1958年、大分県と県境にある小国町の集落にダム建設(下筌(しもうけ)ダム)の話が起きた。なんとなればその前年の未曾有の大雨が筑後川を氾濫させ、久留米市などで死者150名余をだす大災害となり、治水のために上流のダム建設が必要とされたからだった。ここで起きたのは、地主の室原智幸。かれは集落の約40戸200人の住民の指導者となり、以後十数年後の死亡の日まで、ダム建設反対運動を行ったのだった。その奇想天外な運動は、(1)ダム建設予定地の崖に数十の小屋と渡り廊下を造り、そこを砦としたこと(その土地の名と流行の映画タイトルから「蜂の巣城」と呼ばれ、大島渚がTVドキュメンタリー「反骨の砦」を撮影した)、(2)80件余の訴訟を起こし、法廷闘争を行った、(3)アヒル、牛、馬などを現場に放ったり(一羽でも行方不明になれば、損害賠償請求訴訟を起こす)、立ち木の所有者を多数にし頻繁に変更する(立ち木の伐採には全