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ブックマーク / homepage3.nifty.com (53)

  • レンズ外し

    壊れたカメラや双眼鏡は自作用レンズの良い供給源です。 でもレンズを外すのは結構、大変ですね。 光学機器のレンズは、押え環と呼ばれるリング状のネジで固定されています。 押え環で固定されたレンズ この押え環を外そうとしてスリ割り部分にドライバーなどを当てて回そうとした経験がある人も多いでしょう。 これは押え環が傷だらけになるだけで、うまくいきません。 この押え環を回す工具としては、カニメとか開螺器(かいら き)と呼ばれるものがあるのですが、専門的すぎて一般に売られる事は無かったようです。 カニメの自作 カニメを作る手もあります。1mm厚程度の金属板を押え環の直径に合わせた幅に切って作るのです。 写真の大きな方は、10cm対物レンズ用に作ったもの。 小さい方は宮内光学製の口径4cmの望遠鏡組み立てキットに入っていたものです。 金属に円を描くためのケガキコンパスを使った自作方法が天文ガイド

  • 風車ノート

    whalebone
    whalebone 2016/01/10
    別ページに文献リストあり
  • 傑作選02

    死んでは花見が出来ないし、さよならだけが人生音楽現代1995年7月号 原田力男氏の訃報を聞いたのは去る3月25日の夜。高久暁くんからの電話でだった。 そう言えば、原田さんと最後に話したのも、昨年春、妹がガンで死んだことを書いた私の原稿を読んでかかってきた十年ぶりの一の電話だった。その時、彼は妹の病名を聞いて、「ボクも同じだよ」と言っていた。 それから一年後の1995年3月22日、原田さんは亡くなった。享年56。亡くなって初めて私は彼の歳を知った。 * 原田さんと初めて会ったのは1975年10月だから、もう20年も前のことになる。私は大学を中退して無職無収入のドン底をはい回っていた22歳のころだ。 そのころ作曲を私淑していた松村禎三氏から紹介された原田さんは、ピアノ調律師という仕事のかたわら「プライベート・コンサート」と銘打ったミニ・コンサートのプロデュースを企画していると言

  • book3

    難しいことなんか知らなくたって望遠鏡は作れるけど,基は光学.少しは知っ ておきたい. でも,普通の光学書は完全に数式の世界...シッポを巻いて逃げ出したいとこ ろだけど,やさしく書いた もあります. ありがたい. 図解入門 よくわかる 最新レンズの基と仕組み 桑 嶋幹 著 秀和システム 第3刷 2006年 1400円(税別)  基礎的なことから,レンズの製作方法,応用機器,はては最新の回折レンズに至るまで書かれた守備範囲の広いです。 基的に読みやすく,分りやすいですが,図解と式を併用した部分だけは,学校を出て月日が経った頭には,正直ちょっと難しかった・・・。 各収差の補正方法に簡単に触れており,興味深い。 天文アマチュアのための 新版「屈折望遠鏡光学入門」吉田正太郎著 誠文堂新光社 初版 2005年 2800円(税別) 絶版が惜しまれていた旧著をベースにした待望

  • index

    歴史のある文庫や新書の最後のページを見ると発刊の辞という文章が書かれている。文庫や新書を発刊したときの、発行人の意気込みが熱く語られて いる。プロの出版人が書いただけあって、含蓄のある文章が多い。読んでいると、日の敗戦の精神的な痛手が如何に大きいものであったか、焦土と化した国を と言う文化的なメディアでもう一度興していこうという志が読み取れる。何もかもが充足しているように見える現代社会において忘れ去られていたものがここ にある。 ------------------------------------- 若い読者に  童話屋 田中和雄 僕たちが住んでいる地球は、広大な宇宙の太陽系第三惑星と呼ばれる青い星・・・美しい楽園だ。楽園には摂理がある。春が来て冬が来る、朝があって夜 がある。鳥はうたい、木は繁り、果実は実る。人は生まれ、生き、死ぬ。億という歳月をかけて地球は楽園になった。

