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  • 『JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 国鉄からJRへ』

    鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る? blackcat こと加藤好啓です。 現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。 随時更新予定です。 1987年4月1日JR各社発足 JRは1987(昭和62)年4月1日、日国有鉄道を民営化することで発足した民間会社であり、今年の4月で35周年を迎えたことは, 皆さんもよくご存じのことと思います。 それまで全国一社体制であった国鉄は、1987年4月1日を以て、地域毎6社に分割された旅客会社と全国1の貨物会社、それ以外に鉄道技術研究所がJR総研に、鉄道電話のシステムはJR通信、マルスなどの管理はJRシステム、更に新幹線保有機構と呼ばれる組織が新たに設置される分割民営化が実施されました。 元々の国鉄と言う組織は、「清算事業団」と言う名称に変更となり、JR

    『JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 国鉄からJRへ』
  • 国労中央本部の指示が届かない?指令ボイコット及び指令以上の過激な行動する分会も・・・・一枚岩ではない国労を露呈 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    再び2ヶ月ほど空けてしまいましたので、改めてアップさせていただきます。 政府が国鉄の労働者処分を検討していると思われる発言をして物議を醸すことに 前述の通り、国鉄で行われた抜き打ちストなどに対して、処分が検討されていたわけであるが、当時の労相、松浦周太郎は以下のような発言をした。 労相の松浦周太郎は、32年5月3日、名古屋での記者会見で「国労の解雇処分は、40人、31人、18人という3案がある。処分するにも革同派と民同派のバランスを考えている。他の公社には解雇は出ないだろう」と語った。各新聞は大きく報道した。「調停案や仲裁裁定をめぐる問題で、公社当局をおさえて全面に出てきた政府は、処分まで自分の手でやる気でいるようだ」と国鉄当局の話題になった。*1 国会でもこの問題は話題に 結局、この労相の談話は、国会内でも問題となり、特に社会党からはこのような発言以前に、仲裁裁定がきちんと行われていない

    国労中央本部の指示が届かない?指令ボイコット及び指令以上の過激な行動する分会も・・・・一枚岩ではない国労を露呈 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
  • 国鉄労働組合史詳細解説 141 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 気がつけば二ヶ月以上も放置状態になっておりました。 申し訳ございません。 改めて、仁杉総裁更迭の頃からのお話をさせていただこうと思います。 国鉄改革の推進役として古巣の国鉄へ 仁杉総裁は、昭和58(1983)年12月2日、第9代国鉄総裁として就任しましたが、その後中曽根首相[当時]に、国鉄改革に関して積極的で無いとして、電撃的に解任されることとなり、反対派の常務理事の辞表とりまとめて辞任することになるのですが、その前に簡単に、仁杉総裁の経歴を振り返ってみたいと思います。 大正4年5月7日 生誕 昭和13年3月  東京帝国大工学学部土木工学科卒業 昭和13.4    鉄道省入省 任鉄道技手、建設局 昭和27. 2      運輸総局施設局土木課 昭和28. 6      大阪工事事務

    国鉄労働組合史詳細解説 141 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2022/10/02
    国鉄労働組合史詳細解説 141 - 日本国有鉄道 労働運動史 https://whitecat-kat.hatenablog.com/entry/2022/10/02/212908 今回は仁杉総裁就任から辞任までを駆け足で見ていきます #国鉄改革 #国鉄問題 #仁杉巌総裁 #国鉄 #JR
  • 生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争) - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    動労と生産再運動と言うことを検討する前に、もう少し時代を遡って、動労による機関助士反対闘争についてもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。 動労の行った機関助士反対闘争とはどのようなものだったのか? 動労による機関助士反対闘争は、昭和42年3月に国鉄当局が5万人合理化の一環で打ち出したもので、 国鉄各組合に五万人の合理化案を発表 3/31 国鉄当局、三労組に対し第三次長期計画のための近代化・合理化案を提示。国労・動労、「合理化」案に対し断固撤回を求めると抗議声明 3/31 ということで、特に機関車乗務員を多く擁する動労では、EL及びDLにおける機関助士の反対運動を強く打ち出していました。 そして、この運動はた昭和43年9月20日, 「安全問題については,第3者による調査を依頼し, その答申を尊重し、労働条件については協議して きめる」ということで当面の集約が行なわれたと以下のように記され

