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  • 「監獄ロック」がヒットした1957年、サム・クックがゴスペルからR&B歌手に転向した

    「TAP the CHART」第60回は、1957年を取り上げます。まずはシングルとアルバムの年間チャートTOP 10から。 【1957年のBillboard年間チャート】 ★TOP 10 SINGLES ❶All Shook Up / Elvis Presley ❷Love Letters in the Sand / Pat Boone ❸Little Darlin’ / The Diamonds ❹Young Love / Tab Hunter ❺So Rare / Jimmy Dorsey ❻Don’t Forbid Me / Pat Boone ❼Singing the Blues / Guy Mitchell ❽Young Love / Sonny James ❾Too Much / Elvis Presley ❿Round and Round / Perry Como ★TOP

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    wfwf 2017/02/25
  • “音楽探求の壮大な旅”が詰まったボックスセットの世界

    音楽を愛する人なら持っておきたいボックスセット どんなに単曲ダウンロードやストリーミングや動画サービスが普及しようと、心からの音楽ファンなら絶対に手元に残しておきたいものがある。その一つが「ボックスセット」だ。数枚組の中身は、まさに“壮大な音楽探求の旅路”そのもの。若い時には高価でとても手が出なかったという声も多い。でも大人になった今、それは十分に揃えるべき価値のあるもの。中古ショップで見かけたら迷わず手に取り、ネットで見つけたらとりあえずカートに保存してほしい。今回は厳選した5タイトルを紹介。 『The BLUES:A Musical Journey』 2003年のマーティン・スコセッシ監修による「ブルース・ムービー・プロジェクト」では7映画が作られた(最下段にリスト化)。このボックスもその一環。中身が凄い。ブルーズの歴史を5枚組・全116曲に包括。レーベルを超えた夢のようなコンピレ

    “音楽探求の壮大な旅”が詰まったボックスセットの世界
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    wfwf 2017/02/25
  • 伝説のブラインド・レモン・ジェファーソンは本当に“盲目”だったのか?

    ブルーズの壮大な歴史を振り返ろうとする時、その幕開けである20世紀初頭の「カントリー・ブルーズ」を担った男たちの中には視力を奪われた者が多いことに気づく。ブラインド・ウィリー・ジョンソン、ブラインド・ウィリー・マクテル、ブラインド・ブレイク、ブラインド・ボーイ・フラー……そして史上最も重要なブルーズマンの一人とも言われるブラインド・レモン・ジェファーソン。 盲目のパフォーマーが多いのは、ただの偶然と言う人もいれば、南部の盲目黒人は音楽の道に入る以外、暮らしの立てようがなかったという研究者もいる。あるいは残された感覚を研ぎ澄ませて、手と耳と口を使う技術に長けていたという見方も。盲目はハンデなのか、糧なのか。とにかく彼らを録音して“売り出す”ために、南部の風景や苦悩も知らないレコード会社は当たり前のように「盲目」をマーケティングの道具に用いることになった。 ブラインド・レモン・ジェファーソンは

    伝説のブラインド・レモン・ジェファーソンは本当に“盲目”だったのか?
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    wfwf 2017/02/23
    これは凄い話
  • BLUESの旅路④〜エルモア・ジェイムス/ギター・スリムほか

    ★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第174回 ブルース(正確にはブルーズ)を聴いたり目の前の演奏に接したりすることは、言うまでもなく一つの体験であると同時に、それは時と場所を巡る旅でもある。スタート地点はミシシッピ川、綿花畑、ハイウェイ61……といったところだろうか。長い旅路では様々な人生、苦悩、歓喜といった風景を見ることになる。旅人たちはそれを決して忘れることはできない。 あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから 『Blues Masters:Very Best of T-Bone Walker』 すべてのエレクトリック・ギターのブルーズはこの男から始まった。「モダン・ブルーズ・ギターの父」と称されるTボーン・ウォーカーの登場だ。盤は1945〜57年の録音集。全編に渡って流れる洗練された都会的

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    wfwf 2017/02/22
  • ドアーズ〜“知覚の扉”を開け続けたジム・モリソン27歳の結末

