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  • FX革命? いまさら何を言ってんだ!?FX-Jin: ニュースですよ。

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    weblogconcent 2012/06/30
    ネオリベの進行下、デフレ経済下だからこそ基礎的な投資教育は必要なのかも。
  • 『麻原を擁護する?――行者と宗教者とオウム真理教』

    昨日の逮捕劇で色々と思い出すことがあった。 サリン事件直後に、麻原ないしオウム真理教を擁護する論説が現れて、もちろん総スカンをらった。 これはすこぶるわかりやすい単純な、非難の渦だ。 クマ公ハチ公の天然の感性を持ってすれば、それは総スカン当然だ。 ところが、はんちくな言論人もこれに加勢した。しかも徹底的な論戦はなかった。 いかにもソンな、役得のまるでないものだから、適当に発言で、お茶が濁った。 もっとも危なかったのが、3月に亡くなった吉隆明の発言だった。 今でもこれを、反核異論と併せて鬼の首を取ったかのようにあげつらう、はんちく言論人がたまにいる。 黙ってろ。 吉は、まず麻原の『生死を超える』という著書にいたく感銘する。サリン事件の数年以上前に出ただ。 これを踏まえて吉は麻原は優れた「思想家」だと評した。 その勢いで、思想家が世界的宗教家に言い回しとしては格上げされ、新聞や雑誌が

    『麻原を擁護する?――行者と宗教者とオウム真理教』
  • 『吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~』

    予定の時間を過ぎていることに気づかず語り続ける吉隆明さんは、終盤には天を仰ぐような姿勢になって言葉を紡ぎ出していく。 NHK ETV特集「吉隆明 語る ~沈黙から芸術まで」2009年放送分を昨日再放送 「沈黙」という語は、あらためて確認してみないと断言できないが、その主著では鍵語としては使われていないし、「芸術言語論」という主題も著作では使われていないはずだ。もちろん主旨に変わりがあるわけではない。 講演時に、広く伝わりやすいものにすべく、講演用に自ら案出した編集の効果(modification)だったのだろうと思う。 僕にとって、この忘れかけていた映像が貴重なのは、「共同幻想」に相渉るとき、また共同幻想から相渉られるとき、そこで作用・反作用の力を蓄えているのも言語である、という示唆を与えてくれる点だ。いやそのように、著作以上に明言してくれていると思える箇所があることだ。おそらくは言語

    『吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~』
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    weblogconcent 2012/03/27
    泣けた
  • ≪終わってしまう前に、終わらせよう≫☆「災後」に読む和辻哲郎☆主催「中野・坊主バー」+企画「編集意志3.11」editing will発刊準備室

    ≪終わってしまう前に、終わらせよう≫☆「災後」に読む和辻哲郎☆企画:「編集意志3.11」editing will発刊準備室 終わっちまう前に、 おわらせよう。 Season1.「災後」に読む和辻哲郎 第55回 2017年 2月25日(土)午後2時 @喫茶室ルノアール大久保 会議室 西田幾多郎「私と汝」(『無の自覚的限定』所収)の 1940年代西田への前方互換性を検討します。 足かけ5年目に入りました。 まだまだ「何も始まっていない」ような気もしています・・・ アジア的循環に瞑目して投身しますか。 <風土>の 読み替えが着替えに連なり、生き替えに連なるということも とくには「ない」、ような気がしています。 むしろ、〈大地〉の包握prehensionこそが今、問われています。 津田眞一『アーラヤ的世界とその神――仏教思想像の転回』と 和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』の対読プログラムも動き始めてい

  • 『TPP交渉参加の決定権は、どこにあるのか? 誰が決めるのか?』

    TPP(環太平洋戦略的経済連携協定:Trans-Pacific Partnership、またはTrans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)参加についての、自動車メーカーを中心とする企業、経団連の発言を聞いていると、資主義というか、市場主義もしくは市場原理主義、リベラリズムは、無傷だったと唖然とする。 金満家の「金(カネ)」や「守銭奴」の「銭」とはまったく次元を異にする「マネー」は、 大津波も、放射能も、ものともせず猛烈な勢いで動き続けることを止めない。 おそらく地球最期の日を迎えたとしても、マネーは止まることのない抽象的なシステムだ。 ところで、TPPは「環太平洋」などと大風呂敷を広げているが、米韓の二国間FTP(自由貿易協定)や、一見逆向きに見える日米構造協議に近いものを持っている。 3月11日以前には「平成の開国」など

