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災害と心象に関するwhaleboneのブックマーク (4)

  • 今日、30歳になった

    私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんをべ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。 私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。 私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いて

    今日、30歳になった
  • 神戸市:ごろごろ、神戸2「第3回 なだらかな起伏を駆け上がる」

    男はつらいよシリーズの最終作である「寅次郎紅の花」を見ていると、いささか唐突とも思える流れで1995年震災の年の長田区菅原市場周辺の風景が出て来る。実際は映画冒頭で、神戸でボランティア活動をしている寅さんの姿が描かれ、ラストに再びその時お世話になった人達の所に立ち寄るという話の流れがあるので、唐突というわけでもないのだが、物語の主な舞台となる奄美群島加計呂麻島(かけろまじま)ののどかな風景や登場人物達の恋愛模様の中で、やはり最後に差し挟まれる長田区のパートだけがいきなり、フィクションからノンフィクションの世界に引き戻されるような、圧倒的な現実感で寝ぼけた頭を殴られるような「唐突さ」を感じてしまうのだ。 19歳になったばかりの私は震災が起こったその日の早朝、ニュースの速報を見て何も考えずに実家のあった東大阪市からママチャリをこいで神戸に向かった。何時間かかったか覚えていないが、武庫川を越えた

    神戸市:ごろごろ、神戸2「第3回 なだらかな起伏を駆け上がる」
  • 潮の匂いは。 | 文芸部|宮城県石巻西高等学校

    5月26日(日)14:00~東松島市コミュニティセンターを会場に校吹奏楽部による「第35回定期演奏会」を実施しました。当日は230名以上のお客様に来場いただきました。校の校歌をはじめ、15曲を演奏しました。年々、来場したお客様に楽しんでいただくため、演奏の技術はもちろんのこと、演出にも趣向を凝らしています。来年も多くのお客様に楽しんでもらえるよう吹奏楽部の活躍に期待したいと思います。 5月24日(金)は各学年テーマにそって進路関係の学習に取り組みました。 【1年生:進路講話】 「適性診断」及び「来年度に向けた科目選択」について、リクルートの志田様から様々なことを教えていただきました。 【2年生:進路の手引きを活用した今後の進路対策について】 2年生は各クラス事、「進路の手引き」を活用して自分達の今後の進路活動を考える時間としました。 【3年生:進路分野別ガイダンス】 3年生は「私大」「

  • あれから2年。 - かくいうもの

    2年が経った。南三陸町に行ってきた。 俺は旅に出たのだ。前日は日中春めくどころか夏日にまでなるような気候が東京には煙霧を発生させ、仙台には春の予感だけを置き去りにして夜には雪が舞っていた。当然のごとく朝起きたらば空気は冬のそれに戻っていて、ただし澄んだそれだった。 仙台から東北線。小牛田から気仙沼線。柳津から先はBRT(bus rapid transit=バス高速輸送システム)で志津川へ。 2時間半ほどのローカル線+バスの旅。2年目の記録を求めて辿り着いた南三陸町。かつて街だったところで、また街になろうとしているところだ。俺はここで何を見ようとしたのか。カメラを持って知らない土地に行くただの観光にすぎない。そうやって割り切らないと足を踏み入れることに躊躇する。 昔の君のことを知りたいと思う気持ちより、これからの君のことをもっと知りたいよ。その為に今を生きよう、 というようなフレーズが湧い

    あれから2年。 - かくいうもの
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