    『ドアーズ』(The Doors/1991) 激動の1960年代半ば〜後半。反体制とカウンターカルチャーの象徴だったロック。そんな中で1967年のデビューから数年間、センセーションを巻き起こしたのがドアーズだった。ヒッピーたちに支えられた同時期のロックバンドとは異なり、アルバムとシングル両方でヒットチャートを駆け上がる力を持っていた彼らは“稀な存在”でもあった。 フロントマンであるジム・モリソンのカリスマ性は、レコードや雑誌だけでなくステージでのパフォーマンスにおいて限りなく昇華した。過激な歌詞や官能的なファッションはもちろんのこと、猥褻な言動が原因による地元警察とのトラブルは日常茶飯事でジムは逮捕されたこともある。 ネイティヴ・アメリカンの魂に触れながら、アルコール、ドラッグ、セックスによって“知覚の扉”を開け続けた男。残された道は“自己破壊”しかなかったのだろうか? 1971年7月3日

    ドアーズ〜“知覚の扉”を開け続けたジム・モリソン27歳の結末
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    wfwf 2017/02/22
  • ゲイリー・ムーア〜故郷アイルランドへの想いと盟友フィル・ライノットに捧げた別れの響き

    ゲイリー・ムーアとフィル・ライノットに流れたアイルランドの血 僕はアイルランドで生まれ育ったんだ。その影響を生かして一つのアルバムを作りたかった。自分が今まで無意識のうちに受けてきた影響を前面に出して、これまでの僕のアルバムとはまったく違ったものを作り出したかった。 1987年、ゲイリー・ムーアは故郷アイルランドをテーマにした『Wild Frontier』をリリースした。80年代のヘヴィメタル/ハードロックが大ブームの中で速弾きの「ギター・クレイジー」と称えられていたゲイリーが遂に原点に立ち戻った。 彼自身、その何もかもがラウドなシーンでギター・ヒーローでいることを一度も快適と思ったことはなかったという。妥協のない精神、求道者として自己に対する厳しい姿勢が蘇ったのだ。 アイルランドで起こっている様々な問題を歌詞の題材にしたかった。ビデオ・シューティングがあって久々にアイルランドに帰ったんだ

    ゲイリー・ムーア〜故郷アイルランドへの想いと盟友フィル・ライノットに捧げた別れの響き
  • BLUESの旅路③〜スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブルほか

    ★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第173回 ブルース(正確にはブルーズ)を聴いたり目の前の演奏に接したりすることは、言うまでもなく一つの体験であると同時に、それは時と場所を巡る旅でもある。スタート地点はミシシッピ川、綿花畑、ハイウェイ61……といったところだろうか。長い旅路では様々な人生、苦悩、歓喜といった風景を見ることになる。旅人たちはそれを決して忘れることはできない。 あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズ『Blues Breakers with Eric Clapton』(1966) まだアートスクールの学生だった頃、エリック・クラプトンは友人からロバート・ジョンソンのアルバムを渡された。ジャケットの解説には「恥ずかしがり屋のジョンソンはホ

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    wfwf 2017/02/15
  • マイ・ブルーベリー・ナイツ〜撮影から帰宅直後の朝6時に曲を作ったノラ・ジョーンズ

    『マイ・ブルーベリー・ナイツ』(My Blueberry Nights/2007) 撮影でネバダ州に向かう飛行機に乗り込む時、私のギターを見て撮影クルーの一人が笑うの。言ってやったわ。「何で笑うの? 私はミュージシャンよ」って。すると彼は「そんなの弾いてる暇なんてないと思うよ」。結局、彼が正しかった。1日だけオフがあって、2週間ぶりにギターを弾いて1曲作って、それだけ。 ブルーノートからデビューアルバムをリリースした2002年以降、ノラ・ジョーンズの音楽はあっという間に世界中に広まり、グラミー賞8部門受賞や2000万枚上のセールスを記録。彼女は幅広いファン層を獲得するとともに、著名なミュージシャンたちからも熱い視線を集めることになった。2005年にはレイ・チャールズと「Here We Go Again」をデュエットして再びグラミー賞を獲得。2004年のセカンドアルバムも2007年のサードア

    マイ・ブルーベリー・ナイツ〜撮影から帰宅直後の朝6時に曲を作ったノラ・ジョーンズ
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    wfwf 2017/02/15
    ウォン・カーウァイ監督作。ノラ・ジョーンズ/ジュード・ロウ主演。
  • ホイットニー・ヒューストンが一番大切にしていた歌「Greatest Love of All」

