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国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
またまた2ヶ月ほど開けてしまいましたが、改めて鉄労視点から見た新潟闘争前後の話をさえていただこうと... またまた2ヶ月ほど開けてしまいましたが、改めて鉄労視点から見た新潟闘争前後の話をさえていただこうと思います。 講和条約での扱いをめぐって社会党内で、右派と左派に別れての問題はそのまま労働組合にも派生することとなり、社会党左派を支持するグループと、右派を支持するグループに分かれ、これは国労内では民同派と新生民同派に分かれることとなり、民同派は左派、新生民同派は右派という色分けとなっていました。 そんな中、国鉄内での組合運動はますます激化し、政治運動などを中心とする組合運動に変節していきました。 また、機関車労組は、設立当初の穏健な運転局に庇護されるような組合から徐々に左傾化し、その運動は過激さを増していくこととなりました。 国労が、反戦青年委員会など後の過激派となる組織を潰そうとしたことに対し、機関車労組はむしろ容認してきたことからさらに、機労は過激さを増して行くこととなりました。 ただ、こ
2023/01/04 リンク