1920年代から架橋計画は取り沙汰されていたものの、建設が決定されたのは1937年であった。設計は紆余曲折ののちモイセイフに委嘱され、1938年に着工された。支柱建設にやや苦心はあったものの、工事はほぼスケジュールどおりに進み1940年7月1日に開通した。 当初、余裕を取って幅広に設計されるはずであったが、コストの制約から自動車の対面通行に最低限支障のない程度の比較的狭い幅員で建設された。モイセイフはコストと構造合理化の両面を考慮し、橋の本体について、橋桁の寸法をごく薄くした野心的な軽量設計を採用した。当時最新の架橋理論によれば、これでも必要な強度は確保でき、強風にも耐えられると判断されていたが、専門家の一部にはこれを不安視する声もあった。 建設中からタコマナローズ橋は風のある日に大きく揺れ、たわみやねじれを露呈した。橋桁は上下方向に揺れ、路面はあるところでは高くなり、あるところは低くなる
発破は、昔から産業の発展に大きく貢献してきました。石炭、鉱石、石灰などの鉱物資源の採掘はもとより、ダム、発電所、鉄道、道路の建設など、その例を挙げると枚挙にいとまがありません。しかし、近年、経済発展に伴う社会情勢の変化が著しく、環境に対する意識改革が進むにつれて、発破による振動や騒音などが原因の環境問題が表面化するようになりました。 このような状況の中で、私たちの諸先輩はいろいろな発破技術を駆使することによって、騒音や振動にまつわる幾多の難しい環境問題を克服しながら、それぞれの工事で素晴らしい成果を上げて来られました。同時に、それらの貴重な経験を、いろいろな場所で、様々な形で発表して来られました。私たちは、意識改革が進んで環境問題が議論されている今この時に、諸先輩が残した貴重な記録を是非活用すべきであるとの考えに基づいて、小冊子「あんな発破 こんな発破 発破事例集」をまとめました。 小冊子
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イタリアではネームを考える時以外は大抵国営放送のラジオ番組RAI3を聞いているのですが、この局ではジャンルを問わない様々な音楽が聞けるだけでなく、文芸関連や映画、または政治等に関する時事問題の番組も多く、つけっぱなしにしているだけでかなり多元的な知識や情報を提供をしてもらえるので大変気に入っています。 先日いつも通りに朝起きてすぐにこのラジオを聞き始めたら、「今から50年前、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州のエルト・エ・カッソ渓谷の村のヴァイオントダムで起こった大惨事について」という、専門家を招いての座談会方式の番組が放送されている最中でした。 このダムは1960年に竣工された当時、堤高の高さが262メートルという当時世界で一番高いアーチダムとして注目を浴びていたのですが、その後1963年に天候不順が続く中隣接していた山が大規模な地滑りを起こし、膨大な土砂と岩盤が時速100km程度とされ
大分県 旧国道212号 内 容 点線国道紀行 点線国道を踏破するための簡単なガイド 大正国道紀行 (軍事国道編) 大正時代に制定された軍事国道めぐり 道路法令集 近代道路の成立を知るなら官報・県公報 意外な発見が多数 道路写真集 道の風景を壁紙風にまとめてみました Misc 簡単な自己紹介. Copyright(C) Shigeyuki Matsunami 1996-2014 japan.road.jp@gmail.com
明治31年に全道を襲った大洪水は人々の家屋、開拓した田畑のみならず、数多くの尊い人命までも濁流の渦へと巻き込みました。この大洪水を契機に根本的な治水計画の必要性が痛感され、北海道庁内に「北海道治水調査会」が設けられ、石狩川の本格的な基本調査が実施されました。そして、岡﨑文吉博士が治水計画である「石狩川治水計画調査報文」をまとめた翌年の明治43(1910)年、石狩川の本格的な治水事業は、北海道第1期拓殖計画の一環として石狩川治水事務所の開設とともに始まりました。この計画的かつ組織的な治水事業から平成22(2010)年で治水100年を迎えます。この間、先人達の努力の積み重ねにより、かつての石狩川低平地に広がる湿原は、治水事業などにより日本有数の穀倉地帯へと大きく変貌し、札幌市を始めとする市街地が形成されました。
「「動く大地」の鉄道トンネル」 ―世紀の難関「丹那」「鍋立山」を掘り抜いた魂― 交通新聞社 峯﨑 淳 2011年10月14日発刊 トンネル技術屋っていうは、真面目で、謙虚で、いかなる困難に遭遇しても、怯む事なく多感に対処し、克服する。至上の人間?そうかも知れない。筆者は、その姿勢や考え方に感動したのだろうか。他業種と人付合いが多いとは言えない私の人生でも、トンネル技術屋には実に頼もしい人が多い。 着工から完成まで16年【長さ7,804m、1918年着工、1930年北伊豆地震発生、1934(昭和8)年開通】、在来工法での断層との闘いの東海道本線丹那トンネル、着工から完成まで22年【1974(昭和49年)着工,昭和57年工事中止,昭和60年工事再開、1997(平成9)年開通】、膨張性地山を新技術を導入して施工した北越急行ほくほく線鍋立山トンネル、の稀にみる二つの難工事、これでもこれでもかと幾重
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