    ホイットニー・ヒューストンと「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」 2012年2月11日。48歳という若さで悲劇的な死を遂げてしまったホイットニー・ヒューストン。あれから10年以上が経った今でも、街や店、ラジオやテレビからふとした瞬間に彼女の歌声が流れてくると、その圧倒的な歌唱力とメッセージに心深く打たれてしまう。 そんなホイットニーの最高傑作と言われ、彼女自身が最も大切にしていた歌がある。1986年3月14日にリリースされた「Greatest Love of All」(グレイテスト・ラヴ・オブ・オール)だ。 これは間違っても恋人たちに向けられたラブソングではない。この歌は自己へ向けた愛と誇りの歌だった。世界中の孤独な魂を持った人々にどれほど生きる勇気を与えてくれただろう。だからこそ忘れられない永遠のスタンダードになった。 ホイットニー・ヒューストンは1963年に、ゴスペル歌手の母親シシーと

    ホイットニー・ヒューストンが一番大切にしていた歌「Greatest Love of All」
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    wfwf 2017/02/11
    今日2/11が命日です。
  • エルヴィスが入隊した1958年、チャック・ベリーが「ジョニー・B.グッド」をリリース

    「TAP the CHART」第59回は、1958年を取り上げます。まずはシングルとアルバムの年間チャートTOP 10から。 【1958年のBillboard年間チャート】 ★TOP 10 SINGLES ❶Volare / Domenico Modugno ❷All I Have to Do Is Dream / The Everly Brothers ❸Don’t / Elvis Presley ❹Witch Doctor / David Seville ❺Patricia / Perez Prado ❻Sail Along Silvery Moon / Billy Vaughn ❼Catch a Falling Star / Perry Como ❽Tequila / The Champs ❾It’s All in the Game / Tommy Edwards ❿Return t

    エルヴィスが入隊した1958年、チャック・ベリーが「ジョニー・B.グッド」をリリース
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    wfwf 2017/02/09
  • BLUESに回帰した“永遠のギター・クレイジー”〜ゲイリー・ムーア

    ★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第172回 さすらいのギタリストの中でも、特に孤高の存在であり続けたゲイリー・ムーア。1969年より様々なバンドを渡り歩きながら、80年代はマシンガン・ピッキングと呼ばれた奏法でハードロックのスーパー・ギタリストとして君臨。「ギター・クレイジー」と称えられた。また、故郷アイルランドのスピリットを取り入れた楽曲でも忘れられない足跡を残した人だった。90年代からは自身のルーツであるブルーズに回帰。亡くなるまでブルーズを追求し続けたひたむきな姿勢も感動的。そして、どのアルバムにも必ず「泣きのギター」によるバラード作が収録されることが多く、ゲイリーの心に風景を描くようなメランコリックでロマンチックな音楽に酔いしれたファンは日でも数知れない。 (こちらも併せてお読みください) ゲイリー・ムーア〜“泣きのギタ

    BLUESに回帰した“永遠のギター・クレイジー”〜ゲイリー・ムーア
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    wfwf 2017/02/08
    泣ける。
  • ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ〜スティングも出資した英国映画の傑作

    『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(Lock, Stock and Two Smoking Barrels/1998) 寝る前に10分だけ脚を読もうと思って手にしたら、結局朝まで読み耽ってしまった。リッチーに電話するのが待ち遠しかったよ。とにかくカラフルでオリジナリティのある脚で、ジェットコースターに乗っているような気分になった 1996年、企画は動き始めた。音楽ビデオやCMで生計を立てながら、稼いだ金で短編映画を撮っていたガイ・リッチーは、同世代のアメリカ帰りの若手プロデューサーであるマシュー・ボーンと意気投合。温めていた映画の脚作りに一緒に没頭する。当初は250ページもあった脚から贅肉が省かれたのち、マシューは制作資金集めに乗り出した。 そんな中、興味を持った一人にあのスティングがいた。「暴力を直接描かないが、エネルギッシュな映画作りをする」リッチーの短編映画

    ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ〜スティングも出資した英国映画の傑作
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    wfwf 2017/02/08
    ガイ・リッチー29歳の衝撃のデビュー作
  • ゲイリー・ムーア〜“泣きのギター”でBLUESを響かせた孤高のギタリスト