    生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争) - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
  • 国労と賃金闘争の話、業績手当支給に政府が介入して大混乱を招くことに - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    三ヶ月近く更新もままなりませんでしたが、改めてアップさせていただこうと思います。 今回は時系列的に行けば新潟闘争そしてその前の白新線での要員問題などになるのですが、同じ話を繰り返すのもあまりよろしくないので、今回は一気に駒を進めて新潟闘争以降の話しに駒を進めたいと思います。 その前に、国労40年史に新潟闘争のことが書かれていたのですが、中々客観的に書かれておりますので、合わせてここで新潟闘争に至るまでの概略を引用しながら書かせていただこうと思います。 当時の国鉄当局と組合の関係はかなり強い緊張関係にあり、生産性運動以降のなれ合い的体質ではなく、当局は違法ストライキの首謀者を解雇などの処分攻撃を打つのですが、組合も解雇者を役員にすることで対抗、解雇者が組合の役員をやっているので解雇することが出来ないと言うことで、民同右派などからは敬遠されることとなりますが、昭和32年の春闘では、国鉄当局側に

    国労と賃金闘争の話、業績手当支給に政府が介入して大混乱を招くことに - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2022/08/01
    国鉄は公共企業体という組織でしたが、政府が介入を知る体制は続き、昭和31年の改正では、国鉄などの公社に関わりやすい体制が出来ていきました。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 140 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 気がつけば2カ月ほど放置状態となっておりましたので、取り急ぎ更新したいと思います。 今回は、国労の国鉄労働運動史なども参考にしながらアップさせていただきます。 再建監理委員会答申、国鉄を分割民営化することに 1,985年7月26日、国鉄再建監理委員会は、再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出することとなりました。 再建監理委員会の特徴は、旅客会社を6つに分割し、貨物会社は線路を間借りする第②種鉄道事業者として扱うこととしていました。 ま他、圧倒的な収益力を誇る東海道・山陽新幹線を中心にして、新幹線は保有機構が譲渡を受けてJRに貸し付ける 旅客6分割 貨物分離で1社 新幹線は一括保有機構が旅客会社に貸付 余剰人員対策 以下、引用「国鉄再建監理委員会答申 *******

    国鉄労働組合史詳細解説 140 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2022/07/24
    国鉄分割民営化を打ち出した再建監理委員会ですが、国鉄はこのままではダメだと言いながらも、幹線系は黒字を計上しており、ローカル線に対する対応は残るものの、国鉄が分割しなくてはダメという理由は希薄に
  • 国鉄労働組合史詳細解説 139 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に、更新させていただきます。 今回は、国労が臨調による分割民営化最終答申に反対して、分割民営化反対の運動を行って頃の話を中心に書かせていただきます。 世論はNTTの民営化の成功で官業の民営化は正しいという判断 今回は、国鉄分割民営化が既定事項として進められていた、昭和60年の8月の話となります。 国労は全動労などとともに最後の抵抗として、ストライキを試みることになります。 しかし、全面ストライキを打てる状況ではなく、地上勤務者(駅員など)を中心としての時限ストであり、その影響は軽微なものでした。 ただ、当時の世論は現在と真逆で、世論は分割民営化を容認する言う雰囲気があったのも事実でした。 少なくとも、当時の世論はストばかりする国鉄(そのようなイメージができあがっていたのも事実)

    国鉄労働組合史詳細解説 139 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2022/05/12
    今回は国労の運動部分よりも、NTTとJRの民営化に関する差という点について書かせていただきました。NTTが当初から黒字基調で、国の保有を認めているのに対して、JRはそれがない点など当時からも恣意的と言えました
  • 国鉄誕生と公安制度について 第一話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