    『TPP交渉参加の決定権は、どこにあるのか? 誰が決めるのか?』
  • 『鏡の背面―揺れながら読む本 第1冊』

    あの大揺れで、棚から振り落とされ飛び出して来たの一冊。 3月の半ばから「揺れながら読む」というカテゴりで書いておこうと思いながら、 出来なかった。 文字を追う紙の上を、活字と活字のあいだや行間を、 縫うように、白煙が流れ、水滴がしたたり、政治的現実という名の紙魚のようなものたちが、 もぞもぞと這い回り、 中断、もしくは集中を止めざるを得なかった。 なんにせよ、「読む」という意識が浸水し土砂にまみれ、 「書く」ことは号泣や怒号を越えることが困難になった。 それでも今この時に限れば、どこかのどかな汽車の旅かと誤解もされそうな揺れながら読むは、 そういう意識の壁に小さなひびが走ろうとするなかを、 むしろ点滴のように向こうから染みわたるかのように、 「やって来た」たちだ。 こちらから時間を消費するためにキオスクでわざわざ手にしようとするようなではない。 そのかつてなかった「読み書き」に生

    『鏡の背面―揺れながら読む本 第1冊』
  • 『青山の将校と白山の兵士が争っている。』

    という夢を見た。 講談社から去年11月から刊行が始まっている『天皇の歴史』についての論評を昨日読んだことがトリガーかもしれない。 それと村上春樹が北欧での授賞式で、「反原発」を「叫んだ」ことに関してのコメントをテレビで目にしたこともあると思う。 というより、それで思い出したフィッツジェラルドの次の言葉だ。 「一流の知性とは、同時に二つの相反する考えを持ちつつ、 さらにその両方を機能させ続ける能力である」 フィッツジェラルドは村上の翻訳もあり、影響を受けているはずだが、どうもレトリックなど表層的なレベルだけであったようだ。 この日記でも何度も書いているが、原発災害によって寝耳に水の避難を強いられている福島の人たちが「原発はもう二度とごめんだ」というのは理に適っている。 しかし、そうではない距離にいるわれわれ、とりわけ言論を仕事とするプロが、これに虫のように同調し脊髄反射的な言動を取るのは、ど

    『青山の将校と白山の兵士が争っている。』
  • 『B29迎撃機、紫電改はなぜ出撃しなかったのか?』

    以下NHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」書き起こしメモ。 ・陸軍特種情報部 1945年6月 テニアン島のV600番台を傍受。コールサインV600番台使用のB29秘密部隊 第509混成群団 ↓ ・東條英機、原爆開発を航空部に指示。 ↓ ・理研 ・福島県の山間で、ウランの採掘が進む。 {NHKスペシャルでは触れられていないが、海軍主導での原爆開発計画も進んだ(京大グループ)。} しかしなぜか6月末、「放射性ウランの分離は不可能」を理由に開発中止を命じる。実際は、戦況の悪化と物資不足で事実上、開発を進めることができなかった。} ・1945年7月16日 アメリカ原爆実験に成功 (これによって、ルーズベルト急死で大統領に昇格したトルーマンの旧ソ連に対する態度が急にでかくなる。) しかし、陸軍参謀部はそれが原爆であると認めようとしなかった。 ・8月6日午前3時、陸軍特種情報部がV

    『B29迎撃機、紫電改はなぜ出撃しなかったのか?』
  • 『電力の安定供給と供給範囲、もしくは電力とディアスポーラとノマドな電気』

    しかしなあ、スキタイや匈奴が疾駆していた大草原はもうないだろうし、それこそモンゴルに核廃棄物処分場を作ろうなんて話が進んだりしている時代。 いきなり展開の腰を折るような枕になった。最近自分でボケてツッこむことが増えている。 それでも国という単位(観念)を少し伸縮自在にしてみれば、エネルギーの需要供給の問題、特に安定供給の問題も、そりゃ風とか太陽光とかでまかなえるかもしれん。ただし、 その場合はしかし国というより部族とか族、トライブの単位になるんじゃないか。総人口11人から30人程度。数百人、千人くらいはいけるかもだが。 加えてノマドとゆったって、それこそ牧歌的に牧畜だけをやりながら移動してたわけじゃない。強力な戦闘力を持っていた。兵器を携え軍事力を鍛えていた。これを忘れてはいけない。 もしくはポータブルで強力な知恵と知財だ。かつてのユダヤのように離散(ディアスポーラ)する場合は、渡り歩く先

    『電力の安定供給と供給範囲、もしくは電力とディアスポーラとノマドな電気』
  • 『原発は科学ではない。鉄腕アトムは技術の子である。』

    今、こういうときだからこそ、どうしても肝に銘じておきたいことがある。 それは「科学というものにはワクワクさせるものがある」、あった、ということ。 記事「放射能リテラシー0311」への助走(01)微修正あり に書いた「核物理学」には、それがあるだろうか。マイトナーまでは、あったと思いたい。 1930年代に作られていた「原子炉」は、おそらく今日の「加速器」につながるものを、まだ持っていただろう。未確認だが、シカゴ・パイル1号以前の実験炉にとって、崩壊熱は、「余分」なものに過ぎなかったのではないか? Don't throw out the baby with the bath-water ! 原子力発電は、核分裂によって生じる熱で湯を沸かしその「蒸気でタービンを回す」。で、電気が生まれる。 原理的には火力発電などとまったく同じ。古典力学、ニュートン力学の世界に属する。 ニュートン力学の世界に「過