    whalebone
    whalebone 2015/04/16
    『文庫本や新書本の刊行の言葉集』
  • 彫刻回帰線

    野外彫刻の歴史 柴田葵 (初版掲載:2008年7月1日、改訂:2009年1月3日) 1.記念碑(紀念標)と銅像 我が国において、彫刻作品を野外の公共空間に設置するという行為は、一体いつ頃から始まったものであろうか。ここでは、近代以前の石碑や仏像等の系譜についてはいったん措き、近代以降の彫刻作品に照準を絞って検討を進めていきたい。 その際常に留意する必要があるのは、はじめに「彫刻」ありきでそれが野外へと進出するようになったわけではなく、近代日における「彫刻」概念の社会的成立と、それが野外へ進出していく過程とは、むしろ同時並行的になされたものであるということだ*[1]。西洋近代的な「彫刻=sculpture」という概念が成立するまでに、我が国においては一定の時間と紆余曲折とを経由せねばならなかった。欧米の「sculputure」の訳語として「彫刻」という言葉が我が国で公的に初めて用いら

  • 事故と安全対策の歴史

    2005年4月25日9時18分、福知山線尼崎~塚口間で発生した事故は近年稀に見る大事故となりました。鉄道の安全性をも揺るがすこの事故は鉄道に対し多くの課題を突きつけることとなりました。今回とりだたされている問題は、企業体質と新形ATS(ATS-P)です。 鉄道事故はその犠牲のひきかえに安全への対策を繰り返す歴史でもあったのです。今回の特集では、主に国鉄における過去の事故とその事故によって講じられた対策について述べてゆきます。なお、対策に重点を置いているため、重大事故であっても掲載していない事故も数多くあります。発生している事故はこれだけでないことを、先に述べておきます。 山陽線特急転覆事故 大正15年(1926年)9月23日3時28分、山陽線安芸中野~海田市を走行していた第1特急列車(11輌・木造客車)が、豪雨により築堤が崩落し宙吊りとなっていた線路に進入して機関車以下客車6輌が築

  • 専攻分野反転の法則

    増田が提示しておりますところの電子文書 日つらつらと考えたること 99-05-27 専攻分野反転の法則 99-04-01 生涯の10枚 99-03-18 たとえば、オレが死んだら 99-01-25 J=J・ナティエ『音楽記号学』(春秋社)再読の覚え書き 99-01-18 著作権制度と「作者の権利」 99-01-11 絶対音感とポラロイドカメラ トップページに戻る 「つらつら」インデックスへ 99-05-27 専攻分野反転の法則  院生稼業をそこそこの期間やっていると、それぞれの研究分野によって人格類型がなんらかの一定の傾向を示している事実に気づくことになる。ワタクシはさまざまな分野の学生・研究者と大酒を呑んできた経験から、とある法則をかねてより持論として見いだしてきている。それは「専攻分野反転の法則」とでも呼べるものである。  例えば、不肖ワタクシめが身を置く音楽

  • 大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算

    このドキュメントは科学技術庁が日原子力産業会議に委託した調査の報告書です。1960年にまとめられたようです。 一般に入手可能な複数の文献で紹介されているにも関わらず、長い間、この文書の附録の存在は謎でした。科学技術庁に問い合わせても、この調査の存在そのものを否定された方もいらつしゃるようです。しかし、1999年、ついに科学技術庁はこの文書の存在を認め、一般に公開しましたので、早速入手しました。当時の科学者の非常なる力作ですので、お蔵入りさせては申し訳無いので、今後利用しやすいよう HTML 形式に直しました。 オリジナルは和文タイプのようでして、ページ番号が振つてありますが、HTML の特性上、ページは不用と判断し、章毎、乃至は区切りの良い場所でファイルを分けてあります。この変更に伴い、一部脚注等、体裁の変更を行つています。誤字と思われるものは原文のまま残してあります。 この文章を引用等

  • 未来派

    未来派とは、1909年、イタリアのミラノで始まった総合的な芸術運動。芸術に留まらず、政治、生活と多岐面にわたり展開される。中心となったのはマリネッティで、ボッチョー二、ルッソロ、バッラなど多くの芸術家が賛同し運動に加わった。美術、音楽、文学、演劇、建築、映画、写真などあらゆる分野における、近代19世紀における伝統的枠組みの破壊と、文明の最先端を目指す。過去との決別と、未来への展望を謳った「未来派宣言」を発表する。 マリネッティによる未来派宣言 一、 吾等の歌はんと欲する所は危險を愛する情、威力と冒險とを當とする俗に外ならず。 二、 吾等の詩の主なる要素は、膽力、無畏、反抗なり。 三、 從來詩の尊重する所は思惟に富める不動、感奮及睡眠なりき。吾等は之に反して攻撃、熱ある不眠、奔馳、死を賭する跳躍、掌を以てすると拳を以てするとの歐打を、詩として取り扱はんとす。 四、 吾等は世界に一の美なるもの

