生たちが、「古文・漢文」という暗記ゲームを強制され、不当にも人生を左右されている。 おれは実学至上主義者ではない。学問が、社会に対して有益である必要はこれっぽっちもない。そもそも「古文・漢文」という"学問"が、根的に無意味だと立証するだけの道具はない。大学で専門的に研究している人たちにとって、古文・漢文はどこまでも「面白くて」「魅力がある」のも理解できる。「役に立つ立たない」じゃなくて「好き」で学べるのは素敵なことだと思うし、好きな人のためにそういった場を用意するのは社会の義務だと思う。多少なりとも共感能力と良心があるんだったら、文学部不要論とか言ってないで税金投入しろよ、って思う。 ようするに言いたいのは、ここでの古文・漢文不要論と、大学での文学部不要論は全くことなる議論だってこと。 専門的な学問を「

    日本よ、この期に及んで「古文・漢文」が必要だというのか
    wata300
    wata300 2018/01/04
    その通りだなぁ。受験科目としての古文・漢文はいらない。そもそも漢文訓読はもうやめたほうがいい。中国語を教えたほうがよっぽど有益。
  • 日本はなぜ哲学教育をしないのか : 哲学ニュースnwk

    2016年02月03日12:00 日はなぜ哲学教育をしないのか Tweet 1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 05:01:21.626 ID:hF1X4eVqa.net バカばっか 転載元:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1454443281/ 四大ウザい論法「悪魔の証明」「論点のすり替え」「人身攻撃」 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4834600.html 2: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 05:02:03.149 ID:NjOO69GC0.net 道徳を抹消して心理学と哲学をやらせるべき 7: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2016/02/03(水) 05:03:34.476 I

    日本はなぜ哲学教育をしないのか : 哲学ニュースnwk
    wata300
    wata300 2016/02/03
    うちの高校は倫理の時間に世界史やってたんで哲学教わってない…。(世界史の時間にも世界史をやってたので事実上世界史を二倍やってた)
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 京都大学等におけるカンニング事件について

    今回の京都大学をはじめとする入試における「カンニング事件」は、いろいろな意味で心が痛む。 京都大学が被害届けを出し、「偽計業務妨害罪」でカンニングをした学生が逮捕されるに至ったことに、強い違和感を覚えるものである。 その理由の第一は、「大学の自治」、「学問の自由」にある。 入学者をどのように選考するか、という問題は、「大学の自治」の根幹にかかわるものと考える。どのような資質を持った人から、大学を構成するかということは、大学における学問、研究、教授の基礎をなすものであり、大学が、もっとも大事にしなければならない点である。 1952年の「東大ポポロ事件」に見るように、かつては、大学の自治はもっと大切にされ、さまざまな議論があったと思う。今回の事件において、京都大学の関係者が「被害届け」を出してしまったことは、「大学の自治」の点から疑問である。日の大学が、大きく変質してしまったことを感じる。

    wata300
    wata300 2011/03/04
    《今回のカンニング事件を通して、日本の大学入試のあり方、そこで問われている学力の質、さらには事件を一斉に報道したメディアの体質などについても様々な問題が提起されていると考える。》
  • 自分を尺度に入れることの大切さ | 地政学を英国で学んだ

    今日の東京は朝から曇りがちだったのですが、昼過ぎから気温が上がって完全に早春のような勢いでした。夜の風の冷たさにはビックリしましたが。 さて、昨日のエントリーについて、補足のような形で一言だけ。 昨日のエントリーで私が言いたかったことを私なり(?)に要約してみると、どうやらそれは「日の国家戦略などを論じている識者たちは、日も実は大きなパワーを持つプレイヤーである事実を忘れがちだ」ということになりそうです。 また、それと同時に感じていたのは、「分析をする人は、その分析結果によってその人の考え方をさらけ出してしまっている」ということです。この点についてはおわかりいただけるでしょうか? これは私がアメリカ政治雑誌やメディアで行われていた識者たちの言論を必死で追いかけていた時から常日頃感じていたことなんですが、たとえばアメリカ大統領などが一つの政策をメディアで発表しても、それについての解釈に

    自分を尺度に入れることの大切さ | 地政学を英国で学んだ
    wata300
    wata300 2011/02/19
    《とくに政治や戦略のように判断に主観が入りやすい分野だと、(私も含めて)「完全に客観的な分析」というのがほぼ不可能になってきてしまうわけです。》
  • 適塾に学ぶ語学学習法 :投資十八番 

    江戸時代後期の大阪に適塾という蘭学塾がありました。 医者で蘭学者だった緒方洪庵が開いたものです。この塾からは福沢諭吉をはじめ、大村益次郎、橋佐内といった多くの人傑を輩出しています。 幕末当時、この塾は蘭学の最高峰にあり、江戸の諸塾はもとより学問が盛んであった大阪においても他を圧していたそうです。福沢諭吉が著した『福翁自伝』の中で適塾における蘭学の学習方法が書かれていますが、ユニークなので紹介します。 まず初めて塾に入門した者は何も知らぬ。何も知らぬ者にどうして教えるかというと、・・・オランダの文典が二冊ある。一をガラマンチカといい、一をセインタキスという。初学の者には、まずそのガラマンチカを教え、素読*1を授ける傍らに講釈をもして聞かせる。これを一冊読み終わるとセインタキスをまたその通りにして教える。どうやらこうやら二冊の文典が解せるようになったところで会読*2をさせる。会読というこ

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