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patentと社史に関するwhaleboneのブックマーク (4)

  • 日本人らしさでもって戦後の統治政策を変えた者達

    史で語られない歴史はいくつもあるけど、特に戦時中と戦後はひどいもの。 そしてそれらを知らないマスコミといった存在はとある会社を頭ごなしに「米国への送金機関」などと言ったりする。 真実の歴史を正確に知っているものなら、なぜ日政府が必死でこの会社を生かそうとするのかわかるはずだ。 なんたってこの会社は、誠実さと約束を守るという2つの行動によってとある米国の大企業の心を揺り動かし、戦後の統治政策を大幅に転換させる行動を起こさせたからだ。 これは紛れも無い事実であり、日史では決して語られない真実の記録。 太平洋戦争中にアメリカの最新技術を3000件も「特許出願」して「特許登録」させようとした者達の記録。 「なんで戦争中なのに敵国の最新技術を登録するんだ? というか出来るんだ?」 「なんでそもそも敵国の最新技術が日にあったんだ?」 きっと君達はこれを読んだら知ることになるだろう。 様々な思

    日本人らしさでもって戦後の統治政策を変えた者達
    whalebone
    whalebone 2017/10/25
    ISBN:4641164819
  • 今更零戦ですが、特許料を米国に払っていたのですか? - OKWAVE

    下記の閣議決定に基づいて、合法的に(?)踏み倒していたと思います。 敵性特許権処理要綱 https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00395.php どのような特許が対象になったのかは、下記に一覧があります。 敵性特許権集覧 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124402 詳細は覚えていませんが、戦時中の、昭和17年6月19日の東京日日新聞(現在の「毎日新聞」)に、敵性特許の扱いについてコラムがあったはずです。大きな図書館に行けば、毎日新聞のマイクロフィルムあるいは毎索(マイサク)で閲覧できるでしょう。日付は1日前後の異同があるかもしれません。

    今更零戦ですが、特許料を米国に払っていたのですか? - OKWAVE
  • チェスター・カールソン - Wikipedia

    チェスター・フロイド・カールソン(Chester Floyd Carlson、1906年2月8日 - 1968年9月19日)は、アメリカ合衆国の物理学者、発明家、弁理士で、ワシントン州シアトルで生まれた。 謄写版を使った湿式ではなく、乾式複写で使われる電子写真法を発明したことで知られる。カールソンの発明した製法は後にゼログラフィと命名され、「乾式複写」の代名詞となった。 幼年期[編集] カールソンが幼い頃、両親ともに結核を患い、父は背骨の関節炎に悩まされていた。それらの病気のため、カールソンは幼い頃から働いて家計を助けていた。17歳のとき母が亡くなり、27歳のときに父が亡くなっている。 「幼い頃から必要に迫られて学校に行っている間以外は働き、そういう時間の中で自分自身で工夫し、物を作り、実験し、未来の計画を立てた。トーマス・エジソンや他の成功した発明家の話を見聞きし、経済的成功をもたらし、

  • コルト・ファイヤーアームズ - Wikipedia

    コルト・ファイヤーアームズ(英: Colt Firearms、通称コルト)は、世界初のシングルアクションリボルバーを発明した陸軍大佐サミュエル・コルト(1814年7月19日 - 1862年1月10日)の興したアメリカ合衆国の銃器メーカー。創業は1836年。当初の社名は「Colt Patent Firearms」(コルト特許火器)。 コルト社は拳銃のほかに有名なM16やM4カービンなどを生産しており、同じアメリカの銃器メーカーであるスミス&ウェッソン社(通称S&W)とはライバル関係にある。 歴史[編集] 一般的にはコルト社がリボルバー(回転式拳銃)を開発したとされているが、サミュエル・コルトによる開発以前からリボルバーは存在していた。ただ従来のリボルバーは撃鉄を起こし、シリンダーの位置を合わせ、トリガーを引くという、原始的な完全手動式機構ものしか存在せず、連射や速射が困難であった。またコルト

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