    国鉄誕生と公安制度について 鉄道公安官、正式には鉄道公安職員と呼ばれる人たちであり、国有鉄道施設における警察官でした。警備員と異なるのは、司法権を持っていたことであり、令状請求権などがあったことでした。 また、武器の携帯も許可されており、拳銃の使用も可能でしたが、実際の警乗などでは拳銃を持つことはなく。その辺は警察官とは異なるところではありました。 また、司法権の適用範囲は鉄道敷地内だけと言うことで限定的なため、例えば市中で鉄道施設等を破壊した被疑者を発見しても直接逮捕は出来ず、地元の警察に依頼するなどの点が警察官とは異なっていました。 鉄道公安職員はあくまでも、国鉄の職員であり警察組織に所属するものではなく、公安室長から駅長にと言った転身もありましたが。この辺が警察官とは異なるところでした。 戦前の公安制度と関連法制 戦前には鉄道公安制度は有りませんでしたが、不特定多数の利用がある鉄道に

    国鉄誕生と公安制度について 第一話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2022/05/11
    国鉄時代の警察官、公安官制度。当時の資料などから振り返っていきます。動画も併せて公開中
  • 桜木町事故に関する国会審問の議事録 第37回 - 鉄道ジャーナリスト加藤好啓のblog 国会審議集:楽天ブログ

    2022.05.02 桜木町事故に関する国会審問の議事録 第37回 テーマ:鉄道(21798) カテゴリ:桜木町事故 久々に更新させていただきます。 今回で、乗務員並びに信号係など現場係員の審問は終わりますが。 ここで、双方の主張が大きく異なる点、更にこうした事故を起こした場合の現場の心理、更には双方のコミュニケーションと言いますか、正しく情報を伝えることの難しさ等、現在の事故でも同様に学ぶべき点は多いのではないかと思います。 多少誘導尋問的ですが、中澤工手長の最初の発言には疑問を持ったと証言 この事故の根原因は、電気工事で中澤工手長の率いる班が作業していた、架線での碍子取り替え作業中誤って落としたスパナがき電線と接触、き電線と電車線を短絡したことで、アーク発生して大量電流が流れ、架線を溶断、そこに下り列車が支障した線路側に入ろうとしたため、進入を停止させるように信号係に話すのですが・・

    桜木町事故に関する国会審問の議事録 第37回 - 鉄道ジャーナリスト加藤好啓のblog 国会審議集:楽天ブログ
  • 国労と賃金闘争の話、国鉄と政府、そして組合と - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    久々に更新させていただきます。 今回は、当時の春闘に関して、国鉄当局・組合の関係を中心にご覧いただきます。 今回は新潟闘争前等、昭和32年(1957)春闘を取り上げています。 国労内にあるいくつかの派閥 今回は鉄労視点とは言いながらも、国労内の動きに注目していこうと思います。国労という組織は機関車労組が分裂したとはいえ、依然国鉄を代表する組合でしたが、必ずしも1枚岩という訳ではなく、大きく分ければ社会党を支持する民同・革同派や、共産党系等が存在していました。 国労という組織の中には、左派と言える革同派とより穏健な民同派があった 1957春闘が、新潟闘争のきっかけとなった重要な位置づけ 特にここで注目したいのは、昭和32年に行われた春闘で、総評の戦術委員会では春闘の決戦時期を3月11日から15日までの連続4日間と指定し、国労・機労も第一派として3月11日、12日と実施することとしていました。

