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長岡空襲関連史跡について
長岡空襲関連史跡(※冬期間は積雪のため近付けない場所があります。) ①模擬原子爆弾投下地点跡地の碑(... 長岡空襲関連史跡(※冬期間は積雪のため近付けない場所があります。) ①模擬原子爆弾投下地点跡地の碑(左近町、永代橋付近) ②柿川戦災殉難地の碑(柳原町、柳原公園) ③戦災殉難者慰霊塔(表町1、平潟公園) ④平和像(本町3、平和の森公園) ⑤長岡空襲爆撃中心点の碑(坂之上町3、明治公園) ⑥戦災殉難者之墓(四郎丸4、昌福寺) 1945(昭和20)年7月20日午前8時13分。左近町(当時は上組村大字左近)の畑に1発の爆弾が投下されました。 4人の人々が一瞬にして生命を失い、5人のけが人が出るとともに、全壊2戸のほか、残り29戸のすべての家が大きな損傷を受けました。 そのとき投下された爆弾は、1945(昭和20)年8月9日に長崎に落とされた原子爆弾と同型(パンプキン型)、同重量(約5トン)の、いわゆる模擬原子爆弾であったことがわかりました。本番前の投下訓練として長岡が選ばれ、津上(つがみ)製作所
2022/10/04 リンク