  • 雑感635-2013.4.14「セメント工場を見学して -セメント産業の進化に驚いた-」 - J. Nakanisi Home Page

    雑感635-2013.4.14「セメント工場を見学して -セメント産業の進化に驚いた-」 4月12日、私は研究所の数人と太平洋セメント埼玉工場を見学させてもらった。セメント産業の一部は、すっかり廃棄物リサイクル産業に変わっていることを実感した。こう書くと今更なんだと言われるに違いない。 エコセメントという言葉は氾濫していたし、セメント工場では、塩ビ廃棄物、下水汚泥などがキルンに投入されている現場を、私自身、何回も見学してきた。しかし、廃棄物を燃料に使っている、または、セメントの質に害がない程度に焼却をしている(高温の炉を運転しているので)という理解だった。 しかし、違うのです。もっと、深いものがあった。今回訪問した埼玉工場は、日高市にあった。西武池袋線で池袋から50分くらいの飯能(はんのう)という駅で降りて、タクシーで25分くらいの所にある。 日高市には家庭ごみ処理施設がない 日高

  • 多摩のジョギング道−戦車の轍を辿る道・尾根緑道

    町田市の南西部を東西に走る町田街道、その街道の北側に横たわる多摩丘陵の稜線 上に一条の緑道がある。尾根緑道という。標高数十mばかりの低いなだらかな丘陵 の尾根道にはゆったりとした遊歩道が整備されている。丘陵を取り巻く景観は稀に 見る素晴らしさで、かつての雑木林の風景はもちろん、丘陵裾野に広がる市街地の 風景がまた絶景である。運がよければ富士山さえ遠望することが出来る。 ところでこの尾根道はかつては戦車道路と呼ばれていた。先の戦争中、相模原にあ った軍需工場で製造された戦車が実戦に供される前のテスト走行ルートとして使用 されたのだ。週に一度程度の頻度で走行した模様だ。ノモンハンでソ連軍の近代装 備の前に大敗した帝国陸軍は、欧州でのドイツ機甲師団による電撃作戦のすさまじ い戦果をみて、ようやく戦車の重要性を認識し開発を急いだようだ。 真新しい戦車がキャタピラーの音を丘陵にこだまさせつつ、土

  • 光の不思議と応用

  • 工学関係の雑学

    作成2011.10.18~ 工学関係の雑学について記載してみたいと思います。 1章:メートルネジの規格、締付けトルクと推力に行く。 2章:摩擦力の話に行く。 3章:摩擦力の制御に行く。 4章:粘度の話に行く。 5章:粘性流体の応用に行く。 6章:オイルダンパの粘性抵抗理論検討に行く。 7章:加圧によるレジスト流動に行く。 8章:弾性率(ヤング率)の話に行く。 9章:梁の曲げに行く。 10章:断面2次モーメントの計算に行く。 11章:台形近似積分による梁の撓み解に行く。 12章:せん断応力と組合せ応力に行く。 13章:円筒の応力と変形に行く。 14章:2次元応力を考慮した平板の曲げに行く。 15章:円板の軸対称曲げに行く。 16章:コイルバネの話に行く。 17章:座屈の話に行く。 18章:鉄鋼と熱処理の話に行く。 19章:硬さ試験方法の話に行く。 2