    国労と賃金闘争の話、国鉄と政府、そして組合と - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
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    whitecat_kat 2022/04/13
    国鉄は、好況期牛応対と言われながらも、賃金の決定すらも政府の決定に左右される窮屈なものでした。組合を左傾化させて言った背景には政府の過剰な介入がありました。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 138 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 日も、国鉄改革に関する記事として、労働運動史をアップさせていただこうと思います。 国鉄では、分割民営化に難色を示した高木総裁が椅子を追われ、国鉄OBで西武鉄道の副社長を務めた仁杉巌が国鉄総裁として復帰、国鉄民営化を推進するための勢力として送り込まれたが、やがて民営化消極論に方向転換するに及び、その後運輸省事務次官であった杉浦喬也と交代することとなります。 最終答申が出された昭和60年7月には、国鉄当局には杉浦喬也が総裁として就任、国鉄当局は分割民営化中心となり、当時の国鉄部内紙(国有鉄道)の紙面では、組合の動きといった記事が一切姿を消して、分割民営化一色になってしまいました。 国鉄部内紙 国有鉄道 国有鉄道 目次 このように、国鉄当局はそれまで以上に国鉄改革=分割民営化であるとい

    国鉄労働組合史詳細解説 138 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2022/04/08
    国鉄改革、分割民営化答申が出されたとき、当時国鉄の組合はどのように動いたのか、当時の資料などを参照しながら読み解いていきたいと思います。国労が当時正論で分割反対。民営化容認をしていたら・・・思います
  • 生産性運動導入から、中止まで 第二十九話 国労による生産性運動の反撃 国労権利闘争史から 第2回 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    国労視点から見た、生産性運動 国労は当初は軽く見ていた生産性運動ですが、その動きは燎原の火のごとく広がりを見せ、毎月減少していく組合韻を目の当たりにして強い危機感を覚えるのですが、これといった有効打を打ち出せずにいました、そもそも国労では、生産性運動そのものについては、以下のように捉えていました。 国労から見た、生産性運動は 鉄労組合員の育成 ストライキを行わせない組織の構築 分会組織の分断、並びに弱体化 にあると考えていました。 実際、当時の鉄労では一〇万人加入を目標に行動しており、当時の職員数は四〇万人ほどいましたので、一〇万人を達成すればかなりの力を持つことになるわけで、鉄労としてもこれは達成したい、逆に言えば子黒にしてみればなんとしても阻止したかった現実でした。 国労は周知宣伝活動を図るが そこで、国労は、多額の広告宣伝費を使って、ここが変だよ労働運動と言ったチラシなどを作成して国

    生産性運動導入から、中止まで 第二十九話 国労による生産性運動の反撃 国労権利闘争史から 第2回 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2022/03/20
    国労は、生産性運動に関して反発を試みますが上手くいかず、脱退者を止めることは出来ませんでした。当局も生産性運動が整理解雇の対象にならないと明言したため、国・動労は毎月1000人単位で脱退していきました
  • 国鉄労働組合史詳細解説 137 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 社会党の国鉄民営化案と国労 日社会党(現在の社民党)は、総評の意向を受けて国鉄の民営化はやむなしとして、国鉄の民営化案をまとめます。(最終的な案は昭和61年1月28日に正式発表されたわけですが、そこで提案された、国鉄改革案は、以下の通りでした。 社会党、国鉄改革案 国鉄分割民営化は既定事項としてやむを得ないとするも、あくまでも政府が株式の70%以上を保有することで実質的な国営事業であることを明記するとともに、民間会社ですので、スト権の関する問題は解決される。 雇用の確保については、民営化手法の導入だけですので、問題なくスト権は付与されることとなります。 「国鉄問題社会党案(日鉄道株式会社法案)に関する覚書」では、上述のように国が実質的に運営する株式会社とすべしとしており、「株式

    国鉄労働組合史詳細解説 137 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2022/03/07
    国鉄改革の際に社会党では、独自の改革案を提示することとなりました。国鉄の分割は行わず、株式も七〇%は国が保有するというもので、当時では一顧だにされることはありませんでした。
  • もう一つの国労からの分裂、職能労連 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    国労から分裂した、新生民同派 国労の新潟闘争は、新潟地方労組を結成することとなりましたが、それ以外にも国労を脱退した、「労働問題研究会」というグループがありました。 彼らは、国労内の新生民同派(いわゆる民同派右派のグループ)と呼ばれており、職能別の組合とすることを目的としていました。 新潟闘争前の、昭和32年6月松山市で開催された国労大会で下記のように解雇された職員が専従役員に選任されたことに対して反発を感じたわけで、っくろうないに設けられていた職能別協議会を発展させて、職能別組織として再編しようと考えたそうです。 国労第16回定期大会開催、解雇三役を再選 6/22~6/27 松山において国鉄労組の全国大会が開催された、結局、国民の信頼をかちえなけれぱならないこと、より姿勢を低くするとも、組合の統一ある行動は守られねばならぬことに結諭を見出した しかし、役員の改選に当っては、解雇された3役