    『原発は科学ではない。鉄腕アトムは技術の子である。』
  • 『「放射能リテラシー0311」への助走(01)微修正あり。』

    「放射能リテラシー0311」への助走(01)微修正あり。 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

    『「放射能リテラシー0311」への助走(01)微修正あり。』
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    weblogconcent 2011/07/18
    リーゼ・マイトナー
  • 『「再生可能エネルギー」買取法案と「脱原発」は、なんの関係もない。』

    電力の「安定供給」ということが大前提であるかぎりは、 エネルギー政策の選択肢としては成立するはずのない「二択問題」が、原発震災以降の国会で審議され始めた。 いや、あたかも「二択」であるかのように「見せかけ」たかたちで始まったというのが正確。 これはちょっと冷静になって考えると、すこぶる奇妙な光景だということに気づく。 それも今後、エネルギーミックスとして、風力や太陽光発電技術的にどう高めていくかという技術開発の議論なしに、いきなり「全量買取制度」というビジネスに特化した法案の話になっている。加えて 気持ち悪いのは、今日始まったこの法案審議の直前の日にあたる昨日、菅首相が「脱原発依存」の表明記者会見という茶番を打ったことだ。 ムードとして、脱原発を現実のものとするために必要な法案のように見えてしまうかもしれないが、それはまったくの、はぐらかしに過ぎない。 なぜなら、今のままでは「安定供給」

    『「再生可能エネルギー」買取法案と「脱原発」は、なんの関係もない。』
    weblogconcent
    weblogconcent 2011/07/16
    「脱原発技術」の構想を欠く「脱原発」論は空論に過ぎないってことね。
  • 『放射性物質量、放射線量の「測定」に意味なし。』

    (距離的にも時間的にも命懸けの作業を行っている方達に必要な線量計測器の話ではない) まず、政府がいう「暫定基準値」の意味がわからないこと(「安全」側に厳しいという説明は、説明になっていない。その「安全」基準が、すでに生産者を死に追いやってしまっていることを、どう説明するのか)。 野菜について言えば、ベクレル云々以前に、たとえばホーレンソウを「産地」で選んで買ったりしない。 各地の名産品なら、いざ知らず。 つまり、市町村レベルで限定的に出荷規制をしたところで(「基準値」の見直しは結果的に行われず、かえって品衛生審議会によって半「固定」化されてしまった)、 ホーレンソウがあるベクレル「汚染」したため、「べないように」という意味しか消費者には伝わらない。 だから、政府の発表=風評被害の発生源、になってしまう。 べ物と違って品薄になっても命にかかわることはないタバコには、パッケージごとに健康

    『放射性物質量、放射線量の「測定」に意味なし。』
  • 『国民は、菅直人を選んではいません。』

    首相は、大統領ではありません。 最悪の時に最悪の首相を「信任」せざるを得ないという最悪の事態が、進行中です。 何かカン違いしているとしか思えない、大根パフォーマンスや自己陶酔メッセージに続いて、 やはりこの人たちは、党利党略の徒であり、この期に及んで自己保身の塊に過ぎないことが、 いよいよはっきりしてきました。 お断りしておきますが、私は支持政党なしのいわゆる「無党派層」です。政治にとくに詳しいわけでもありません。 しかし、 この記事↓を読んで、目を疑いました。そして誤報、ウソであってほしいと思ったものです。 民主党がお揃いの防災服新調 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110331/stt11033101390000-n1.htm 政権与党のすることではないだろうと。この非常事に、テレビを使って一党を誇示するおつもりか? その抜け目のなさが醜悪

    『国民は、菅直人を選んではいません。』
  • 『測定値だけで「死刑」判決?そんな馬鹿な!――連祷メモ(3)』

    長く使い続けた椅子の背がおかしくなったので、当面の代用に近場で入手できるスツールを買ったことがある。 確か1000円と少々。「これ、御願いします」と萬屋のおばさんに言うと、持ちやすいようにヒモをつけてくれながら、「この上に立って高いとこにある物を取ろうとしたりしないでね」。 えっ?と問いただすと、こういうものを販売する時には、一言添えないといけないことになっているという。 製造物責任法(PL法)だ。つまり座るのはいいが、踏み台に使って怪我をしたときの責任は取れないってこと。 その店の主とは顔見知りだから、「おかしな時代になりましたね」「そうだねえ」とお互いに頷き合っていた。 この「責任法」は、「責任回避」のための法律だ。そしてその法律が製造者を何から守ろうとしているかと言えば、 「電子レンジで雨に濡れたネコを乾かそうとしたら死んじゃった、責任取れ!」という類の「クレーマー」であって、 決し