    故郷の魂を忘れなかった孤高のアイルランド人ギタリスト ギタリストなら、特に80年代にヨーロッパで生き残ろうと思ったら、ハードロックをプレイするしかなかった。でも僕はそれを快適だと感じたことは一度もなかったよ。それはあの種の音楽が自分の原点ではなかったからだと思う。何もかも巨大でラウドなものの中で、他のミュージシャンにも親近感を抱けなかった。 「ゲイリー・ムーア」という名を聞いて、彼の音楽を耳にしたことのある人は何を思い浮かべるだろう? 様々なバンドを渡り歩いた「さすらいのギタリスト」。シン・リジィでフィル・ライノットとプレイしていた「スーパー・ギタリスト」。1980年代のヘヴィメタル・ブームの中でマシンガンのように速弾きした「ギター・クレイジー」と言う人もいる。 あるいは、故郷の魂を忘れなかった「孤高のアイルランド人ギタリスト」。90年代から死の直前まで自らのルーツに対して真摯な姿勢を貫い

    ゲイリー・ムーア〜“泣きのギター”でBLUESを響かせた孤高のギタリスト
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    wfwf 2017/02/06
    この人のギターは本当に泣いている。素晴らしい。
  • 1920〜30年代に録音した伝説のブルーズマン②〜サン・ハウス/ブラインド・ブレイクほか

    ★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第171回 ブルーズの歴史を振り返ろうとする時、黒人女性シンガーたちによる「クラシック・ブルーズ」が始まりと思われがちだが、それはブルーズの録音史における順番に過ぎない。当はここに紹介する「カントリー・ブルーズ」のミュージシャンたちからスタートしなければならないのだ。ブルーズを知りたければ、絶対に避けて通れないのが彼ら。壮大な音楽探求の旅へようこそ。 あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから ブラインド・ウィリー・ジョンソン ブルーズマンではなく、ギターを弾いてテキサスの路上を渡り歩きながら神の教えを説く伝道師=ギター・エヴァンジェリストがブラインド・ウィリー・ジョンソン。一度耳にしたら忘れられるはずがない声。そして胸に突き刺さるようなスライド。多くのブルーズマ

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    wfwf 2017/02/01
  • ピアノ・ブルース〜野生動物をも魅了したファッツ・ドミノのニューオーリンズR&B

    『ピアノ・ブルース』(Piano Blues/2003/クリント・イーストウッド監督) 2003年。アメリカでは「BLUES生誕100年」と称して、CD・書籍・番組・ラジオ・コンサートといったメディアミックスを通じて“魂の音楽”を伝えるプロジェクトが展開された。中でも音楽ドキュメンタリー『THE BLUES』は、総勢7名の映画監督が様々な角度から“魂の音楽”をフィルムに収めて大きな話題を呼んだ。 今回紹介するのは『ピアノ・ブルース』(Piano Blues/クリント・イーストウッド監督)。カントリー、ジャズ、ブルーズのマニアとしても知られる名優イーストウッドが、ピアノだけにスポットライトをあて、伝説的なミュージシャンたちを迎え入れながら話し、時には演奏してもらう。そして偉大なプレーヤーの顔触れやつながりを紹介していくというもの。作はブルーズマンだけでなく、ジャズやR&Bにも視点を広げてい

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    wfwf 2017/02/01
  • 農園で働く男はロバート・ジョンソンの代わりに録音して“マディ・ウォーターズ”になった

    マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)の南部伝説 それは1941年の8月31日の日曜日のこと──ワシントンDCの国会図書館でフォークソング記録の管理をしていた民俗学者アラン・ロマックスは、朝早く何の予告も抜きでミシシッピ州のストーヴァル・プランテーションに到着した。そして、この農園の監督を見つけてここで働く黒人たちと接触することを伝えた。 ロマックスの目的は、ある男を探し出して録音すること。その男はクラークスデイルから1号線に沿ってミシシッピ川へと扇状に広がる、デルタの細長い区域では有名なブルーズマンだった。裏道には飲み屋がたくさんあり、男の名は知れ渡っていたが、それは限られた世界だけの話だった。 実は当初はロバート・ジョンソンを録音しようと、ロマックスはミシシッピ・デルタに足を踏み入れた。しかし、既に死亡していたことを知り、代わりにロバート・ジョンソンのように弾ける男の存在を知

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    wfwf 2017/01/26
    伝説誕生の瞬間。
  • あのベスト盤はどれだけ売れているのか〜世界で5000万枚を売ったロックバンドは?

