精巧な造作で知られる大阪のフィギュアメーカー「海洋堂」の創業者で高知県出身の宮脇修さんが16日、大阪府内で亡くなりました。96歳でした。 宮脇さんは高知県出身で、旧満州、今の中国北東部の満鉄=南満州鉄道で勤めた後、昭和39年に大阪・守口市で模型店として「海洋堂」を創業しました。 その後、フィギュアメーカーに転換し、平成11年にはおかしの食玩のおまけとなった「日本の動物コレクション」が大ヒットし、その後、アニメのフィギュアなど精巧な造作で知られるようになりました。 宮脇さんと高知県はゆかりが深く、父親の出身地、四万十町に平成23年に「海洋堂ホビー館四万十」をオープンしたほか、令和3年にオープンした南国市の「海洋堂SpaceFactoryなんこく」に関わるなど、地域の活性化にも貢献していました。 会社によりますと、宮脇さんは16日、老衰のため大阪府内で亡くなったということです。96歳でした。
フジテレビの日枝久という人がいて、どうやら資本関係的には全然オーナーでもないのにすごい権力を握っているらしい(ホリエモンの買収を阻止するべく暗躍したのもこの人らしい)…という話は聞いた事ある人も多いんですが、一体何者で、どういう理由でそんなすごい権力を持っているのか?とかは知らない人も多いと思うんですよね。 で、フジテレビのこの問題に対する 『決定版』 と言ってもいいぐらいすごい本があるんで、それを紹介したいんですよ。 メディアの支配者(講談社文庫) 中川一徳 この本、フジテレビの歴史についてものすごくものすごく詳細にわかると同時に、とにかく単純に「面白い」ので、本当にオススメです。 この問題の「当事者w」の一人といっても過言ではない堀江貴文さんが、Newspicksの動画で特番みたいなのを組んでましたが… この動画で堀江さんや後藤さんをはじめとする出演者の人たちですら「これってどうしてこ
1975年宮城県生まれ。元SEでフリーライターというインドア経歴だが、人前でしゃべる場面で緊張しない生態を持つ。主な賞罰はケータイ大喜利レジェンド。路線図が好き。(動画インタビュー) 前の記事:自動ドアによくぶつかるので自動ドアの会社に相談してきた > 個人サイト 右脳TV 国民1人あたり年間2個燃やしている というわけで訪れたのは、大阪市淀川区に本社を置く株式会社ニイタカ。設立は1963年。業務用洗剤の製造販売を主力事業に、固形燃料も手がけている老舗企業である。 マーケティング部の荒木さん(左)、サステナビリティ・IR推進室長の古里さん(右)に話をうかがいました。 ニイタカの固形燃料「カエン」シリーズは、固形燃料におけるシェアは約7割。年間の生産数は約2億個にもなるという。 国民1人あたり、年間2個ほど燃やしている計算である。そんなに。 売れ筋の「カエン ニューエースE」。アルコール分の
2023年3月11日、東急の前身・目黒蒲田電鉄(以下、目蒲電鉄)の最初の開業区間である目黒―丸子(現・沼部)間の開業から100周年を迎えた。同社の創立は、開業前年の1922年9月2日であり、この日が東急の創立日とされている。 東急は、創立100周年に合わせ『東急100年史』を編纂した。1973年4月の『東京急行電鉄50年史』発行から半世紀を経て編纂された100年史は、当然のことながら新たな視点で執筆されている部分も多い。 『100年史』で見直した視点 100年史の編纂に当たった、東急広報グループ主査の竹内敏浩氏は、大学時代に交通地理・交通史の大家として知られた故・青木栄一東京学芸大学名誉教授のゼミで学んだ経歴を持つ。学生時代に東急50年史を読んで下記の点に違和感を覚えたといい、100年史の制作に携われるのならば、見直したいとずっと思っていたという。 「当社は成長の過程で、池上電気鉄道(現・
『日野自動車の100年【増補二訂版】』 世界初の技術に挑戦しつづけるメーカー 著者:鈴木孝(工学博士) 発行:三樹書房 定価:本体価格3800円(消費税除き) ISBN978-4-89522-721-8 2010年刊の日野自動車100周年記念版に新たな内容を加え、更に充実した増補二訂版が出版された。 本書は、日野自動車の全面協力のもと、膨大な資料から400点以上の貴重な写真・図版を収録して足跡をたどり、日野自動車の一世紀にわたる歴史を網羅。世界初のハイブリッドトラック・バスを開発したメーカーとしての姿だけでなく、それ以前の乗用車、航空機製造の様子も紹介している。そして、今回新たに、社内外の文献を調査して作成した年表と2010年以降の車両紹介を増補し、更に資料性を充実させたものだ。 日野自動車は1910年、東京瓦斯工業の名で千代田瓦斯会社の子会社としてガス灯用器具を製造したことが始まりだ。そ
長岡空襲関連史跡(※冬期間は積雪のため近付けない場所があります。) ①模擬原子爆弾投下地点跡地の碑(左近町、永代橋付近) ②柿川戦災殉難地の碑(柳原町、柳原公園) ③戦災殉難者慰霊塔(表町1、平潟公園) ④平和像(本町3、平和の森公園) ⑤長岡空襲爆撃中心点の碑(坂之上町3、明治公園) ⑥戦災殉難者之墓(四郎丸4、昌福寺) 1945(昭和20)年7月20日午前8時13分。左近町(当時は上組村大字左近)の畑に1発の爆弾が投下されました。 4人の人々が一瞬にして生命を失い、5人のけが人が出るとともに、全壊2戸のほか、残り29戸のすべての家が大きな損傷を受けました。 そのとき投下された爆弾は、1945(昭和20)年8月9日に長崎に落とされた原子爆弾と同型(パンプキン型)、同重量(約5トン)の、いわゆる模擬原子爆弾であったことがわかりました。本番前の投下訓練として長岡が選ばれ、津上(つがみ)製作所