    もう一つの国労からの分裂、職能労連 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
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    whitecat_kat 2022/02/16
    現在のJR連合の母体の一つともいえる、鉄労はどのようにして誕生したのか、歴史をひもとくと講和条約の頃まで遡ることが出来ます。
  • 生産性運動導入から、中止まで 第二十八話 国労による生産性運動の反撃 国労権利闘争史から - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    今回は、国労編纂のより、国鉄労働組合四〇年史を参照しながら、生産性運動に関しての国労の言い分を見ていきたいと思います。 生産性運動と深刻な国労離れ 生産性運動は、職員の意識改革を図るものということで、国労・動労から脱退して鉄労に加盟する組合員も増えていきました。 これに対して、つなぎ止めるための方策を練るわけですが、妙案は有りませんでした。 また、国労自身は、1970年の秋頃まではさほど重要視はしていなかったと自ら告白しています。 むしろ、国労部には、「反合理化闘争」と「スト権奪還闘争」に主眼が置かれていたと言われています。 国鉄労働組合四〇年史では以下のように記されています。 運動の軸は、組織力の着実な前進を基礎に、「反合闘争」と念願の「スト権奪還闘争」に置かれていた。このため、「マル生」運動に対し、「非人道的、人権無視の行為・・・国労に対する全面的な組織破壊の挑戦」で有るとの認識は、

    生産性運動導入から、中止まで 第二十八話 国労による生産性運動の反撃 国労権利闘争史から - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2022/01/30
    国労は、不当労働行為に対して全面的に戦うとして、不当労働行為メモを作って、現認の都度メモに残して、それを当局に対して交渉するのですが、当局側の態度は改まることはありませんでした。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 136 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? こんにちは、引き続き国鉄労働組合史をご覧ください。 今回も、国労の資料を参照しながら、独自の解釈を加えていくのですが。 再建監理委員会としては、なんとしても分割民営化は不可避であったとして、世論を作っていきたいと思うわけですが、仁杉総裁が更迭され、推進派の杉浦喬也総裁が就任するに及び、国鉄の分割民営化は待ったなしの状況に追い込まれました。 まして、一足先に二公社(電電公社と専売公社)が民営化され、長期債務の問題等で一番困難と言われた国鉄が残るという構図になっていました。(郵政は現業のため今回の再編では対象外) そんな中で、国労・動労・全施労は国鉄分割民営化では反対という点で一致しており、鉄労だけは地域社制=分割民営化であるとして、分割民営化を進めていくのだという方向になっていまし

    国鉄労働組合史詳細解説 136 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2022/01/15
    国鉄分割民営化に至る経緯などを独自の解釈でアップして行きます。鉄労は、職員の全員雇用を求めていたが、杉浦隆也総裁はその申し出は拒否した!!
  • 国鉄労働組合史詳細解説 135 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 長らく更新出来ませんでしたが、久々に投稿させていただきます。 今回は、国鉄部内紙、国有鉄道も参照しながら国鉄を取り巻く環境を検証していきたいと思います。 国鉄の分割民営化を容認していたのは鉄労のみ 国労、動労、全施労、全動労が監理委員会の最終答申に対して、 公共交通としての国鉄の位置づけがなく、不採算部門は徹底して切り捨てとなる 分割による全国ネットワーク破壊について、具体策を明らかにしていない。 長期債務については政府、財界、国鉄官僚の責任にふれず、用地売却など土地利権を確保するものとなっている。 『余剰人員』対策は、労働者間に分断. 選別をもたらすと同時に、労働者の雇用不安を助長するものである。 『分割・民営化』は”官業払い下げ”であり、公共交通の、国鉄再建ではない。 以上のよ