    『測定値だけで「死刑」判決?そんな馬鹿な!――連祷メモ(3)』
  • 『「想定外」という言葉は、死語になるだろう。』

    いま、もっとも使いたくない言葉が「想定外」という言葉です。 これからも、 「想定外なんて、言ってんじゃねえよ!」 というふうにしか使うことはないでしょう。 「知って花実が咲くものか」 この一週間、この変な言葉が浮かんで離れません。 そういうことも、あるのです。 しかし、「人災」と「天災」の違いは、はっきりと知っておくべきです。 そして、「反原発」教からも「安全神話」教からも遠く離れた地点で、 何を知るべきなのか、徹底的に知る努力を始めるべきです。 べきなのですが同時に、その地点を知ることがもっとも困難です。 現時点では、命懸けの努力を敷地内で続けている現場の方々に感謝しつつ、福島原発の「冷却」作業が無事に完了することを祈るしかありません。 しかし、祈るだけでは現在から数ミリでも先に向けての、 構想をしていくことは不可能です。 65年前の広島・長崎への原爆投下で、 世界でただ一つの「最初」の

    『「想定外」という言葉は、死語になるだろう。』
  • 『「私はそこに避難するつもりはない。」』

    私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。 ――村上龍「危機的状況の中の希望」3月16日、ニューヨークタイムズに英訳掲載された寄稿文を「タイムアウト東京」が日語に訳して掲載した記事から引用 村上龍氏には、氏が確か『コインロッカー・ベイビーズ』を書いていた頃、電話インタビューをしている。「あなたにとって、日とは?」といったテーマだった。 日の作家で特に意識している人はいますか?と聞くと、谷崎潤一郎という答えが返って来た。 村上龍らしいと思う反面、ちょっと意外な感じもあったので、話を締めるために「たとえば、どんな描写が?」と突っ込んだのを覚えている。その答えについては、まあまた書くこともある、かも知れない。 なんにせよえんじんは、村上龍の作品には、ほとんど

    『「私はそこに避難するつもりはない。」』
  • 『カンダフィーとルシファー』

    カンダフィーとカダフィーは、まったくの別人・別格ですが、いま出ている「週刊朝日」の巻頭グラビア「独裁者たち」の、リビアはカダフィの、むさくるしい写真を見つつ、それでも「悉有仏性(しつうぶっしょう)」と見なければならないのかと、つまり、ことごとくのもの、どんなものにも仏さんの良いところが宿っているというのを、無理無理大佐の写真から読み取れるかと苦行してみました(笑) そのとき、ふと思い出したのがルシファーのことです。 日語では、簡潔に「堕天使」などと言われたりしますが、詳しい話は聖書に出てくる。なかなか一筋縄ではいかない話です。 聖書と言えば、いうまでもなくキリスト教の聖典ですが、 ちょっと見方を変えれば、イスラムとイスラエルの戦いの歴史書とも言える。 リビアのカダフィ大佐は、王政を倒した当初は、カリスマ性もあったでしょう。 変な言い方ですが、その意味では「独裁者」の名にふさわしい。 それ

    『カンダフィーとルシファー』
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    weblogconcent 2011/03/10
    ハハハ。ってけっこう笑えない記事だね。
  • 『菅内閣が消えるまで、ブログの更新を停止します。』

    と、しばし思ってもみたわけだったが、もういいだろう。 土台、このブログの更新が止まったところで誰も痛くも痒くもなんともない(笑)。なんの「行使」にもならないことに気づいた(爆)。 実力行使といえば国鉄、いまのJRも昔はゼネストが得意だった。けっこうシンパもいたはずだ。通勤の足を奪われるサラリーマンのなかにさえ。 クビを賭けたゼネストは単なる「賃上げ闘争」ではなかったからだ。 あの理念がまだ生きていた。見果てぬ夢を見続けたっていいじゃないか。夢なんだから。 それはさておき、その夢が恥ずかしいことと思われるような時代へとチェンジする大事件となった「ベルリンの壁崩壊」の直後あたりから、「ワシントン・コンセンサス」という用語が定着を始める。 ワシントン・コンセンサス、ワシントンDC所在のシンクタンク国際経済研究所 (IIE) の研究員で国際経済学者のジョン・ウィリアムソンが1989年に発表した論文

    『菅内閣が消えるまで、ブログの更新を停止します。』
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    weblogconcent 2011/03/02
    効果ないと思うけど(笑)、ちょっとマゾだし(爆)。でも、気持ちはしっかり伝わってくる。妙に不思議な感じがするのはなんで?
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