  • 熱力学と流体

    作成2012.06.19~2012.09.17 1章から40章までが純粋の熱力学です。 41章から65章までが流体です。 1章:熱力学の基パラメータの記号と単位に行く。 2章:気体の基礎方程式と熱力学の第1法則に行く。 3章:気体の比熱に行く。 4章:内部エネルギーに行く。 5章:気体のエンタルピ[i]に行く。 6章:仕事エネルギーとpv線図に行く。 7章:等容過程に行く。 8章:等圧過程に行く。 9章:等温過程に行く。 10章:断熱過程に行く。 11章:カルノーサイクルに行く。 12章:熱力学の第2法則とエントロピに行く。 13章:エントロピの代数解に行く。 14章:Ts線図に行く。 15章:オットーサイクル(otto cycle)に行く。 16章:ディーゼルサイクルに行く。 17章:空気圧縮機とポリトロープ過程に行く。 18章:気体の流れによる

  • 丹那断層 〜トンネル掘削中に動いた断層〜

    丹那断層    〜トンネル掘削中に動いた断層〜                       (2009年1月) 熱函道路から西側を見下ろした丹那盆地。写真右側が北方向。 1.丹那断層の位置と地形 丹那断層の地形 丹那断層は伊豆半島北部の「つけ根」を南北に走る断層。左図の中央に見える丹那盆地から上下に走る断層地形が非常に明瞭です。北側は箱根の芦ノ湖付近まで、南は修善寺付近まで、何か並行して、あるいは雁行して走る断層帯となっています。 北伊豆地震と丹那トンネル 丹那断層をなにより有名にしたのが、1930年(昭和5年)11月26日午前4時2分に発生した「北伊豆地震」です。マグニチュード7.5、最大震度6の地震をもたらしたのが丹那断層。地表に2メートル以上の明瞭ない違いを生じただけでなく、断層が動いたその瞬間、その地下では東海道線の新たなルートとして丹那トンネルが掘削中だったのです。

    whalebone
    whalebone 2013/01/01
    芦ノ湖三杯分の水が抜けたとか。
  • 旧阿部倉トンネル ~変わってしまった三浦半島~

    謎の阿部倉トンネル 私が高校生だった1970年代後半、地元の三浦半島にある謎のトンネルを見に行こうとクラスの仲間と探検に行ったのが「阿部倉トンネル」。 戦時中につくられ、軍関係の輸送に使われたトンネルと思われますが、すでに70年代には道は軽自動車がようやく通れるか通れないかの農道以下の散策道でした。 場所は三浦半島最高峰の大楠山の東側の谷筋を刻む松越川沿い。地形図にはしかし、しっかりとトンネルの記述があります。 半島を横断する、ほとんど使われていない道とトンネルが存在することは、当時の私にとっては実に不思議で興味を引くものでした。 左図のアルファベットは下記の撮影場所(と思われる)。 なお、左は1996年の国土地理院2万5千分の一地形図を利用した「活断層図」。 http://www1.gsi.go.jp/geowww/themap/fm/index.html 現在は産廃処分

  • 特集:板橋区の光学産業 153 板橋区の光学の歴史 −双眼鏡を中心に− (1)東京光学機械の設立 −板橋区光学産業のあけぼの−  明治・大正の近代日本において、双眼鏡は趣味やレ ジ��

  • 毒ガス島歴史研究所

    作成 1996.11.9 更新 2006.9.18  http://homepage3.nifty.com/dokugasu/ もくじ 毒ガス島歴史研究所とは 大久野島の歌 毒ガス島歴史研究所の活動 戦争の被害と加害の事実を広く伝えるために、大久野島の戦争遺跡めぐりの案内をしています。ご希望の方は、ご連絡ください。 毒ガス島歴史研究所・簡易掲示板 みなさまからのお便り、ホームページをごらんになっての感想、意見などを書き込んでください。 大久野島戦争遺跡案内板 戦争遺跡案内板<遺跡の写真と解説、証言とのリンク、案内図(解説にリンクしています)>です。概略を知りたい人は、こちらの案内板をごらんください。 伝言 ホームページ版 2000年4月から翌年5月にかけて、村上初一さんの案内で行われたガイド養成講座を、会報特別号としてまとめました。最初に、「大久野島 一九二七年〜一九四七

  • J. Nakanisi Home Page - 雑感370-2006.12.12「米国リスク解析学会に出席して、新しい空気を吸入-SRA2006(ボルチモア:12月3~6日)-」

    whalebone
    whalebone 2012/07/04
    『研究者の社会で、無能という烙印ほど辛いものはない。「有能だけど不遇だ」などと言われているうちはまだよいが、不遇が続けば無能になる』