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2013年7月5日のブックマーク (6件)

  • 飛行機発明前の紙飛行機の呼び方

    飛行機が発明される前、紙飛行機は何と呼ばれていたのでしょう? 電話が発明される前の糸電話の呼称も気になります。 — 安眠練炭 (@aNmiNreNtaN) June 8, 2013 こんなツイートがRTで流れ […] 飛行機が発明される前、紙飛行機は何と呼ばれていたのでしょう? 電話が発明される前の糸電話の呼称も気になります。 — 安眠練炭 (@aNmiNreNtaN) June 8, 2013 こんなツイートがRTで流れてきました。「飛行機が発明される前、紙飛行機は何と呼ばれていたのでしょう?」 考えたこともなかったですが、これ面白い疑問ですね。飛行機がなければ紙飛行機と呼ぶはずもないので、何かしら名前があったはず。 英語でいろいろ検索したのですが、なんとか見つけたのは、比較的質が良いといわれている英語のQアンドAサービスQuora。 # Quoraについては個人ブログの方でこんなことを

    飛行機発明前の紙飛行機の呼び方
  • オーニソプター - Wikipedia

    飛行する模型オーニソプター オーニソプター(英: ornithopter)とは鳥やコウモリ・翼竜・昆虫のように翼を羽ばたかせることによって飛ぶ航空機のことである。日語では鳥型飛行機、羽ばたき式飛行機、はばたき機などと訳されることもある。 概要[編集] 航空史の黎明期に開発された飛行機械は、大半が鳥のように羽ばたくものであった。かつて、人類が眼にした自由に空を飛ぶものといえば鳥や昆虫であり、こうした生物は羽ばたき飛行を行っている。ゆえに人々が飛ぼうとするとき、羽ばたきを選んだのはごく自然なことだった。 しかしながら、鳥は単に翼を上下させているのではなく、翼自体を変形させつつ複雑に羽ばたくことで揚力と推力を同時に得ている。当初は鳥の飛行の原理が充分に理解されていなかった上に[注釈 1]、鳥の羽ばたきを機械で模倣するのは技術的にも困難であった。また、人力か動力のいずれにしろパワーウェイトレシオ

    オーニソプター - Wikipedia
  • 裁判の「公開」とは何か~法廷メモを解禁させたレペタさんに聞く(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    の裁判所では、かつて傍聴人のメモが禁じられていたことを知っているだろうか。許されていたのは、司法記者クラブ用の「記者席」に座った記者だけ。フリーランスの記者やノンフィクション作家を含めた一般傍聴人は、開廷中、メモも取らずにじっと座っているしかなかった。この状況を変えるために立ちあがったのが、アメリカ人の弁護士で日の司法制度を研究していたローレンス・レペタさんだった。それから30年。法廷で公開された映像をNHKに提供した弁護士が懲戒請求をされるような日の現状に、レペタさんは「日は30年経っても変わりませんね」とあきれ顔だ。 メモの騒音で裁判ができない?!レペタさんは、日の国際交流基金から奨学金を受けるなどして、日の経済法を研究していた。その一貫として、仕手集団「誠備グループ」の脱税事件に注目し、裁判の傍聴を重ねた。日語でメモが取れる語学力はあった。ところが、裁判所はレペタさん

    裁判の「公開」とは何か~法廷メモを解禁させたレペタさんに聞く(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • http://www.tsukuba.ac.jp/wp-content/uploads/press20130628Cambodia.pdf

  • スリック史(その3) - スリック株式会社

    1958年の「日カメラ年鑑」には、マスターよりも大型の機種として「スタジオプレス」という製品が掲載されています。また、スタジオ用大型スタンドというスタンドも1960年代のごく初期のみ製造されていたようです。これらの製品も数年で淘汰され、マスターの大型判ともいえる「プロフェッショナルデザイン(初代)」が1961年にデビュー。 大型・中型・小型のラインナップが揃うこととなります。 1960年代のスリックは海外への輸出もスタートし、アメリカでは、消費者向けの評価を書いた雑誌「コンシュマーレポート」で、フランスの高級三脚メーカー「ジッツオ」を超えてスリックが高評価を得ました。スリックのアメリカでの販売は、「バーキーマーケティングカンパニー(BMC)」が行いました。 スリックは後年BMCの崩壊により、1990年代にスリックアメリカを設立、さらにスリックアメリカをトーカドアメリカ(ストロボの「サンパ

  • スリック史(その1) - スリック株式会社

    スリック史 スリック三脚の歴史は、一人の技術者であり、事業家であった一人の人物、白石尚稔(しらいしたかとし)氏の創りあげた、一台の三脚からスタートしました。 白石氏は第二次大戦中、18才のとき航空機の設計に関わる仕事をし、過去にはこの年(1943年)をスリックの起源としていたこともあるようです。(スリックが1978年頃発売した「88D」にはEstablished in 1943と製品に記載していました) 1948年、白石氏が23才のとき、当時アメリカ軍が持ち込んだアメリカ製のアルミ軽合金三脚「ハスキー」を手に試作品を完成させました。白石氏は写真愛好家で、カメラを自分で作って販売したい、という希望がありました。しかし、カメラではなくアルミ三脚を作ったことから、その後三脚を作って販売する会社「合資会社白石製作所」を立ち上げます。 1948年というのは、現存するメジャー三脚ブランドのスタートか