    2016年にデヴィッド・ボウイ(享年69)、プリンス(享年57)、グレン・フライ(享年67)といった大物ミュージシャンが立て続けに亡くなったことを覚えているだろうか。 ……思えば1980年、あのジョン・レノンが“前人未到の40歳のロックンローラー/ロックスター”の道を歩み始めようとした矢先、銃弾に倒れたことをきっかけに、「40代でもロックを演り続けよう」という強い想いが多くのミュージシャンの心に染み渡ったような気がする。「30代以上を信じるな」がモットーだった激動の60年代のスピリットは消え去り、新しい価値観がロックの世界に芽生えたのだ。 以来、90年代には50代、ゼロ年代には60代、10年代に入ると70代の現役ロックミュージシャンは珍しくもなくなり、今では当たり前になった。むしろその存在は、若い世代のミュージシャンよりは遥かにパワフルで、老いてもなお演り続けることの信念を教えてくれ、偽り

    あのベスト盤はどれだけ売れているのか〜世界で5000万枚を売ったロックバンドは?
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    wfwf 2017/01/26
    大物ミュージシャンが立て続けに亡くなる現在、ベスト盤の需要が高まっている。
  • 1920〜30年代に録音した伝説のブルーズマン〜ブラインド・レモン・ジェファーソンほか

    ★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第170回 ブルーズの歴史を振り返ろうとする時、黒人女性シンガーたちによる「クラシック・ブルーズ」が始まりと思われがちだが、それはブルーズの録音史における順番に過ぎない。当はここに紹介する「カントリー・ブルーズ」のミュージシャンたちからスタートしなければならないのだ。ブルーズを知りたければ、絶対に避けて通れないのが彼ら。壮大な音楽探求の旅へようこそ。 あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから ブラインド・レモン・ジェファーソン テキサス出身のカントリー・ブルーズのスターがブラインド・レモン・ジェファーソンだ。初録音は1925年末〜26年初めと、ブルーズマンたちの中では最も古い。1920年代生まれであるあのブルーズの王様B.B.キングのアイドル的存在だったことでも

    1920〜30年代に録音した伝説のブルーズマン〜ブラインド・レモン・ジェファーソンほか
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    wfwf 2017/01/25
  • デビルズ・ファイヤー〜“悪魔の音楽”と言われたBLUESの魔力とは?

    『デビルズ・ファイヤー』(Warming By The Devil’s Fire/2003/チャールズ・バーネット監督) 2003年。アメリカでは「BLUES生誕100年」と称して、CD・書籍・番組・ラジオ・コンサートといったメディアミックスを通じて“魂の音楽”を伝えるプロジェクトが展開された。中でも音楽ドキュメンタリー『THE BLUES』は、総勢7名の映画監督が様々な角度から“魂の音楽”をフィルムに収めて大きな話題を呼んだ。 今回紹介するのは『デビルズ・ファイヤー』(Warming By The Devil’s Fire/チャールズ・バーネット監督)。“悪魔の炎で暖を取る”はシリーズ唯一のドラマ形式で、ミシシッピへやって来た11歳の少年がブルーズに取り憑かれた叔父と過ごす日々を通じて、ブルーズの真髄や黒人のアイデンティティに目覚めていくというもの。聖と俗の関係がこの作品のテーマ。 「ブ

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    wfwf 2017/01/25
  • ストーンズやツェッペリンが100万ドル積んで欲しがったロバート・ジョンソンの“3秒半”

    フィルムに写り込んだ男はあの伝説のロバート・ジョンソンなのか? ことの起こりは、ミシシッピ州ルールヴィルというスモールタウン。町の古い映画館の倉庫から、埃が積もった16ミリのフィルムの束が見つかったのだ。 オーナーのベムは何十年も前に、16ミリのサイレントでルールヴィルの日常生活や通りを行き交う人々を撮影。彼は当時、そのフィルムを自分の映画館で上映して、スクリーンで実物大以上に映る自分を見た観客たちから大好評を博していた。 見つけ出したのは、祖母がこの映画館で働いていたレオ・オールドレッド。彼はメンフィスの人気ラジオ局でブルーズ番組を担当するほか、ツーリストで賑わう有名なビール・ストリートでブルーズ雑貨店を営むほど、ブルーズを心から愛する男だった。リスナーや店の常連たちは親しみを込めてテイター・レッドと呼んでいた。 貴重なフィルムは、保存のために可能な限りビデオに移し替えられ、マスターテー

    ストーンズやツェッペリンが100万ドル積んで欲しがったロバート・ジョンソンの“3秒半”