    国鉄労働組合史詳細解説 135 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2021/12/28
    国鉄改革の一環で、臨調の最終答申を受けて、労働組合4組合【国労・動労・全施労・全動労】は反対声明を出しますが、この頃から各組合では温度差が出てきており、動労も軸足を国労の協調から対決へと舵を切ります。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 134 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 今回も国労の資料を底として、解説を加えさせていただこうと思います。 国鉄の分割民営化論議を考えていく中で、国鉄当局は当然のことながら解体には反対であり、労働組合も国鉄という組織の解体には反対の立場を取っているわけで、自民党も必ずしも分割民営化を当初から容認していたわけではありませんでした。 むしろ、規制としがらみに縛り付けられた国鉄を少しでも動きやすくしたいという思いが改革三人組の方向性であったと思われますし、実際に自民党も当初は出口論【結果としての分割民営化はやむなし】という考え方であり、分割民営化を推進した鉄労も、当初は分割民営化には反対しています。 鉄労は、分割民営化を容認と報道される ただ、鉄労が分割民営化を是とした背景には、鉄労が提唱した地域社制と言う発言に際して、地

    国鉄労働組合史詳細解説 134 - 日本国有鉄道 労働運動史
  • 国鉄労働組合史詳細解説 133 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 長らく更新できませんでしたが、久々に更新させて頂きます。 国労の記事では世界情勢を中心とした内容でしたので、今回は割愛し、国鉄の昭和60年国鉄線9月号からの記事を参照しながら解説を加えさせて頂こうと思います。 国鉄は、昭和59年度で収支均衡を達成した? 国鉄は昭和39年以降赤字決算だったという言うことで、それ故に民営化が行われたと言うことになっていますが。 実は、国鉄監査報告書を参照しますと、国鉄の収支は幹線系に限れば、昭和59年には黒字を達成していました。 これは、昭和60年における幹線系の収支均衡を図るという目的からすれば、1年早く達成した目標でした。 以下は、国鉄部内紙、国有鉄道1985年9月号から引用したものですが。 昭和59年の損益が345億円と営業外損益を差し引いても黒

    国鉄労働組合史詳細解説 133 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2021/09/26
    国鉄の分割民営化論議は分割ありきで進められましたが、昭和60年には幹線系で収支の均衡を達成しており、そのように考えるとき、本当に国鉄は分割民営化が正解だったのか?改めて問い直したいと思います
  • 生産性運動導入から、中止まで 第二十六話 支社制度の廃止と国鉄 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    久々に更新させていただきます。 直接生産性運動とは直接関係が無いのですが、生産性運動前に廃止された支社制度についても触れておきたいと思います。 支社制度とは 支社制度とは、それまでの総支配人制度に代えて、昭和32年1月16日に発足した制度でした、それまでの総支配人制度は、北海道、東北、関東、中部、関西、四国、九州の7カ所に総支配人が置かれていましたが、総支配人には何の権限もなく、いわば中央の連絡役に過ぎませんでした。 当時の国鉄は、総裁と数人の常務理事で方針が決定されるというもので、特に社ではスト対策等の労務管理に費やす時間が多かったことから、思い切って地域ごとに権限を委譲するというものでした。 その制度は、十河総裁時代に導入されたのですが、支社制度を進言したのは石田禮助が監査委員長をしていた際に、国鉄監査委員として補佐した西野嘉一郎であったそうです。 以下は、国有鉄道 1982年4月号

    生産性運動導入から、中止まで 第二十六話 支社制度の廃止と国鉄 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2021/09/19
    今回は、昭和45年8月に廃止になった支社制度について誕生の経緯やその後廃止に至るまで、更に同時期に出された、国鉄再建に関する提言について書かせていただきました。