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "前川喜作" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2012年3月)
政治的な理由で、現地法人の資産が接収されることは、歴史において珍しくない。では、差し押さえられたらどうなるのか?その後を見通すことはできるのだろうか?残念ながら未来は予測できないため、唯一可能なことは、歴史から個別ケースを学ぶことであろう。 歴史を振り返れば、約80年前、日本とアメリカは戦争をしていた。そして1941年12月8日未明の真珠湾攻撃の直前まで、アメリカ発祥のグローバル企業は、日本に進出してビジネスをしていた。戦前の日本国内のミシン市場はシンガー社が独占し、自動車市場ではフォードとGMの2社がシェアを独占していた。今では信じられない話だが、そのような時代があった。 つまり、戦前に日本へ進出していたアメリカ企業が、どのような顛末を迎えたかをみれば、「接収された資産のその後」について、参考になるだろう。今回は、1920年代から1930年代を舞台に、当時、グローバルな自動車メーカーであ
戦時中川崎市にあった新丸子、住友電気(現日本電気)真空管工場について調べている。この工場に秋田県本庄家政女学校学徒動員女子挺身隊が働きに来ていました。このことについて教えて欲しい。 ヒント:労働科学研究所の当時の雑誌「職場の実践」昭和19年10月に取り上げられ、懇談会の様子が記事になった。(取材済)「少女の友」昭和20年2月号にも取り上げられている。 日本電気の社史を中心に調べたところ、質問の「住友電気真空管工場」は、戦時中に日本電気が社名を一時変更した住友通信工業の、玉川向製造所であると思われる。軍需工場に指定された玉川向(たまがわむかい)製造所が、地方からの女子挺身隊を受け入れていたという記載は複数の資料に見られるが、秋田県本庄家政女学校の名前は見つからなかった。 以下は調査した資料 『日本電気株式会社百年史』日本電気、2001 第4章第3節「軍需生産への転換と生産現場の混乱」に、女子
エンジニアリング会社で、それなりに長い間、働いてきた。昨日、4月1日は入社式の日だ。自分のときもそうだった。考えてみるとずいぶん昔のことだが、なんだか、ついこの間のようにも感じる。 率直に言うと、同じ会社でこんなに長く働くとは思っていなかった。エンジニアリング会社は受注産業だ。仕事が取れなくなれば、すぐに倒産する。入社したときに、「この会社は3年もつだろうか」と思ったことを記憶している。 長く働く間に、わたしも人並みに「よそに転職しようか」と思わなかった訳ではない。だが、製造業にも建設業にも、コンサルティング会社にもIT企業にも転じなかったのは、やはり「エンジニアリング」という仕事に、それなりにこだわりをもっていたからである。
エアマイクロメーターの誕生 日東工器の創業者である御器谷俊雄(みきや としお)は、長兄が経営し、金属プレートの銘板などを大手重工会社へ製造販売していた御器谷メタル工業(東京都大田区久が原)の社員でした。東京工業大学の石原誠一郎博士のご指導を受け、エアマイクロメーターを完成させ、御器谷メタル工業より販売を開始しました。 エアマイクロメーターとは 電気を使わずに空気の圧力差を利用して1ミクロン(1,000分の1㎜)単位で、孔の内径や丸棒の外径などを非接触で測定できる高精度な測定器です。ディーゼルエンジンのシリンダー摩耗形状の測定器として、日本国有鉄道(現JR)で採用されたのをはじめ、電気機械メーカーなどでも使用されていました。 エアマイクロメーターから生まれたモノ 1956年10月22日、御器谷俊雄は独立し日東工器を創業しました。 日東工器の最初の製品が「SP型カプラ」です。エアマイクロメータ
リサーチャー・白土晴一さんによる連載「東京そぞろ歩き」。今回は東京都下の多摩川流域に足を伸ばし、JR青梅線沿線で立川から2駅先の東中神駅から西立川駅までの街並みを語り/歩きます。戦前の近代建設期から戦後の高度経済成長期にかけ、海外の最先端の都市計画家らの思想に学びながら、ランカイ屋やデベロッパーたちが緑ゆたかな武蔵野に思い描いたニュータウンの夢の跡とは? 「そぞろ歩き」の達人の眼が掘り当てます。 「東京そぞろ歩き」のこれまでの連載記事は、こちらにまとまっています。よかったら、読んでみてください。 JR中央線の地場産業はアニメと思えるくらい、中央線沿線にはアニメスタジオが多い。 アニメ制作に関わるようになれば、脚本や美術設定などの打ち合わせで、自然と中央線のいろんな駅に降りるようになる。もっとも、最近はリモート会議も増えているが。 それでもスタジオの多くがあるのは、新宿駅から立川駅くらいまで
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